第4話 琵琶湖旅

9月下旬、わたしはゴーツーキャンペーンを使った旅行に出ることにした。

行き先は滋賀県。なぜ滋賀県かというと、琵琶湖で晋之介を泳がせたいからだ。以前、海に連れて行った経験があるが、波の激しさに驚いて、晋之介が尻込みしてしまった。琵琶湖ならば、湖なので波はそれほどでもないと聞いた。それに淡水だ。万が一水を飲み込んでも大丈夫だろう。わたしはどうしても晋之介に水で遊ぶ楽しさを体感させたいのだ。

自家用車の後部座席に犬用のカバーを敷き、準備は万端。東京から滋賀県まで高速を使って9時間というところか。日の出前に出発し、滋賀県の旅館に到着したのは14時を回っていた。おトイレ休憩を何度か挟んだにしては、いいペースで運転できた。

チェックイン前なので、時間つぶしに「近江舞子」とう名の浜辺に行くことにした。取り敢えず、荷物だけ旅館に預けた。おごと温泉にある、ペットOKの旅館から浜辺までは、そう遠くない。ナビを使い、湖まで辿り着くと、9月ということもあり、人出はゼロ。海の家らしきところも閉店していた。少し寂しい様な風景の中を晋之介と歩いた。長旅の窮屈さに壁壁していた晋之介は、広場に出られたと喜んでいたが、目的の砂浜(砂利浜)に着くと意気消沈。水に足をつけるどころか、小波に驚いて退散する始末。愛犬と一緒に砂浜を走る夢は、ここで途絶えた。

ビビり犬と旅館にチェックイン出来たのは、結局のところ、16時を過ぎていた。車を駐車場に停め、旅館の玄関先に来たところで、わたしは背伸びをして腰を回した。旅館のロビーと共有エリアは抱っこが基本である。この旅館のサイトを見た時に気になった事があり、直接連絡をしていた。

「あの、宿泊できるのは小型犬だけと書いてあるのですが、ホームページの看板犬は柴犬の様に見受けられ、柴犬もいいのでしょうか?」

控え目に聞いた。

「柴犬ちゃんも大丈夫ですよ。何キロありますか?」

「16キロ弱・・・」

ちなみに柴犬の成犬の標準体重は11キロくらい。太ってはいないが、大きく成長してくれました。

「抱っこできますか?」

「で、出来ます!」

「なら大丈夫です。ロビーではワンちゃんを抱っこして貰う事になりますので」

「チェックインの時も、ですね?」

「はい。お願いします」

明るい声だった。

その日から2週間足らず、晋之介を抱っこしながら、片手で宿泊台帳に記入する練習をしてきたのだから大丈夫。できるはず。晋之介、愉しい旅にする為だ。騒がないで大人しくしててね。晋之介を抱き上げロビーに入った。目の前に琵琶湖が広がり爽快だが、いまはこの犬の体重に集中しなければならない。

「ご予約のお客様で御座いますか」

フロントのカウンターに晋之介を抱える方の腕を凭せ掛け、「はい」と返事をした。

「こちらにご記入、お願い致します」

ネットで予約をしているのに、なぜ宿泊台帳に記入しなければならないのか。普段なら気に成らない作業が負担に感じる。

「あとは住所」

右手で記入していると、わたしの左肩に顎を置いていた晋之介が急に、そわそわし出した。

「どうしたの?お利口さんして」

傍を犬が通りかかったのだ。ちらりとそちらを見ると、可愛らしい髪飾りをしたプードルが、歯茎剥き出しで晋之介を威嚇していた。

「よしよし大丈夫」

犬に出会うと晋之介はいつも、変な遠吠えをする。周囲がこちらを一斉に振り向くほど変な声だ。

この時も期待を裏切らない、見事な裏声を出してしまった。

「うおーおーおー」

「晋之介、しっ!」

他のお客さんに指をさされて笑われた。

「すみません」

カードキーを受け取る時には、重さで手がぷるぷる振えている。

「よいっしょ」

抱え直し、エレベーターまで向かった。晋之介、はじめてのエレベーター。

外の景色が見られる作りになっているので、晋之介は目を真ん丸にして窓外を見ている。

「すばらしいね。きれいだね」

部屋のある階の、エレベーターホールに降り立つと、自分の部屋の番号を探した。

「よし、こっちか」

廊下を歩きながら、どうか部屋が近い場所にあるようにと祈った。

「晋之介、重いから、エレベーターに近い部屋がいい」

がっ、しかし、祈りは届かず、部屋は廊下のいちばん奥にあった。限界を感じながら、歩き進め、漸くカードキーをかざしてドアを開けた。

「ついたよー」

晋之介を下ろし、左手を揉みながらベランダの窓に寄った。

「きれい、海みたい」

対岸にそびえる山々を見ていると、「夏草や兵どもが夢の跡」という芭蕉の句が浮かんだ。400年前に想いをはせる。動乱期の日本、この滋賀が舞台の中心になっていた時代があったのだ。足元でわたしを見上げる晋之介を見た。

「晋之介、明日、安土城に行ってみようか」

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