第25話 伊根町で〇〇を大量購入

明朝、中華風の朝食を部屋の庭で取った。

朝がゆの他に、ザーサイ、蒸籠に入った点心、杏仁豆腐。食後、温かいジャスミン茶が入った茶碗を両手で弄びながら、薄っすら雲が広がった空を見上げていた。なぜだか今朝は気持ちが重い。他の人も同じような時があるのだろうか?ただ悄然とし、掌の中の茶碗を口に運ぶ。「無になりたい」というよりも、「消えたい」が合ってるかな。しかしこの様な感情は長続きしない。それは一重に晋之介の存在があるからだろう。犬は心底明るい。寂しがり屋で臆病で。野犬でない限り、人の手を借りないと生きるのはむりだ。ましてや2歳にもならない犬なら尚更。手が焼けるからこそ、憂鬱になっている間がない。

そういえば結婚当初、春人を大型犬みたいな人だと思ったことがある。彼は表現も大きく、スキンシップも激しい。喜怒哀楽もわかり易いから、特に気を遣わずに暮らしていける人だと、楽な人だと、そう思っていた。

いまは自殺した春人の心の闇を思う時、紗耶香の顔が先に浮かんで来る。わたしに言えなかった悩みを紗耶香に聞いて貰っていたのだろうかと。

「ばかみたい」

いつも同じ事で悩み、いつも同じ結論を導き出す。これでは先に進めない。

そう思ったからこそ、京都に来たのではないか。いろいろな理由をつけて。

「紗耶香に連絡してみよう」

茶碗を丸テーブルに置き、わたしは部屋の隅に片づけた鞄からスマホを取り出した。その場に座り、SMSを開き、一呼吸おいてからメッセージを書き出す。ところが、京都に滞在していることを伝える文章を書いたところで、晋之介がわたしの腕に「お手」をした。

「待ってね、いま忙しいから」

そう言っても、何度も同じ事を繰り返すので邪魔になり、わたしは立ち上がり、部屋の中を歩きながらメッセージを綴った。

「送信」

送信を押す時、躊躇いは消えていた。イチかバチかの勝負だった。

紗耶香と話すことが叶い、その内容でわたしが傷つき、春人の想い出が、薄汚れてしまう結果になろうとも、この悶々とした日々とは決別できるかも知れないのだ。もう逃げるのはよそう。


チェックアウトを済ませ、日本海に背を向けて車を走らせた。紗耶香からの返信は未だない。不意に伊根町に行こうと思い立った。船宿で有名なところだ。朝の曇り空が晴れ間を見せてくると、心がどんどん観光モードになる。この時点でのわたしは、紗耶香との対決を軽く考えていたのかも知れない。

伊根町はがらんとしていた。観光客と思える人の姿は殆どなく、住民らしき人物とすれ違うのも稀だ。以前、この辺りを車で通り過ぎた事があるが、その時は人でごった返していて、駐車スペースを確保するのも難しかった。

今年、わたしの勤める病院の院長が家族旅行で福井県に行った。GO TOトラベルも休止になっていた時期だったが、新幹線も旅館も旅先の観光地も空いていて、何をするにもスムーズで、特に嬉しかったのは蟹が安く食べられた事だと。感染対策が為されている旅館なので、なんの心配もないよと、また行きたいと話していた。

「たしかにね」

院長の行動を不謹慎と捉える看護師もいたが、こうして自分が出掛けてみると、この時期の旅がまんざらでもない事に気がつく。かと言って、旅に出た事を知り合いや職場関係者に話すつもりはない。なんと言ってもわたしは医療従事者なのだから。風当たりが強いだろう。

「院長先生は強気でいいよね。大見え切って医師会を毛嫌いしてるし。でもさ、昨年末ぎりぎりまでコロナ対応の国立病院に缶詰だった訳だし、院長には院長の言い分がある」

晋之介と防波堤の上を歩いていた。周囲を見渡すと、釣り人が数人いるだけで他に人気はない。全くのどかな所だ。見たところ、人の数より鴎の方が多い。鴨がやかましく鳴いている。

「こんなところに住んでいたら、都会の騒がしさを嫌だと感じるだろうな」

函館生まれのわたしは、海のある景色に思い入れがある。いつか晋之介と海のある町で暮らせたらと時折考える。それは退職後の事になるだろうけど、その時には晋之介はいないのに、そんな将来を描き、いつも打ち消す。

一通り、町を散策して車に戻った。ふと見ると、駐車場の隣にお土産屋さんらしき建物がある。気になり入って見ると、特にこれといって何もない。どういう訳か、わたしは安かった長ネギを大量購入し、すぐに後悔した。これを持って新幹線に乗り、匂いを充満させて晋之介のカートを押すのかと思うと憂鬱になる。

しかもわたしは、ネギが苦手だった。

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