幕 間 勇者の心に巣食う闇

 王都より南に離れた森林。

 空高く昇る太陽の日差しすら、ほとんど遮るほど立派に成長した木々に囲まれた森の中に、独特の装いをした人間が四人、剣や杖、短刀を手に走り回る。


 遅れて音が届いた。凄まじい轟音だ。衝撃は地面をたやすく砕き、振り払われた手足が分厚い棍棒のように周囲の木々をメキメキと倒す。

 四人の男女はそれらの攻撃から身を守り、時として避けながら体勢を整えた。


「チッ! 煩わしい。中型以上の個体がいるとは聞いてたが、出てきたのが“コカトリス”とはな。大型の個体でも最弱の雑魚じゃないか。王都にいるハンターはこんな奴も倒せない無能なのか?」


 先頭で剣を構える金髪の男性——勇者エリックが愚痴る。

 碧眼に並々ならぬストレスや憎悪を溜めて、体内の魔力を操り、神聖なる光をその身に宿した。


 光は徐々に輝きを増していき、剣ごとエリックを包み込み潜在的な能力を底上げする。


「ダリアは魔法でけん制を続けろ。イリスは強化系の魔法を重点的に使え。ダリア優先でいい。メイリンは戦闘に参加しながら周囲の様子を探れ。他に魔物が来るようなら逐一報告しろ。雑魚は任せたぞ」

「特大の魔法を使ってもいいかしら? 多分、この辺りの自然がまとめて吹っ飛ぶと思うけど」

「俺に当たらなければ問題はない。近くに村があるらしいが、魔物は倒してやるんだ、苦情も出ないだろ」

「了解~。バンバン強化魔法よろしくね、イリス」

「畏まりました。治癒魔法のほどは如何いたしますか? コカトリスの攻撃をまともに喰らえば、いくらあなたでも負傷は免れませんよ。たとえ、強化魔法を自身に付与していたとしても」


 全身が黄金に発光するエリックを見て、細目でイリスが問いかける。

 エリックは何を馬鹿なことを、と鼻で笑い、見下したように言葉を返す。


「冗談は止めてくれイリス。俺があんな雑魚の攻撃を受けるとでも? たしかに状態異常を誘発させるスキルは厄介だが、勇者にそんな小細工は通用しない。仮に攻撃を受けても自分の傷くらいは自分で治せる。お前は、——言われたことだけを淡々とこなせばいいんだ。解ったかい? イリス」


