第72話 笑顔は幸せの証(オリビア視点)

 オリビアはごく普通の少女である。

 一般的な家に生まれ一般的に学び、一般的に生きていた。


 だが、全てが普通というわけではなかった。


 容姿だけはそれなりに良くて、みんなからよく褒めてもらっていた記憶がある。

 それが嬉しかった。


 私は馬鹿でどうしようもないと思っていた。

 が、一つでも褒めてもらえたことがとても嬉しかった。


 そして、今日もお母さんは私のことを褒めてくれる。

 だけど、いつもとは少し違うものがあった。


「オリビア、聞いて!神官様からお呼び出しされたわよ!聖女かも、だって!」


「せ、聖女?」


 その言葉の意味を教会で理解した。


 聖女


 それは勇者を補佐する存在。

 聖女なしで勇者が魔王を倒した……。


 そんな話は古今東西、存在しない。

 つまり、勇者の歴史において、聖女がいなかったことはない。


 この時点で聖女が勇者と同等に重宝されているのは明らかである。

 ただし、聖女は勇者がいない……勇者が様々な要因で死亡し、新たな勇者が誕生するまでの間にも“いる“ことができる。


 なにが言いたいかといえば、勇者がこの世に居なくても、聖女は存在し続けるのだ。


 勇者は魔王が復活するとほぼ同時に召喚される。

 数百年、魔王が現れなければ、勇者も現れないのだ。


 だが、聖女は違う。

 人を癒す聖女は人類の希望であり、崇拝される存在なのだ。


 聖女という肩書だけで、それは神と等しいことになる。

 その肩書を私は欲していたわけではなかった。


 幸いして、確定ではない。

 あくまで聖女候補。


 数多いる候補たちが存在する中に、私が飛び入り参加したに過ぎない。


「可能性は低いでしょうが、我々教会はあなた様こそ聖女様だと信じております」


 白々しい。

 誰も本気にはしていないくせに。


 私のなにを知っているというのだろう。

 勝手に本人の幸せを決めつけ、それが絶対だと信じ込む。


 あまりに、横暴だ。


 こんな人が神官?

 おかしい。


 神様はこの世界にいないのか?


 私は本気疑問に思った。

 当時五歳の私にしては、なかなかに鋭い判断だったと思う。


 私から出た結論は、


(この世に絶対はない)


 これが真実。


 どんなに強い人でも寝込みを襲われたら死ぬ。

 どんなに当選確率の高いくじ引きも、中止になれば意味がない。

 どんなに、神がいると信じ込んでも、いるという保証はどこにもない。


 子供ながらに夢がないなと思った。

 でも、これが私なのだ。


 馬鹿でどうしようもなくて、夢がない。


 あの日からお母さんは聖女についての話しかしなくなった。

 途端に私の幸せは崩れ去った。


(なんで、聖女の話しかしないの?私のことをもっと話してよ!)


 心の叫びは届かない。

 いい子でいなくちゃいけない。


 父は癇癪持ちだった。

 怒れば、お母さんが怪我をしてしまう。


 私だって殴られるかもしれない。


 だが、癇癪を起こしていない間は本当に素晴らしい父親だった。

 他国との戦時中であれば、こんな態度の父親は普通にいた。


 出兵でストレスが溜まった結果である。

 ただの癇癪……これは仕方ないこと、私はそう割り切っていた。


 だから、我慢もたくさんしてきたし、“いい子“であり続けた。

 それで、私の幸せが守れるなら……。


 だが、その日はやってきた。


 聖女育成施設。


 本当の呼び名はわからない。

 少なくとも説明を聞いた私はそういう名前がパッと思いついた。


 その日から父もおかしくなっていった。

 あれだけ、癇癪を起こしては私に暴言を吐いてくる父。


 だが、本当は私とお母さんをとても愛していたそうだ。

 父は酒に溺れた。


 心の支えであった私がいなくなると知り……。

 妻が、その娘を後押ししていることに激怒し……。


 酒は不思議なものである。

 思ってもないことを口に出したりしてしまうのだから。


 私が家を出てくまで、怒涛の日々を過ごした。

 毎日、仕事に行かずお酒ばかりを口する父親。


 それにふつふつと怒りを募らせる母親。


 案の定、二人はぶつかった。


 醜い。


 それが私の感想だった。

 この世に絶対はない。


 私が二人の前からいなくなることぐらい普通にあり得るのに。


 二人は私以上に馬鹿だったんだ……。


 若干の軽蔑。

 育ててくれた恩は絶対に……おそらく忘れない。


 醜い喧嘩は私にも被害が出始めた。


 酒瓶の破片が流れ弾として、飛んでくる。

 だが、私は慌てなかった。


 否


 あまりの痛みになにが起こったのかわからなかった。

 患部を抑える。


 刺さったのは胸の真ん中あたり。

 心臓にはささらなかったようだ。


 それに気づき、少し安堵した瞬間。


 パアッと明るい緑の光とともに、私の感じる痛みが和らいでいく。

 初めて魔法というものを行使した。


 私は二人に気づかれないように外に出る。

 あんなに大切にしてくれていた母親は、私を気にすることもなく、争っている。


 父親は、怪我をさせたのに、謝りもしない。

 所詮はその程度の愛情しかなかったのである。


 路地へと逃げ込む。

 そこで、私は激しく嗚咽を漏らす。


「どうして、私ばっかり……」


 路地の鳴き声は反響する。

 だからこそ、


「どうしたんだい?」


 この人にも聞こえたのだ。

 黒髪黒目の青年だった。


「誰?」


「俺かい?うーん、愉快なお兄さんさ!」


 戯けた表情は私の気持ちを穏やかなものに変える。


「どうして、ここにいるの?」


「子供には言われたくなかったなー。ま、いろいろあんのさ!」


「なにそれ……」


 苦笑い。

 だが、それは確かに笑みだった。


 久しぶりに感じた幸福感だった。


「見たところ、何か悩んでいるみたいだね……どれ!お兄さんの方に来てごらん!いいおまじないを教えてあげるよ!」


 言われるがままだった。

 それは確かに自分の意思だった。


 いい子であろうとしていた私は消えてなくなり、自分の笑顔を第一に考えるようになっていた。


 この人は私を笑わせてくれた。

 それだけで信用に足るのだ。


「莠…蠖「……隨代o縺……」


 かすれて聞こえたその声を聞いた瞬間。

 私は全てに納得がいった。


(ああ、私は笑っていいんだ)


「ありがとうお兄さん!元気になったよ!」


「そう?ならよかったよ」


 私は気持ちを切り替えた。

 親の喧嘩を仲裁し、仲直りさせる。


 また平穏が戻った。



 ♦︎♢♦︎♢♦︎



 それから二年——


「はじめましてオリビアと申します。私は貴族ではないので、右も左もわかりません。どうか、仲良くしてください」


 笑顔で告げる。

 それはきっと『綺麗に見えた』ことだろう。

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