第21話 警察の事情聴取

2月、今年はじめて雪が降った。

東京の街路樹を白く染めた空を、わたしは見上げていた。

「わたしと関わる人間は自死を選ぶのか」

晋之介には20メートルのリードをして、公園内を自由に走らせている。以前、50メートルというのを購入したことがあるが、あまりの長さに使いこなせず、今回は20メートルにしたのだ。こちらの方が使い勝手がいい。

「てっきり函館に帰ったと思っていたのに」

智美と下の居酒屋で飲んだ後、酔いつぶれた智美を店の店員さんの手を借りて二階まで運んでもらい、カウチに寝かせ、わたしも床についた。そして朝、目覚めると智美の姿はなく、荷物の入ったバッグも消えていた。酔いつぶれたのが恥ずかしくて黙って帰ったのだとばかり思っていた。その後、智美からの連絡はなかったし、わたしも、そのままにしていたのだが。それがこんな事に。

「晋之介、帰るよ」

ダウンを着ていても真冬の公園は寒すぎる。かれこれ1時間もこうして晋之介を走らせていた。どこで拾ったのか、小さなポーチの様な物を加えてこちらに走って来る。

「それなに、ちょうだい」

しゃがんで、晋之介に手を差し出す。間近で見ると、それがポーチではなく財布だと気づく。雪と汚れを払い、二つ折りの、黄色の財布を開いてみた。中にはID、クレジットカード、札束が入っている。

「えっ、なにこれ、落とし物だよね。見てもいいかな?」

立ち上がり、何気に周囲を見渡し、わたしはIDを取り出した。

「困ってるだろうし、交番に届けないとね」

先に交番へ持って行けば良いのに、わたしは変な好奇心にひかれていた。しかし、そんなお粗末な考えは直ぐに後悔へと繋がる。

「…うそ。そんなことって」

わたしは晋之介を見た。晋之介はお座りをして、こちらを見上げている。じっと、わたしから目線を逸らさずに。

「なんで、なんでここに智美の財布があるの」

IDには、智美の顔写真と名前がしっかり書かれていた。わたしは急激な胸の痛みを感じ、その場にしゃがみ込んでしまった。


随分と長い時間、寝ていたような気がする。晋之介の散歩に行かなきゃと思いつつ、何度も寝入ってしまった。いつくも夢を見た。函館での夢、智美の夢、紗耶香、そして春人の夢。目覚めて、再び寝るたび、夢が変わった。どれも曖昧で、詳しい内容などは覚えていないが、泥臭い夢だった気がする。

智美の財布を見つけ、それをその場に放置して帰宅したのには訳がある。朧気ではあるが、あの夜、わたしは智美に嫌悪感を抱いていた。しかし決して智美に酷い言葉を浴びせたとかそういう事ではないのは知っていたのだが、智美の口から聞いた、結婚式の二次会での出来事に、春人にだけではなく、その事をわたしに教えた智美に対しても、不信感を持った。自分では認識していなくても、態度や口調に出てしまっていたのでないか。ゆえに、智美はこっそりと家を出たのでは。家を出てから自殺を図るまでの間に何があったのか。

「智美は二次会の事を告げる為だけに東京に来て、そして自殺した?」

温かいココアを一口飲んだ。

「それとも最初から自殺が目的で、わたしはその通過点にすぎない?」

そう都合よく考えると、自分の気が少し楽になる。28歳、子供はなく、仕事もせず、自由気ままな生活を送っているとばかり思っていた智美の中にある鬱屈が、自分とは違う世界の出来事であって欲しいと願った。

「でも、なんで智美の財布が近所の公園にあるの?青梅街道に出る前に立ち寄ったのか?でも、公園は駅側だし、反対方向だよね。酔い覚ましに歩いていたのかな?」

あの財布を見つけてから、あの公園には行っていない。もうひと月になるだろうか。晋之介には悪いが、駅から反対側の商店街を抜け、フランスの街並みに似ていると言われる街路樹の建ち並ぶ道を散歩するのみになった。青梅街道も避けている。きょうもそのルートを通り、6キロほど歩いて、帰宅の途に着いている。春はまだ遠いが、梅の木が満開で、長い冬の終わりを告げてくれているようだった。それはどこか希望にも似た光景で、わたしの心を躍らせた。

「こんにちは」

マンションのバーのマスターが晋之介を見て、寄って来てくれた。

「マスター、きょうは暖かいですね」

「ほんまに、そろそろ春が来るね」

晋之介の顔を撫でていたマスターが立ち上がり、わたしの部屋を見上げた。

「お客さんが来ているようやで」

「お客さん?」

マスターが声を潜めるので、わたしも慎重になり、自分の部屋の窓を見た。

「だれだろう?」

部屋に向かうと、ふたり連れの男が立っていた。わたしを見て頭を下げるが、尋常とは違う雰囲気に、すぐに警官だと悟った。きっと智美のことを聞きに来たのだろう。わたしは彼らに一礼し、家に晋之介を入れ、もう一度、玄関先に出た。

