家族の証
普段食事をしているテーブル。
そこに俺と父は向かい合うように座る。父の傍らには母が立っている。
父からいつになく真剣な眼差しで見つめられる。これから目の前の悪人が働いた悪事を暴かんとする、そんな眼差しだ。
もちろん、俺は誓って悪事を行ってなどいない。しかし、ひょっとすると何か悪いことがしたのでは、と不安になってくる。
父は何も言わず、鋭い視線をこちらに向けている。
俺から質問しようとするが、何を話せばいいか分からない。いや、緊張で口を開くことができない。これが蛇に睨まれた蛙の気持ちというやつなのだろうか。
父親は変わらず何も言わない。しかし、その口は声を出そうとして、その直前でせき止められたかのように、わずかな息を吐き出す。
父は悩みに悩んだ末、ようやく意を決したように声を出す。
「アルマ、さっき領主様が来てな」
「うん、知ってるよ」
「領主様から、な。旅人の話を聞いたんだよ」
旅人。今朝このサンタナ領を旅立った召喚者、かもしれない人物だ。
旅人の話と、俺に何のつながりがあるというのだろう。
「その旅人は召喚者でこことは違う世界から来たらしいんだ」
「本当にそうだったんだ」
「ああ。それでな、領主様と旅人が食事したときにな」
待ってくれ、嫌な予感がする。その続きを口にするのは少し待ってくれ。
「『いただきます』って言ったらしいんだ」
喉を突かれた気分になった。
俺は自分が転生者であることを両親に隠していたわけではない。だからバレたところで気にする必要はない、とはならなかった。
正直に俺の正体を暴露することを、室内に充満する重い空気が妨げた。
この話を聞いた今でも、俺が転生者であることが悪いとは思わない。
ただ、怖かった。そのことを伝えると今までの家族としての関係が崩れ去る気がして。
緊張で息が荒くなる。
父の視線が肌に刺さるように痛い。
この場の空気が、俺の首を絞める。
もう、耐えられない・・・!
そう思ったと同時に俺はその場から逃げ出した。
後ろで俺の名前を呼ぶ声が聞こえたが、その声に反応することなく一心不乱に走り去った。
領民の間を強引に走り抜ける。
すれ違いざまに、気味が悪い、元の子が可哀そう、と言葉を投げかけられる。
背中に得体のしれないものを見る、そんな視線を感じながらその場を去った。
*
どれほど走っただろう。すでに自分の家は見えない。
脇目も振らず走った結果、サンタナ領のはずれにある大木に辿り着いた。
肩で息をしながら木の根元に腰掛ける。
何度か深呼吸をして、呼吸を落ち着かせた。
呼吸を落ち着かせると、頭も冷静になり、パニックで使い物にならなかった頭が思考できるようになった。
そして、領民の言っていたことの意味を理解する。
元の子が可哀そう。
元々この体の持ち主がいたのかもしれない。
あの平凡な家庭でアルマと名付けられた子がいたのかもしれない。
そしてその子の人生を俺が横から割り込んで奪ってしまったのかもしれない。
元の子が可哀そう。元の子が可哀そう。元の子が可哀そう。
「「わたしたちの子を返して!!!!!」」
両親がそう言う姿を想像し、喉に異物感を感じる。この異物を吐き出そうと必死に声を出す。それでも異物は取れない。
その後はただ無力に泣きじゃくった。
俺は、あの家の子ではなくなってしまったのだろうか。
死んで手に入れたあの愛情は、俺ではないアルマ・エンブリットに向けられたものなのだろうか。
不幸に希望を潰され続けた前世を振り切って、光に満ちた人生を送るという願いは許されないのだろうか。
そうだ。いつだってそうだったじゃないか。望みを絶つから絶望なのだ。俺はそれをよく知っていたじゃないか。
前世とは地続きじゃない、などとのたまって。
決めたじゃないか、辛い思いをするくらいなら希望なんて—----
「見つけた!アルマ!」
母親の俺を呼ぶ声が聞こえる。
いや違う、俺じゃない。
「心配したのよ、アルマ!」
俺はアルマじゃない。
「ほら、帰ろう。ここにいたら風邪をひいてしまう」
父が体を丸めて小さくなっている俺に声をかける。
「違う!!」
腹の底から、吐き捨てるように声を出した。
四歳の小さな体から発せられた怒号は、風でなびく草原に消える。
二人は少しだけうろたえて見せたが、すぐに平常に戻る。
