第8話 プール その二

 水着が脱げてから、慎重になったのか、ゆっくりと歩く色さん。

 可愛い姿が見えたから俺的には役得だったが、本人はそうもいかないだろう。

「うぅ。帰りたい」

「じゃあそうするか?」

 別にデートは一日満喫する必要はない。

「ダメ! それじゃあ、まだ落とせていないかな!」

 意地を張る色さんだが、ふくれっ面の彼女も可愛い。

 コロコロと表情を変える子だな。

「次、流れるプールに行くかな!」

 意外とリーダーシップをとりたがる子なのかもしれない。

 昨日のメッセの時点で気づくべきだったかもしれないが、彼女は指揮を摂りたがるタイプなのかもしれない。

 機嫌を直してくれるといいのだが。

 色さんはバナナボートを借りると、俺を誘ってくる。

 前に色さんが乗り、その後ろに俺が座る。

 うなじが見えて、さらにはお尻の丸みまで見える。これこそ役得では?

 むずむずしていると、のんびりと流れる風景に視線を移す。

 このままではマズいと判断した俺はバナナボートから下りようとする。

「俺、泳いでくるよ」

「? なんで?」

 いやムラムラしてきたとは言えないよな。

「あたしのこと嫌いになったかな?」

 すごく寂しそうな声音で、眉根を悲しそうに寄せる。

 そんな顔をされると弱いな。

「もう少ししたら、泳ぎに行こうか?」

「うん!」

 百点満点の笑顔で応じる色さん。

 なんだかんだ言ってこの子可愛いな。

 のんびりと進むバナナボートだが、俺は周囲の景色を見て我欲を抑えることにした。

 なにせ水着一枚だ。バレてしまう可能性がある。

 しかし、リア充や陽キャ、パリピはどうしてこんな状況を乗り越えているのだろうか。

 彼らはもはや人を超えた存在、神の領域にでもたどり着いているというのか。賢者と言う奴か。俺はあれが妄想でしかないと思っていたが、そうではないらしい。

 ちゃんと賢者や神はいるのだ。でなければ、ムラムラが抑えられない。

 一週、バナナボートを終えると、俺と色さんは降りて返却する。

「ねぇ。泳ぐ前に少し休まない?」

 ふと時計を見ると十一時半。お昼にするにはちょうど良い時間だ。

「ここで売っているのか?」

「うん。お好み焼きとか、タコ焼きとか!」

 嬉しそうに弾む彼女。

 そんな彼女の黒髪がさらりと揺れる。

「それで昨日聴いてきたのか?」

「そうかな! 食べ物を調べるのも抜かりないのです!」

 シャキーンと敬礼をする色さん。

 これで本当に座敷童なのだろうか。

「じゃあ、行こうか」

「うん!」

 飛びっきりの笑顔で頷く色さん。

 可愛い。


 プールの中央広場にはいくつかのお店が並び、中には焼きそばなんかもあった。

 でも俺と色さんは二人してお好み焼きを選択。

 二人してパラソルの下で座ると、パックを空けて、割り箸を割る。

「「いただきます」」

 そう言って食べ始める俺たち。

 濃い目のソースが他の食材の味をごまかしている。よく屋台である奴だ。

「ソースおいしい」

 色さんと一緒にいると、幸せになれるのかもしれない。

 そう思いながら食事をする。

 こんなに反応をもらえると、俺は嬉しくてたまらない。

 花子さんへの罪悪感を抱きつつ、今は今を楽しむことにした。

 しかし、色さんも本気で俺のことが好きらしい。

「ソース、ついているかな」

 色さんはハンカチを持つ手を伸ばし、俺の頬を拭く。

「なっ」

 かーっと頬が熱くなるのを感じる。

「さーて。すぐに泳ぐかな!」

 ごまかすようにして大きな声を上げる。

「もう少し休もう? すぐに動くと気持ち悪くなるよ」

「……それもそうか」

 なんだか。なんでもかんでも決めたがるみたいだ。

 少し若干、引いている俺がいる。

 こんなにも可愛い子だというのに、俺はなんで嫌な気持ちになっているのだろう。

 俺は指示されるのが嫌いなのだろうか。

 分からない。

 けど、色さんはなんか違うと思った。それは花古さんにも言えたこと。

