第18話 夫と友人の不可解な行動

お正月の支度をしていた。

門松としめ縄を玄関に飾りつけ、勤務先の病院で貰った、つきたての餅の上にみかんを乗せた。あとはお節料理を拵えるだけだった。我が家は大晦日の夜からお節を食べる。これは子供の頃からの慣習で、大晦日にお節料理を食べないと、お正月が来ないような気がしていた。

「智美がねえ」

この言葉は、智美が帰ってから何度もつぶやいた。

先月、智美が遊びに来て、わたしに唐突に、何度も告げた「桜花の彼に会いたかった」の言葉。最初は何を言っているのかわからなかったが、下の居酒屋で酒が入るにつれて、言葉が滑らかに、そして露骨に出て来た。


「こーんな都会にマンション買って、犬まで飼っちゃうなんてセレブだね」

5杯目のホットワインを飲んだ智美が、ピンチョスを口に含んだ状態で、居酒屋の椅子の背もたれに身体を任せかけ、ビニールカーテンで囲まれたテラス席を見渡した。

「セレブなんてことないよ、全然違うよ」

たしかに都内のマンションは高いし、犬もお金が掛かるが、わたしの生活はセレブとは程遠い。

「でも残念」

「なにが?」

ピンチョスの先に刺さっていたミニ点心を飲み込み、智美は酔った目でわたしを見た。

「これで春人くんがいたら、もっと楽しかったのにね」

「春人くん?」

智美が夫の下の名を呼んだのを聞いたことがない。わたしは戸惑いを隠せないでいた。

「あっ、ごめん、ごめん。春人くんて呼んでいい?」

「別にいいんじゃない」

「私、ほら、結婚式ではじめて春人くんを見た時に、桜花はいいなあって思ったよ。清潔そうなハンサムっていうかさ、春人くん。それでね、そーと、うちの夫の横顔を見たの。見比べたのよ。がっかりしたのさ。そりゃあ、夫の実家は歯医者で、あたりまえに夫も歯科医で、実家を継ぐけど、金持ちかも知れないけど、それでも不細工は3日も持たないよ。嫌になる」

「そんなこと」

「それでね、式の二次会の時だったかな、たまたま偶然、お手洗いに立った時、春人くんを見掛けたのよ、廊下で」

「トイレに行ったんだね、春人」

「私、早歩きして、春人くんを追っかけたのさ」

「追っかけた?」

わたしは持っていた箸を床に落としてしまった。拾おうと床に手を伸ばすと、床の敷物の上で寝ている晋之介が顔を上げたが、すぐに溜息をつきながら寝た。

「そんなに驚かないでよ。私の方が驚いたんだから」

「えっ、なんで智美が驚くの?」

「それがさ、春人くんに声を掛けようとしたらさ、女トイレからあの女が出て来て、私よりも先に春人くんに声を掛けて、ふたりで歩いて廊下の奥に行っちゃってさ、春人くん帰って来るの遅かった時あるじゃん、覚えてない?桜花、店の中をキョロキョロしてたよ」

たしかに二次会の席で春人が長い時間戻って来なかった記憶がある。心配した春人の友人が、酔ってトイレで寝ているのではと探しに行った。ほどなくして彼らは戻ってきて、春人が男子トイレの個室で寝入り、なかなか起きなくて困ったと言っていた。

「たしかに、うん覚えてる」

「でしょう」

「トイレで寝てたって」

「女と一緒に?」

「いやいや、そんなことはないよ」

「なんでそう言い切れるの?」

「うーん」

「ねえねえ、その廊下に一緒に消えた女って誰だか知りたい?知りたいよね。知りたいに決まってるよね、ここまで聞いたら」

教えたくてムズムズしているのだろう。知りたくないと答えたところで、智美は必ずその女の名前をいうし、その女は確実にわたしの知合いなのだ。だから智美は面白がっているのだ。

「教えてあげる。それはね…」

その名前を聞いた時、血の気が引いて行くのを肌で感じた。

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