時代に取り残された男
しかし世の中どれだけ文明機器が進化したとはいえまだタイムトラベルは出来ていない。それはおとぎ話だ。だからここにいる男は紛れもなく同じ時代を生きている男なのだ。それは捕まえられた私にも、犯されたパートナーにも理解せざるを得ない現実であった。
男は数度部屋を回るとベッドで震えるパートナーの髪をつかみ、顔を上げさせると思い切り殴った。声ならない声が響く。その後うつむいたパートナーの髪をまた引っ張り上げ、ナイフを喉元に突き立てた。
「ひっ」
パートナーが小さい声を出す。唐突の行動に何が何やら分からなかった。
「むかつく。ああむかつく」
男はうわごとのようにつぶやいた後、またパートナーを殴った。
「なんで俺が悪いんだよ。どいつもこいつも。俺をこき使いやがって。俺のせいじゃねえよ」
ぶつぶつ言いながらパートナーを何度も殴る。段々と彼女の顔は腫れていった。
「俺だって金持ちのもとに生まれていりゃこんな事にならなかったんだよ。だから俺のせいじゃねえ。俺のせいじゃねえんだよ。そうだ社会が悪いんだよ社会が」
耐えられなくなったパートナーは背を丸めた。男はその背中をどんどん殴っていく。
「俺が女抱けねえのも、仕事に就けねのも、ちゃんとした家に住めねえのも全部社会のせいだ。そうだろう。そうだろう」
誰に聞いているのか分からないことをつぶやいていく。それとは一方でどんどん殴る力が弱くなっていく。
「俺は悪くねえんだ!」
殴り終わると同時にそれは叫びに変わった。それと同時にパートナーの頭をがっとつかんでこちらに振り向かせると、そのまま馬乗りになって乳房にかぶりついた。
私はこの時、彼に対して恐怖と同時に同情がわいたのだ。
この男はどこから出てきた奴なのかは分からない。だが、生きる方法を知らないで今日まで生きてきたのだ。
恐らく男にとってカセットラジオが日常で、私たちが普段使うようなギアですら使い方が分からないのかもしれない。迷惑の代名詞とも言われる小銭を使わざるを得ないような場所に生きていた可能性があるのだ。
それは言い換えれば私たちの全く知らない世界がこんな片田舎でも文明が当たり前のようになった世界と地続きである事を示唆しているのだ。
そして今男がパートナーに強要しているのは人間が生物であるための最も根源的なところで、それが私たちの住む世界が長い時代を得て一本の線を引かれている事を嫌というほど理解してしまったのだ。
だからこの男は何かしらが原因で時代に取り残された男で、恐らく今までその限られた選択の中から自分なりの回答を出しながら生きてきたのだろう。それが理知的であったかどうかは別として。
しかし文明差は暴力となってしまった。今嬌声に喘ぐパートナーの喉元に置かれたそれは人の肌を切り裂くための道具になってしまっている。本来そのような使い方をされたのだろうか。本来は獣の肉を切り裂くための道具であった可能性だってある。それが人間にも適用されたというだけの話で。
私たちの使うあれこれにはもうそういったものがない。料理はレーザーで切れ、そのレーザーに触れられないようなアイデアが施されている。文明は絶えず進歩しているのだ。今更ナイフの時代には戻れない。
だからこそ今その埋められなくなった差に私達は踊らされているのだ。
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