 反応があると嬉しい。でも指示されるのは嫌だ。

 やっぱりトイレの花子さんがちょうど良いのかもしれない。

「なに難しそうな顔をしているのかな?」

「そろそろ泳ぐよ」

「それもそうね」

 訊ねていたことを忘れて新しいことに興味が向いたようで、泳ぎに行こうとする色さん。

 いやそれでいいんかい。

 俺はジト目を向けるが「ん?」と小首をかしげる色さん。

 何やら伝わってはいないらしい。

 まあいいや。問い詰められても困る話だし。

 しかし、色さんは失恋するのか。少し可哀想だな。

 イケメンとしてなんとかできないのだろうか。

 赤羽根さんに久しぶりに電話でもするかな?

 どうしようか。

 50mプールにたどり着くと、俺と色さんはゴーグルをし、飛び込む。

 別に競っているわけじゃないが、途中からそんな雰囲気が増し、俺たちは競うように泳いだ。

 50mの端、ターンの際に削られる速度を、回転運動で相殺することなく、次の泳ぎにつなげる……なんてこともできずにターンは失敗。

 足がもつれ、口から水が入ってくる。

 マズい。

 溺れた。

 足をつった。

 と、そんな俺の目の前に色さんが現れる。

 そのまま、俺を抱きかかえると、浮上して、呼吸を確保する。

「あ、ありがと」

 ちょっと水を飲んでしまったが、なんとか助かった。

 危うく死にかけるところだった。

「無事で良かった……。こんなところで死なないで欲しいかな」

「そりゃそうだろうな。俺も無理しすぎた。浅いプールで遊ぶか?」

「少し休んでからね」

「そうだな。それがいい」

 俺はパラソルの下。もたれかかれるベッドのようなものがあり、そこに腰を落ち着けている。

 隣では優雅にメロンソーダを飲む色さんの姿があった。

 俺もそれにならいハワイアンブルーなる謎の飲料を飲んでいた。いや良くあるかき氷のシロップ系の味がするんだけど。

 でもあの青いシロップって謎だらけじゃね? 何入っているのさ。

 まあ雰囲気が出ていいけど。

 と短絡的な思考に陥ると、だらけてしまう。

「それにしても、怪間くんて意外にも泳げるんだね」

「そうか。意外?」

 俺は聞き返す。

「そうかな。だって陰キャってイメージだったし」

「それは間違いないね。でも、俺は昔はもっと社交的だったんだ」

「そうなんだ。見えないけど……」

 失礼なことを言う奴だな。それとも距離が縮まったというべきなのか。

「それが、ある時に、な。まあ、いろいろとあったんだよ」

「じゃあ、前はみんなで一緒にプールとか来ていたのかな?」

「そうなるね。カラオケとか、ボウリングとか、色々と遊び回っていたな」

 懐かしむように目を細めると、色さんが柔和な笑みを浮かべている。

「どうした?」

「いえ。なんだか楽しそうに見えて」

「そんなことないって。俺は陰キャ。それだけだ」

「今は、ね」

 含み笑いを浮かべる色さん。

 そんな言われ方しても、俺が陽キャに戻ることはないんだろうな。

 ぼやっと考えていた。

 きっと俺はどこかで道を踏み外したのだろう。

 その先にある道がどんなものかは分からないけど。

 でも、前には進めている。

 みんなとも仲良くできている。

 あれ? これって陽キャの特徴に似てきていね?

 やっぱり赤羽根師匠に電話しよう。

 俺という人間がドンドン毒されている。

 まるで俺が俺じゃなくなってきているような気がする。

 このままじゃ、周りに流されて自己主張もできぬまま、死んだ魚のように働くことになる。

 それは嫌だ。

 俺は健全な精神を養いたいのだ。

 大人しい、素直。そんなうそぶいた言葉ではなく、心と心で語り合うような――そんなオトナになりたい。

 俺はまだオトナじゃないかもしれないが、これからはそうでありたいと願っている。

 そう言った意味では色さんはオトナだ。自分の意見をズバズバと言えるのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る