第26話 海鮮丼と天橋立の牡蠣
車の中でスマホをチェックしたが、紗耶香からの返信はなかった。
しばらく走ると、海鮮丼店の看板が目につくようになった。何件か通り過ぎた後で、割と大き目の海鮮丼屋に車を停めた。
「犬同伴ありだって」
駐車場には多くの車が停まっていたので、観光客で賑わっているようならば、諦めようと思ったが、ひとまず探索の目的で店内へ。すると、車の数の割に店内はがらんとしていた。
「あれは全部、従業員の車だったの?」
わたしは従業員に犬同伴の確認を取ってから、晋之介を連れ、テラス席に座った。海側のテラス席には、わたしと晋之介、他にカップルが一組座っていた。
子供連れの客がわたし達の後に入って来たが、彼らは屋内にある席に着いた。屋内には他に年配の女性が3人。全ての席を合わせて50席ほどの店は、寂しいくらいに空いて見えた。
メニューは豊富だった。犬のメニューを吟味し、店員に犬がアレルギー体質だということを伝えた上で、晋之介には軽食を注文。わたしは海鮮丼の中でもいちばん高価なものを頂くことにした。
「旅行に来たら多少の贅沢はいいよね、晋之介」
食事が届く間、スマホを開いたが、紗耶香からの返信はない。それを確認し、どこかホットしている自分にも気づいていた。もし紗耶香と対峙し、春人との疑惑を突き付けたとしても、紗耶香はわたしの質問に淀みなく答え、わたしを納得させるだろう。わかっていた。わかっていたのだが、紗耶香がわたしの疑念を消してくれる事に期待をしていたのかも知れない。わたしという女は、どこまでもしみったれている。
「あっ、ご飯、来たね」
運ばれてきた御前の中央に鎮座する大きな塗り茶碗の蓋は、海老の頭と尻尾がはみ出て閉まらない。
「なんてこった」
胸をわくわくさせ蓋を開けた。
「ん、意外と少ない」
有頭海老の身は心なしかよれよれで、他にホタテ、マグロ、雲丹、イカ、鯛、イクラが飾られていたが、どれも元気がない。
「死んでるんだからね、元気はないね」
問題は味だと。好きなイカに箸を伸ばすも、お箸の先がイカにふれた瞬間に、あまり新鮮ではない事がわかる。しかも分厚く切ってあるので、硬くて飲み込むのに時間がかかった。
「ご馳走様でした」
全てを食べ終え、ほっと息を吐いた。
「みんなコロナで大変なんだよ、きっと」
先に食事を済ませた晋之介は伏せをして海を眺めていた。わたしも椅子をずらし、海に向って座った。間人で見た日本海とは、少し印象が変わっている。水面に凪ひとつない穏やかな海は、春の陽をきらきらと輝かせていた。
わたしは晋之介と同じ風景を眺め、ひとり心穏やかだった。遅くても明日には東京に帰らないといけない。働かないですむのなら、晋之介との基調な時間を、残りの十数年を余すことなく一緒に刻みたい。そんな日々の妄想をしていたら、スマホに着信が。テーブルの上でサイレントの機能が作動し思わず身体をびくつかせた。
「あー、驚いた」
微笑みながらこちらを見るカップルに頭を下げ、スマホを手に取った。
「紗耶香からだ」
心を落ち着かせるため、深く息を吸い込んでからメールを開いた。
紗耶香のメールには、「高台寺の裏木戸で18時」とだけ書かれていた。
「高台寺の裏木戸って、どこのこと?」
車を走らせ、高台寺の地図を頭の中で描いた。京都で行った場所を順を追って行くと、靄のかかった記憶が次第に開けてくる。
「もしかして、あそこかな」
紗耶香との思い出ではないが、たしかにあの日、高台寺に行った。そして裏木戸から入ろうとしているアジア系観光客数人に、正面からお金を払って入るよう注意をした記憶がある。
どうして紗耶香がその場所を指定してくるのか、なぜわたしがその場所に行った事を知っているのか、全く不可思議だったが、とりあえず行くしかない。そうすれば、紗耶香の素気ないメール対応の真意もわかるだろう。
「紗耶香、何か気づいてるんだね」
ひとり言のつもりだったが、晋之介が反応を示した。それまで窓外を見ていたのに、わたしの横顔をじっと見つめている。
「どうしたの?おしっこはさっき行ったしね」
信号で止まった時、晋之介の頭と身体を撫でた。晋之介は瞬きもしないでわたしを見ていた。こういう時は、とても悲しそうな顔をしている。一体、晋之介は何をわたしに訴えたいのだろう。
指定された時刻まで時間があったので、途中、天橋立に寄り、晋之介を散歩に連れ出した。自転車を借り、天橋立を走った。観光客は数名いたが、邪魔にならない密度だった。中間辺りで自転車を降り、砂浜を歩いた。波を怖がる晋之介が、この日ばかりは冷静にわたしの横を歩いて水際まで来た。数分、海を眺め、自転車に乗って元の場所へ引き返した。
自転車を返却し、お土産屋を散策すると、大きな干物店に着いた。そこで岩ガキを2個食べた。大きな大きな岩ガキだった。新鮮で磯の香で鼻孔が膨らんだ。晋之介は、岩ガキには興味のない様子で、店先の長床几に座るわたしを、ひたすら眺めていた。レンタサイクルも、天橋立の砂浜も、この干物店も、全て春人との旅行の再現だった。岩ガキは当時、時期外れで販売してなかったが、もしあったとしても、春人は生の牡蠣を食べないので、この日同様、わたしひとりが食べ、春人はその様子を眺めていたのだろう。そう、きょうの晋之介のように。
「そろそろ行こうか?」
車に戻り、少しだけ倒したシートに身体を預け、暫し休憩した。
「なんだか疲れた」
これから紗耶香と会うというのに、気力も体力も消耗している。親友だと思っていた友人と、この様な形で対峙しなければならないなんて、全く情けない。このまま紗耶香を無視して帰ろうかと、気弱なわたしが顔を覗かせた。
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