壱、こころの枷

青斗あおと! また無理したの?」

 心配がる女の子の声が庭先にまで響いた。青斗と呼ばれた彼は、痛そうに顔を歪ませながらしとねの上に横たわっている。

「大丈夫だよ、ときは。いつもよりは、痛くないから」

「そんな無理言わないの! どこが痛い?」

「……ごめん、声が傷に響くんだ、ちょっと静かにしてほしい」

「あ……ご、ごめんなさい」

 ときはは心底申し訳なさそうにしょぼくれる。そんな彼女を見て、青斗は心配ばかりかけてしまって本当に申し訳ないと、いつものように思った。

 ときはの手をそっと握って、自分にも言い聞かせるように声を出す。

「大丈夫、大丈夫だから。そんな顔、しないで」

「……なにか、できることはある?」

「ここにいてくれれば、いいよ」



 この物語の舞台、時は現代から約千年ほど前、平安時代。魑魅魍魎ちみもうりょうが平安の都を跋扈ばっこしていた。

 そんな、人に危害を加える人知を超えたものたちを祓い清めるのが、陰陽師おんみょうじと呼ばれる者であった。

 この物語の主人公、青斗も、陰陽師の血を継ぐ者のひとりで、陰陽の力を扱える者のひとりでもある(陰陽師の家系であっても力を使えない者もいる)。

 だがその力は全能ではない。力を持つ者は、それ相応のがなされる。枷というか、力を使うことに対しての反動が。どんなに小さな術、ただ呟いた言葉、そういったものにも力持つ者の力は乗ってしまう。そしてそれは持つ者の力量、力を抑える力により大きさは異なるものの、なにかしらの反動となって返ってくるのだ。だから強い力を持っている者はほんの少し術を使っただけで、効果覿面こうかてきめんだが全身が動けないほどの激痛に侵されたり、意識を失ってしまったりする。その反動故この陰陽の力はあまりよいものと見なされず、陰陽師たちは少々肩身の狭い思いをしているのだった。


 青斗は、大きな力──否、大き力を持って生まれてきた存在だった。まだ幼子の青斗には自分の力を制御する方法も分からなかっため、稽古をするにもすぐに反動で倒れてしまうことが多かった。そのせいで十四になった今でも、病がちで体は弱く、力を使うとすぐに意識を失ってしまうのだった。


 そろそろこのままではまずいと家族は考え始めた。果たしてどうするのがいいのか家族で会議をしていた中で、かの大陰陽師・安倍あべの晴明せいめいの名があがった。

「晴明様に、力を強制的に抑える術をかけていただけばよいのではないか?」

「なるほど、そうすれば術は使えるがあれほどひどい反動にはならないということ」

「そうと決まれば、すぐに陰陽寮おんみょうりょうへ出向きましょう」

 もっと青斗が幼い時に気づけばよかったのだろうが、ここまで長引くとは彼らも思っていなかったのだ、仕方がない。

 平安の時代、元服げんぷくをして大人の仲間入りをするのを大抵十五、十六までに済ませなければならなかった。そして元服後はいくつかある寮という、現在で言うところの〇〇庁のような場所で働き始めるのだ。

 そして青斗は十四。もうじき彼も陰陽寮にて働かなくてはいけない。その前に、この力についてなんとかしなくてはいけなかった。


 青斗は久々の外にわくわくしていた。しかもあの大陰陽師・安倍晴明に会えるというのだ。朝から変に気持ちが高揚して仕方がなかった。

 父に道中抱っこしてもらいながら(彼はこの時身長が実際の年齢よりももっと幼い子供のそれで、体重も軽かった)、土御門大路にある安倍晴明邸へと向かった。


「……おや、思ったより早い到着だったな」

 膝の上に書物を置いて読んでいた晴明は、段々と近づく足音に顔を上げた。

「晴明殿、ご無沙汰しております」

「子供の力を制御してほしい、だったか」

「はい。もうじき元服を終えなければならない年齢、このまま働きに出てはただ足でまといになってしまうのみ……なんとかできませんか」

「頼まれては仕方がないからな。見せてみろ」

 青斗はそう言われて、そろそろと晴明の近くまで歩み寄る。

「……ああ、案ずるな。しばらく別の部屋で待っていてもらえるか?」

「は、はい。分かりました」

 父が几帳の向こうへ行ったのを見届けてから、晴明は改めて青斗に向き合った。

「名は、なんというんだ」

「あ、青斗、です」

「そうか。よい名だな」

 晴明はそう言いながら、青斗の頭をくしゃりと撫でる。

「……そうだな、青斗。目を瞑っていてくれるか?」

「分かり、ました」

 青斗はゆっくりと目を瞑る。

 晴明は青斗の頭に手を置いたまま、何事かをぼそぼそと呟く。青斗にはそれがうまく聞き取れなかったが、きっとなにかすごい術なんだろうなと思って、庭にいる虫の音を聞きながら頭の上のぬくもりを感じていた。

 一方晴明は、青斗の中にある力の姿を見つけようとしていた。その姿が分かれば、どのくらいの力を持ってすればそれが抑えられるかが分かるからだ。

 てらてらとした鱗を持つ体、蛇だろうかと思っていたが一向に頭が見えない。近すぎるのだろうかと、その姿から離れると、やっと全貌が見え始めた。

「──龍?」

 そう、晴明が見た青斗の力の姿は、巨大な龍だったのだ。

 これは大仕事になりそうだ、と晴明は苦笑して、その龍を抑え込もうと新たな呪文を唱え始めた。


 長い時が過ぎた。青斗はいつの間にかうとうとしてしまっており、はっと目を開けると疲れた顔をして微笑む晴明の姿があった。

「す、すみません、寝てしまって」

「いいんだ。心の中を見られるのには、見る方にも見られる方にも負荷がかかってしまうからな」

「大丈夫、でしたか?」

「なかなか大変ではあったが、なんとかなったぞ。そうだな……なんと言えばよいか」

 晴明は少々考え込み、はっと思いついたように口を開く。

「お前の中の力を、ぎゅっと小さくして入れ物の中にしまっておいた。だから必要な時には取り出せるし、要らない時にはしまっておける。ただし取り出してしまうと、お前の力では元に戻せなくなってしまうから、気をつけるんだぞ」

「……は、はい」

「よし。これからは倒れることもなく稽古もできるだろうよ」

「ありがとうございます」

「……お前の力は、諸刃の剣だ。強大故に反動が大きい。私も昔は苦労したものだ」

「晴明様も?」

「ああ、毎日ふらふらになりながら、段々と力を制御できるようになっていった。きっとお前も、私の力無しにその龍を抑えておくことができるようになるはずだよ」

 晴明の優しい声と微笑みに、青斗はこんな立派な人になりたいと心から思ったのだった。

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