捌、容態

 それからまたしばらく経った。最近また天斗の調子が悪いようで、そういえば確かに兄が部屋にこもりきりという日が以前よりも多い気がする青斗であった。

 そんなある日、青斗は父に呼ばれて父の部屋へ向かった。

「ああ、青斗。すまないな、急に呼び立てたりして」

「いえ。それで、要件は?」

「最近、天斗の調子が前より増して悪いだろう」

「はい」

「それが、天斗にいた何かのせいなんじゃないかと俺は思ってるんだ」

 以前天斗が仕事として向かった先の姫のように、悪い物に憑かれてしまうとすこぶる体調が悪くなってしまうのだ。けれど兄がそんなヘマをするとは考えられない。なぜ?

「その……もし本当にそうなら、どうして」

「前に天斗が仕事で向かった家のこと、覚えているか」

「ああ、姫様の体調がかんばしくないとかなんとかで、でしたっけ」

「ちょっと言い方なんとかできないか」

「す、すみません」

 父は苦笑して、それでだなと話を続ける。

「その時、天斗は病の原因の憑き物を祓えなかったと言っていた」

「──それが、次はにいさまに憑いてしまったということですか」

「俺はそう思っているんだが、果たしてそれが本当だとしてもあいつがそれに気づかないなんてことはないと思うんだよな……」

「そう、ですね」

 青斗も同意見だった。

「念の為、調べてみてくれないか」

「承知いたしました」

 そう言って青斗は下がろうとする。

「あ、これは憶測だがお前がなにもせずに天斗のところに行ってはまた刺激するだけになるだろうから、みそらにでも頼んで眠りの香でも焚いてからにしたほうがいい」

「分かりました」


 青斗は父に言われた通りに母に香を運んでもらい、しばらくしてから天斗の部屋へ向かった。御簾の隙間から中を覗くと、金木犀のような甘ったるい匂いに包まれた部屋の中で兄はすうすうと寝息を立てていた。

「……失礼します」

 小さく部屋の主に断って、中へ入り込む。兄は青斗の足音にも気づかずに目を瞑ったままである。いつもであれば少しの物音でも起きて周りを確認し始めるというのに。相当疲弊しているようだった。

 青斗は天斗の枕元に座って、顔を覗き込む。特に悪夢にうなされているような様子も見えず、正常な呼吸を一定の間隔でしている。こちらには好都合だと青斗は目を瞑り、大きめに息を吸って気を研ぎ澄ませる。

「──にいさまのを見せて」

 青斗はぼそっと、誰かに頼み事をするようにそう呟く。目を開くと、天斗の体の上に初めはぼんやりと、段々と実体を持って、何かが姿を現した。それの見てくれは年端もいかない幼子のようだ。性別は見ただけでは分からない。

「……ねえ、僕の声が聞こえる?」

 生気のない瞳は、声をかけた青斗を捉えてはいない。このままでは、兄の体からこの子に退いてもらうことをお願いすることもできない。

「──僕の声をこの子に届けて」

 青斗は再び願うように呟く。そして今度こそはと天斗の体の上の幼子に声をかける。

「……今度は、聞こえる?」

 幼子は驚いたのか肩を跳ねさせた。これは聞こえたという返事も同然である。けれど聞こえてなおこちらに危害を加えてはこないところを見ると、悪い鬼ではなさそうであった。

「ねえ、僕のこと、見える?」

 目を見て話したいが、幼子は周りをキョロキョロとしているため一向に目が合わないのだ。そう聞いてなお幼子は周りをぐるぐる見回しているため、きっと生気のない瞳は景色をも映していないのだろうと青斗は心を痛ませた。

「見えないのなら、それで大丈夫。話に耳を傾けてほしい」

 そう言われて幼子は、不安そうにしながらも青斗から向かって明後日の方向を見て居住まいを正した。

「その……君が今いるのは、僕のお兄さんの体でね。申し訳ないんだけど、そこから退いてほしいんだ」

 幼子はその言葉に驚いたように再び肩を跳ねさせ、頭をぶんぶんと横に振った。

「ごめん、そんな強く出てけって言う訳じゃないんだ……えっと」

 そうは言ったが結局最終的にしたいのはそういうことであるので、この言い方では矛盾してしまうなと青斗は眉間にしわを寄せる。

 祓いたくはない。そんな無理じいをしてしまっては彼らは天上へ行けるはずもなく、ただ苦しむだけになってしまう。けれど意思疎通が図れない今、幼子がなぜこの世に残っているのかの理由も聞くことはできない。──どうしようもないのか。

「……ごめんね、僕にはこうやって送り出すしかできない」

 青斗は目を瞑って、人差し指と中指を揃えてすっと立てた手刀を胸の前で構える。

「臨兵闘者皆陣烈在前」

 胸の前で横、縦、横と合計九回線を描きながら呪文を呟く。

迷魂めいこんを天上へお送り申す。急急、──!」

 よく分からない寒気がして、青斗ははっと目を開けた。呪文の言い終わらないうちに幼子が天斗の体に戻ったのか、青斗の目の前には生気のない瞳でこちらを見つめる天斗がすっと立っていた。

「にいさま……!」

 これは、だいぶまずい。おおかた青斗が術を使って、使われたことによる反動が天斗を更に弱めることとなり、幼子が憑いて我を忘れている状態だろう。下手に刺激してはいけないと思いながら、青斗は臨戦態勢を取った。

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龍よ、灰神楽の君よ 水神鈴衣菜 @riina

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