第24話 間人温泉

レンタカーを借りる前に晋之介を散歩させたが、京都駅周辺には広場が見当たらず、少々時間がかかった。レンタカー会社には犬のことは伝えてある。こういう時期だからだろうか、追加料金は要らないと言われた。コンパクトタイプの普通車を借り、ここから一気に間人まで走るつもりだ。2時間から3時間で到着できる。夕ご飯が19時なので、その前にどうにかお風呂にも入れそうだ。自家用車と同じく、晋之介は助主席に座らせた。窓を全開にすると、晋之介は喜んで顔を出し、時折、下を向いて道路を眺める。路肩が移動する様子がお気に入りのようだ。

宿のチェックインは新設されたコテージで行う。レンタカー会社もそうであったが、完璧な感染対策が為され、人との接触が最低限とされている。

「これならば行動制限する理由はないんじゃない。ね、晋之介」

この旅館も、昨年の秋ごろにペット同伴のコテージを新設したとホームページに載っていた。人間の移動が極端に減り、収入も激減したという。そこで思いついたのがペットも泊まれる旅館だった。そもそもが10組限定のような小さな宿だが、敷地が広く、そこにコテージを数棟建てたのだ。そのうち2棟がペット同伴可能で、いつも混みあっているのだが、今回はキャンセルが出たということで急な予約も無事に取れた。

「おーー、こんな感じなんだね」

部屋は寝室と居間に分かれていて、かなり広々としている。犬用のエサ入れやトイレシートにウエットティシュも用意されていて感動。畳は防水加工のものらしい。全ての部屋に露天風呂もあり、春人と泊まった時よりも豪華な感じがした。

「凄いね晋之介、こんなお部屋に泊まれるんだよ」

晋之介は相変わらず部屋中の匂いを嗅いで回っている。犬の習性とは難儀なものだ。

荷物の整理をし、部屋の露天風呂に入る時には、すっかり日が傾き、夕焼けがきれいだった。春人との時は二階の部屋だったので、部屋の露天風呂から水平線に沈む夕日が見られたが、今回はコテージ式なので、庭の草木が赤く染まって行くのを眺めていた。至福の時間がすぎ、夕飯が用意される時に、はじめてこの宿の従業員と出会う。着物にマスク姿、多くは語らず、お料理が運ばれてきた。わたしと同じくらいの年齢の仲居さん達に、心付けを渡そうとしたが、サービス料に含まれていると丁寧に返された。

「これで二回目ね」

心付けを断られたのは二度目であった。最近は受け取らない宿泊施設が多いと聞くが、昔、家族旅行に出掛けた際に、母親がそっと仲居さんに渡した心付けを、それを常識だと認識していたので、自分も大人になったら当然、そうするのだと、ぼんやりとだが心に決めていた。

お待ちかねの夕食。

「そういえば」

春人とここに泊まった時の夕食を、わたしは鮮明に記憶している。色どり鮮やかに盛り付けられた京野菜の前菜に、海鮮盛り。その中の鬼海老の味はいまでも忘れられない。その他、のどくろの煮付けはひとり丸ごと一尾。アワビの姿焼きなどなど、お酒を飲むのも忘れて、料理に夢中になっていた。

「晋之介、かんぱい」

大きなテーブルいっぱいに並べられた料理の写真を撮ってから、わたしは瓶ビールをグラスについで、晋之介に向けて乾杯した。晋之介との乾杯は毎夜のことだが、運ばれてきた料理をスマホで写す行為はなかなか難しい。特別な拘りがある訳ではないが、折角の料理が冷めてしまうのと、「料理」+「写メ」が繋がらなく、気づいた時には箸をつけている事が多い。ただそれだけの事だった。

「どれから食べようかな?」

身体の為には野菜からにしたいところだが、お腹が空きすぎて、雲丹に箸を伸ばした。

「うーん、美味しい」

ミョウバン臭い雲丹とは全く違う。日本海の味がした。

雲丹を頬張るわたしを、晋之介が見つめている。それもかなり近い距離で。

「普段の生活の中で晋之介のことを羨ましいと思うことはいっぱいあるのよ。例えば、働かないで家でゴロゴロしてるとか、職場などの人間関係に悩むことがないとか。でもね、晩酌の喜びと、ご飯に関しては、人間で良かったなあと思うの。晋之介には悪いけど、ここに並べられた料理で晋之介が口に出来るのは、生野菜だけかな」

「ほい」と言って、わたしはバーニャカウダーの野菜を晋之介の口に持って行った。晋之介は一旦、顎を引き、数秒悩んでから口を開けた。

「晋之介は警戒心が強いねえ。いっつも一瞬、いやな顔をする」

飼い主のわたしがあげる物でも、晋之介はいつも同じ行動を取る。ここら辺も春人に似ていた。春人は人間なので、明らかな警戒心を表現しないが、はじめての料理の時は、レストランであっても、自宅であっても、口にする前に眺める。特に多国籍な料理に関しては苦手意識があったみたいだ。

「どうしてこんなに春人に似てるんだろう。もしかしたら晋之介って春人の生まれ変わりだったりして」

けらけら笑うわたしを晋之介はじっと見つめていた。そして料理のおこぼれを貰うのを諦めたのか、そっと伏せをし、伸ばした前足に横顔を乗せ、目を閉じた。

「晋之介が人の言葉を話せたのなら、なんて言うのだろう。わたしに言いたい事、たくさんあるんだろうな」

長時間の移動で疲れている晋之介を起こさない様に、テレビのボリュームを下げ、わたしは酒肴を楽しんだ。

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