生きたい

 思い出した。

 私のポケットにギアが入っている事に。


 二人が享楽にふけっている間、こそこそと手をポケットに持っていく。

 そこに眠っていたそれに喉元が鳴った。もしかしたらこの地獄から解放される可能性がある。ゆっくり、ゆっくりと手に取って手のひらに隠し持った。


 ギアは現在ジュニアスクールの授業ですら扱われている。それこそ一年生の頃からだ。ちゃんと小学校に行っておけばこういう事態に陥った時対応が出来るのだ

 所定の位置に親指と小指を合わせて強く握る。それだけだ。十年ほど前に起きた誘拐事件でギアが事件解決の決め手になったために私の代から義務化したのだ。


 考えてもみろ。この男に文明差がなければ間違いなく私のギアを取り上げただろう。つまりこいつはギアを知らない、もしくは知っているがこのような義務教育ですら取り入れられている事すら知らないまま生きてきたのだ。

 ゆっくりと手を回しながら、緊急発進用の握り替えをする。今度は落とさない。今度は音を立てずにゆっくりと握り替えて。

 そして、力の限り握りつけた。


 手の中でギアが震える。連絡が行った証拠だ。もう一度強く握る。二度握る場合は生命における重要な事件が発生した際にのみ使用を許される握り方だ。誤報でこれをした場合、警察に連絡して間違いであった事を連絡しなければ厳重注意されるほどのもの。それを使う日が、それも自分に来るとは思いもよらなかった。

 二度目強く握った。震えない。それでいいのだ。凶悪犯罪の場合ばれないようにあえてそうなっている。だから何が起こったのかが伝わったはずだ。

 ただすぐに来るわけではない。知らせて準備をして、だろうから十分、それ以上か。

 そこまで生き延びる事が出来るか。それが問題点となった。


「ああっ」


 パートナーが跳ねる。何度も観た光景だ。だが、それはあくまで私一人称の視点で第三者の視点から快楽に堕ちる彼女の姿を見たのは初めてだ。

 ゆっくりと体を倒すパートナーを後目に男が深くため息を吐いた。

 すると男は思い立ったかのようにナイフを逆手に持ってパートナーに突き刺した。


「やめて!」


 体をよじらせて逃げようとするパートナーの髪を掴むとまたナイフを腹に突き刺した。突然の行動に何が起こっているのか理解できずにいた。これが何を意味するのか考える必要はなかったともいえる。


 ある程度やりたいことをやった。次に男がやろうとしたのは口封じだったのだ。


 私の前で男とパートナーが暴れる。しかし男の力にかなうわけがない。ただでさえもう数人は殺したであろう男だ。手馴れているか否かは別として人間の命を奪う事に躊躇いはないだろう。その慣れの差は現れていた。

 叫んでいた声が段々と小さくなっていく。男に液体が飛び散る。そして最初は抵抗していたパートナーはついに動かなくなった。


 殺された。いや、殺されていないにせよ虫の息だ。


 とどめと言わんばかりにパートナーだったそれの喉元にナイフを一突きした。ここに於いてパートナーは血液を流すだけの肉塊になった。

 直感が私の体を縮み上がらせた。これから起こりうる事が想像できたからだ。

 肉塊が一つから二つになるのだ。そしてその二つ目は紛れもなく私で。

 男はけだるそうに立ち上がった。私を見つめているのがわかる。研ぎ澄まされた目線は相手に見られていることがわからなくても伝わってしまう。


 必死にもがいた。もがく以外に何もできなかったからだ。このまま死を受け入れるなんて冗談じゃない。

 声にならない声をたたきつけた。それが猿轡に邪魔されて消えるものだとしても。

 生きている。私の生を奪うな。お前にその権利はない。

 涙を流しながら必死になってこたえた。

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