「外村桜花さんですか?もうお分かりかと思いますが、私たちはこういう者で」

そう言うとテレビドラマさながらに、警察バッジを示してくれた。はじめて見る実物の警察バッジに、心なしかテンションが上がっているのを感じる。

「智美のことですよね」

「はい。智美さんは外村さんの幼馴染でよろしかったですか?」

濃いめの顔の方の警官が聞いた。

「ええ、でも親しくはありませんでした?函館を出て長いので」

「しかし、昨年11月にこちらに泊まりに来たと聞いてますが」

薄い顔の方の警官が聞いた。

「あれも突然のことで。いきなり押しかけられたというか…」

智美との関係を否定する言葉がつらつらと出て来る。財布を放置したことを知られたくない気持ちが先立っていた。

「押しかけられた?」

メモを取っているのは濃いめの警官の方だ。

「幼少期というか、子供の頃に近所に住んでいて、幼稚園と小学校が一緒だっただけで、その当時から特に仲が良かった訳ではないのですが、なんていうか、群れになって遊んでる中のひとりというか」

「しかし自身の結婚式に呼ばれたんですよね?」

「智美の結婚式にも招待されたので」

「呼ぶ気はなかった?」

「そこまで期待していなかったというか、言葉がおかしいけど」

「不思議なんですよね、昨年、東京に来ることを、ご主人にも、ご両親にも、まわりの誰にも伝えていない。そんなことってありますかね?」

「わたしに聞かれても」

束にしている髪が頬にかかり、それを耳に掛けると、これまで質問してきた薄い方ではない方の警官が、にこりと口角だけ上げ、微笑んだ。

「ここではなんですので、一度、署でお話を聞くのは可能ですか?」

「警察に行くのですか?わたしが、なぜ?」

「実はですね」

そう話し出したのは薄い方だ。

「智美さんの死にはいつくかの疑問点がありまして、当初は自殺と判断していたのですが、ご両親の強い希望もあり、捜査をやり直しているんです。そこで外村さんの存在が浮上しまして」

警官は両手を広げて左右に振った。

「いえいえ、外村さんを疑っている訳ではないのです。ただ、智美さんが亡くなる直前まで一緒にいたのがたまたま外村さんで、少しその時の状況などをお話頂けたらと思っているのです。どうかご協力下さい」

断ることの出来ない、無言の圧力を感じた。後日、任意の取り調べを受けた。

薄い顔の警官は近藤といい、濃い顔の方は近松と名乗った。

取り調べといってもテレビで見るような部屋には入らず、職員のごった返すフロアの隅で行われた。

応接セットを囲いで仕切っただけの空間に通されたことに、ここに来るまでの不安と緊張は少し和らいだ気がする。ふたりの警官は恐縮して何度もわたしに礼を言い、智美との関係、智美が東京に来た経緯、会話の内容、その当時の智美の様子を聞いた。答えた内容を、別の若い女性警官が入念に書き記していた。未だ新人なのか、おどおどと不慣れだ。

応接室で待たされた時間を入れると1時間は警察署にいただろう。晋之介の散歩の時間を考え、昼過ぎには帰宅できたのは幸いだった。この日、晋之介はお腹を壊しており、朝から何度もトイレに連れ出している。目覚めに大きな、叫びにも似た声を出し、玄関のドアを睨んでいる晋之介を見て、寝起きのまま家を駆け出した。昨日、どこで拾ったのか、コンビニで貰うマスタードの小袋を噛んでいたのが原因だろう。以前にも、マスタードとケッチャップが一緒になったものを拾い食いしてお腹を壊したことがある。全く、晋之介の食い意地には困ったものだ。

智美のことを散々聞かれたが、わたしの知る範囲は狭く、同じことを繰り返すしかなかった。披露宴の二次会でのことと、落とし物の財布の話しは出なかった。あの日、智美との会話を居酒屋の店員に聞かれていたという感じもなかったし、とりたてて言う必要もないと考えた。というよりも言いたくなかったというのが本音である。要らぬことで春人を汚される気がしたからだ。財布のことは気になった。指紋が付着しているのではないかと。そこは、わたしがいつも晋之介を連れて行く公園という事もあり、充分勘繰られる要因になる。その点では内心、動揺していたが、結局財布についての質問はなかった。

財布はまだ発見されてないのだろうか。

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