黄昏のヒーロー

秋山 楓

プロローグ

 少女は夢を見ていた。


 灼熱の炎に囲まれた聖堂内。肌が溶けてしまうほどの高温の中、対峙するのは二つの影。


 鎧で身を包んだ女騎士と、人間には程遠い異形の姿――魔王である。


 二人は至近距離で睨み合ったまま、微動だにしない。なぜならすでに決着はついているのだから。


 女騎士の持つ聖剣が、魔王の胸を貫いていた。


 魔族の心臓とも呼ばれる《魔核まかく》。体内のどこかにあるそれを失ってしまっては、魔王とて例外なく絶命する。女騎士の手には、今まさに《魔核》を砕いた感触が伝わっていた。


 勝利を確信し、女騎士の口元が緩む。

 しかし死を待つばかりの魔王もまた、この状況が痛快だと言わんばかりに嗤っていた。


 女騎士の下腹部に、大きな風穴が開いているのだ。下半身の感覚はすでに無く、魔王に突き刺した聖剣を支えにしてギリギリ立っている状態である。人間の彼女にとっては、どう足掻いても致命傷だった。


 それでも彼女は勝利の笑みを溢す。この戦いの終焉を以って、世界は魔王の手から解放されるのだから。


 使命を果たした彼女は、ようやく肩の荷が下りたと安堵の息を漏らす。

 聖剣を握る女騎士の手から、徐々に力が失われていく。

 その時、最後の力を振り絞った魔王が、彼女の身体を強く抱きしめた。

 耳元で囁く魔王。驚いたように目を見開く女騎士。

 やがて二人は灼熱の炎に包まれてしまう。

 その後、彼女たちがどうなったのかは知らない。

 少女はいつも、そこで目を覚ましてしまうから。






 意識が現実へと戻った少女は、ゆっくりと瞼を開いた。


 時刻を確認しようと横を向いたところで後悔する。山間に沈みゆく夕日を直に見てしまったからだ。


 煩わしそうに目を細めた少女は、何でこんなに眩しいのかと憤る。だがすぐに思い出した。何となく今日は空が開けた場所で眠りたかったのだ。故に、ここらでは一番背の高い雑居ビルの屋上までわざわざ登ってきたのである。


 自業自得という言葉を噛みしめ、右手をひさしにした少女は気怠そうに立ち上がった。


 奇異な身なりの少女だった。


 黒を基調としたリボンやレースで飾られた、華美なドレス姿。ふわふわなスカートから伸びる脚を漆黒のタイツで包み、編み上げの厚底ブーツが地面を叩く。そして極めつけには、フリルの付いたカチューシャがその頭を覆っていた。


 いわゆるゴシック・アンド・ロリータと呼ばれる衣装である。


 もちろん現代日本における一般的なファッションスタイルではないし、殺風景な雑居ビルの屋上で居眠りをするような恰好でもない。まるで天守閣に鎮座するビスクドールのように、彼女の姿はあまりにも場違いだった。


 ただ残念のことに、少女の特殊性を示す装備はそれだけでは終わらなかった。

 二点、彼女を彼女たらしめる特徴がある。


 一つは左目だ。ゴスロリ衣装と親和性の高い真っ黒な眼帯で左目を覆っており、さらにその表面にはドクロの刺繍が施されていた。


 そしてもう一つは、腰に携えた日本刀である。


 当然のことながら、この令和の時代に帯刀が許されるわけがない。そのまま公の場を闊歩すれば、即座にお巡りさんが飛んでくるだろう。


 だが問題ないのだ。この時間帯、この場所においては……。


「スカルマーク。私はどれくらい眠ってた?」


 そんな属性を詰め込みすぎの少女が、眠たげな声で虚空に問う。

 するとひどく耳に障るダミ声が返ってきた。


『だいたい十分くらいだな』

「そう。いつも通りね。いつも通り……同じ夢しか見られなかった」


 落胆した少女は、心内を隠そうともしない大きなため息を吐き出した。

 そこでふと、ポケットの中のスマホが震えていることに気づく。


「ユノね。あの子、今どこで何してるのかしら?」


 独り言ちてから電話に出る。

 相手の第一声は、今にも泣きだしそうな甘ったるい声での罵倒だった。


『ふえ~ん! 葉月先輩のバカぁ! 一人でどっか行かないでくださいよぉ! 今どこにいるんですかぁ!?』

「雑居ビルの屋上よ。一番背の高いヤツ」

『何でそんな所にいるんですかぁ! 一人で居眠りなんて危険も危険ですよぉ!』


 怒っているのは間違いないのだろうが、どちらかといえば身を案じてくれているよう。可愛い後輩の気遣いに、葉月と呼ばれた少女は悟られないように口元を綻ばせた。


「ちょっと高い所に登りたい気分だったのよ。それより、あなたこそ大丈夫なの?」

『私はデパートの中で隠れてますぅ』

「隠れるほど弱くないでしょ、あなたは」

『先輩、役割分担って知ってますかぁ? 私の能力は守ったり治したりすることに特化してるんですぅ。先輩が側にいなきゃ、私なんて手足をもがれた羽虫みたいなもんなんですぅ』

「はいはい」


 よく意味の分からない例えを葉月は軽くあしらった。いつものことだ。


 腕時計のように巻かれている左腕の端末を一瞥する。デジタル表記は刻一刻と数字を減らしていき、零になるまで残すところ十五分を切っていた。


「日没まであと十五分ね。もう《逢魔おうま》とも遭遇しないと思うし、一度合流しましょうか」

『了解しっましたぁ』


 先ほどとは打って変わった快活な声を最後に、通話が途切れた。

 スマホをポケットにしまった葉月が一息つく。


『ったく、ユノは相変わらずどんくさいな』

「そういうこと言わないの。あの子は自分の実力に自信がないだけなんだから」


 再び聞こえてきたダミ声に、葉月は律儀に返した。


 もちろん屋上には彼女以外の姿はない。だからといって、スマホのような通話できる端末が近くにあるわけでもない。得体の知れないダミ声は、まさに虚空から彼女の耳へと届く。


 ……いや、一人だけいた。彼女の側で、しかも密着するほど近くに。

 葉月の左目を覆う眼帯。その表面に刺繍されているドクロの口が……動く。


『なんにせよ、《黄昏ヒーローズ》として一人で行動できるようになってもらわにゃ困るんじゃないか?』

「あの子はまだ経験が少ないから仕方ないわ。それに役割分担は普通に合理的よ。むしろ複数人で活動した方が被害が少なくて済むでしょうし」

『率先して単独行動してる奴に言われても、説得力ねえなあ』

「悪かったわね」


 不貞腐れたのか、葉月はぷくっと頬を膨らませた。


 ユノからは先輩と呼ばれて親しまれているが、それでも葉月は彼女より一つ年上なだけの十七歳。花の女子高生なのだ。上から目線の物言いには、ちょっとばかりの反抗心を抱く時もあった。


「さ、もう一仕事するわよ」

『あいよ』


 日本刀を腰に携えた葉月は、屋上の端に立つ。

 心地の良い夕風を一身に浴びながら、彼女はそのままビルの下へと落ちていった。

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