 苛立ちを孕んだエリックの声。

 視線こそイリスに向けないが、声色から彼女は勇者の精神状態を察する。これ以上の意見は無駄で無意味。むしろ牙を剥かれる可能性すらあった。


「——承知しました。これよりダリアさんへの強化を施します」


 無機質な声に若干の諦めを含め、イリスはソッと瞼を閉じた。そして体内の魔力を精密に練り上げると、近くで待機する魔術師ダリアへ魔法をかける。


 魔法の内容は魔法攻撃の強化メイン。あとはいざという時のための耐性強化だ。

 純粋な身体能力と数多の弱体化魔法で相手を責め立てる“コカトリス”には、それが最も有効な手段だと彼女は知ってる。


 淡い光がダリアの体を包み、呼応するように彼女は気分を上げた。


「ありがとイリス。これでわたしの究極なる魔法が、更に究極を超えて最強となったわ。誰が相手だろうと必ず——滅ぼしてみせる!」


 今度はダリアの体内を巡る魔力が動く。エリックやイリスが行った魔法とは比べ物にならない量の魔力が練り上げられ、空気が震えるように揺れた。


 両手を胸元に合わせ、手のひらで球体状の空白を作る。空白の中には先ほどまで練り上げていた魔力が、魔法という形をもって現実世界へ具現化していた。


 それは圧倒的な暴力の化身。ただモノを破壊するだけに特化した技術もクソもないシンプルな魔法。

 渦を巻き、音を立て、ぐるぐると質量を増やしていく。


「今回は足止め頼んだわよ——エリック!」


 言って、ダリアの魔法が待機状態に入った。

 遠目でも解るほどの魔力放出量に、トカゲに酷似した魔物コカトリスが反応を示す。


 長い舌をチロチロと素早く出し入れしたと思えば、ぎょろりと不気味な瞳で後方のダリアを見た。

 お互いの視線が重なり、止まっていた時が動き出す。


「——フルルルルルゥゥウウウ!!」


 地を叩き、木々雑草を踏み付けてコカトリスが前進する。全長数十メートルを優に超える巨体が、魔術師ダリアを危険視した。攻撃される前に距離を詰め、殺す算段だろう。


「行かせると思ったのか、爬虫類風情が!」


 十メートルほどの距離を踏破したコカトリスの頭部に、爛々と煌めく刃が降り注ぐ。勇者エリックの発動した聖属性の魔法を伴う攻撃だ。

 閃光のように周囲を照らし、断続的に輝きを増すそれは、走るほどに鮮血をまとって魔物の体を傷付けた。


 だが、本命の一撃は別のところにある。


 上空から降下する勇者エリックが地面を滑り、無防備なコカトリスの足元に回った。

 派手な上空での攻撃は、相手の視界を妨害するためのもの。ほんの一秒でも動きが止まればいい。あとは——、


「機動力を落として、終わりだ!」


 これまで以上に強力な魔力が剣身へ宿る。ダリアの魔法に比べれば出力は半分ほどに等しいが、相手の脚を切り裂くには十分だ。


 もはや閃光と呼ぶのも馬鹿らしい光の奔流、束が横向きになぎ払われる。

 轟音と甲高い音が同時に交わり、コカトリスの悲鳴を最後に、太い柱のような脚が三割ほど削れて血を流す。


「今だ、ダリア! さっさと魔法を撃て!」

「はいはい。巻き込まれないでよ——っと!!」


 攻撃を当てるための準備が終わり、待機状態だったダリアの魔法が弾ける。

 前方へ魔力の塊が放たれた。純粋に、真っ直ぐ敵を捉えて光線が進む。


 破壊の二文字を体現したそれが、森林ごとコカトリスを包み、——災害の音が周囲を満たした。




 ▼




「コカトリスの討伐を確認。こちらの被害は軽微かと」


 抉れた大地の上、焼け焦げた魔物の死体を見下ろしてイリスが告げる。

 鼻をつんざく臭いにダリアが顔をしかめた。


「はー、大量の魔力を消費して気分が悪いのに、爬虫類の臭いは輪をかけて最悪ね。鼻が曲がりそう」

「やだなあ、ダリアさんがやったんじゃないですか。それに、このくらいの臭いはぜんぜん余裕ですよ~。世の中にはもっと臭いものがありますからね」

「指示したのはエリックでしょ、わたしの責任じゃないわ。ね、エリック」


 ダリアが後ろに立つエリックへ声をかけるが、返事は返ってこない。

 ちらりと彼女が背後へ視線を送ると、背中を向けたエリックが空を仰いで何やらブツブツと呟いていた。


「クソ、クソ! こんなつまらない依頼で俺の予定を潰すとは……一刻も早く、あの女を手に入れたいというのに!」


 その内容はダリア達には聞こえなかった。しかし最近のエリックは何かがおかしい。

 そう節々に思う彼女たちが、怪訝な視線を向けているのに本人は気付かない。


 彼の脳裏に浮かぶのは、たった一人の美少女と憎きかつての仲間。

 無駄に高まった自尊心だけが、些細な不満を継続的に強めていった。もはやそれ自体に意味がないとは思えないくらい、ちっぽけな勇者の思考は短絡的に染まっている。


 仲間の不安をよそに、エリックはマントを翻して言った。


「魔物の討伐は終わった、帰るぞ」

「え?」


 唐突な帰還宣言。誰もが微妙な反応を示す。

 依頼はまだ終わっていないのに——。

 言葉にこそしないが、全員の顔がそれを物語っていた。


「どうした、不満でもあるのか? 一番厄介な魔物を倒したんだ、別に王都へ戻っても問題ないだろ」

「それは——そうだけど……」

「一応、村に寄って状況の報告だけでもした方が」

「黙れ! これは勇者の命令だ。俺は帰る。報告がしたいならお前らだけでしろ!」


 短く、感情的に言ってエリックは歩き出してしまった。

 元から傲慢なところもあった彼だが、最近はより顕著になってきたとその場の全員が思った。


 僅かな違和感。僅かな距離感。僅かな歪み。

 今後それが致命的な代償へ繋がることになるとは……この時は誰も想像できなかった。


「待っていろよノア! 俺とお前、どちらがより優れた人間か——あの女に教えてやる」

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