「違う、違うよ。俺はアルマじゃない。お父さんとお母さんのアルマじゃないんだよ」
両手で顔を覆い、ひどく掠れた声で語る。
「俺は生まれ変わったんだ。一度人生を終えて、もう一度違う人生を歩いてるんだ。この体の、本当のアルマの人生を奪って」
二人は静かに俺の話を聞いている。一体どんな顔で俺を見ているのか。想像することにすら軽い恐怖を覚える。
「だから、俺はお父さんとお母さんの子供じゃないんだ」
この期に及んで、子供と親の関係を捨てられない自分に反吐が出る。
二人を遠ざけようと、必死に自分がアルマではないことを口にしておきながら、三人で送った日々を思い返し、見苦しくその思い出を手放せずにいる。
二人は静かに歩み寄ってくる。何も言わずに。今の俺にはそれがとても恐ろしい。
その歩みを拒絶するように声を荒げた。
「もう俺はあなたたちの子供じゃな—----」
言いかけて、アンナに言葉を遮られる。彼女に抱きしめられた。
「あなたは、アルマじゃないの?」
俺の耳元でアンナは優しい口調でそう告げる。いつもと変わらない母親の口調。
「そ、そう・・だ・・・よ」
そう、俺はアルマじゃない。
「あなたは私たちといて楽しくなかった?」
アンナは変わらず、慈愛に満ちた声音で語り掛ける。彼女の腕の中にいる俺の頭を撫でながら。
「・・・楽しくなんて・・ない・・」
そうだ、楽しくなんてなかった。
「じゃあ、エルちゃんと仲良くなれたって嬉しそうに話してたのも、エルちゃんはすごいんだって自慢していたのも嘘なの?あんなに笑っていたのに、それも嘘なの?」
「う・・そ・・」
嘘なんだ、全部。だから、もうやめてくれ。
俺に期待させないでくれ。
「本当?」
「う・・うそ・・じゃ・・ない」
「うん、私もあなたといて楽しかったわ」
込み上げていたものが一気にあふれる。
急ごしらえの言葉の刃が砕けていく。
その場しのぎの意思がほだされる。
捨てようとした関係、たったいま自らが否定した関係に惨めに縋りつく。
「あなたが楽しかったら私も楽しい。あなたが嬉しかったら私も嬉しい。あなたが悲しかったら私も悲しい。これ以上に家族であることを示すものってあるかしら。」
俺の涙で彼女の肩を濡らし、声にならない声が喉を鳴らす。
彼女は口元に笑みを浮かべながら話し続ける。
「私が一緒にいて楽しいと思ったのは、あなた。お父さんとお母さんに優しくて、エルちゃんのことが大好きで、私たちが知らない言葉を教えてくれて、たまに大声を出して泣いちゃう寂しがりやのあなた。私のアルマはこの世にあなたしかいないのよ。」
喉の異物感がすうっと取れる。さっきまでつっかえていたものが消えていくようだ。
胸に満ちていた暗い気持ちも、その言葉でゆっくりと溶かされる。
涙で霞む視界が青く光った。
「アルマ、すまない。俺もお母さんみたいにきっぱり言い切りたいんだが、俺はお前を疑ってしまった。情けないよな。だけど、もう疑わない。お前は俺の子だ。俺の自慢のアルマ・エンブリットだ。」
母の横にしゃがんでいた父が諭すように言葉を出した。
それを口にした後、父は大きく歯を見せて笑って見せた。
そして、俺と母の背中に腕を回して、三人で抱き合うような形になった。
俺はただ泣き続けた。父と母の腕の中で。
さっきまで心を支配していた負の感情を全て流すように。
* * * * *
泣き止んだ俺は家族三人で手をつなぎながら帰路についていた。
その様子を見ていた三人の領民が、少し離れたところで会話している。こちらにはその内容は聞こえないが、何かを話している息遣いは聞こえる。
三人が俺に見られていることに気付くと、逃げずにこちらにやってきた。
三人は俺のことを気味悪そうに見つめている。
何かを言おうと少しの間、口をぱくぱくさせ、ようやく声を出した。
「あ、あなた、申し訳ないと思わないの?元の子が可哀そうだとは思わないの?」
その質問には明確な敵意と嫌悪が含まれている。
元の子が可哀そう。さっきまでは恐ろしかったその言葉も、答えを得た今ではその恐怖も感じられない。
俺は迷いなく答えた。
「俺はお父さんとお母さんの子供のアルマ・エンブリットです。」
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