第3話

 やがて彼女たちは高校を卒業し、同じ大学に入った。コースが別だったので、校内で顔を合わせることは少ない。彩花は早速とばかりにアルバイトを始め、生活のサイクル自体が変わり始めていた。

 仄花は、慣れない大学生活に当初苦戦していたが、似た者同士で友人もでき、それなりに居場所を作ることができていた。しかし、最近、仄花の顔色が優れない。

「仄花、最近おかしくない?」

「え?」

「元気ないでしょ。どうしたの?」

 アルバイト帰りの彩花が、仄花に尋ねる。仄花ははじめごまかそうとしていたが、やがて観念したのか、ぽつりぽつりと話し始めた。

「何かにずっと見られてるの」

「何かって?」

「分からない。でも、人間じゃない」

「うっとうしいなら、祓ってあげようか」

「それはだめ!」

 珍しく声を上げた仄花を見て、尋常ではない事態なのだと彩花は認識した。

「今までにないくらい危ないやつだと思う」

「どんなやつよ」

「たぶん、マイメ」

 ――マイメ。

 二人は以前、そろってその名前を聞いたことがあった。しかし、詳しく説明を受けたわけではなく、「窓や隙間から覗き込んでくる、目を合わせてはならない非常に危険な霊である」ことしか知らない。

「三浦先生のところに行くよ、明日」

 彩花はそれだけを告げた。


 三浦先生とは、姉妹の近所で暮らす民俗学者だ。どこかの大学で教鞭をとっているらしく、独り身でありながら小ぎれいな洋館に住んでいる。怪談や都市伝説の発祥と伝承に関するフィールドワークに心血を注いでおり、そちらの方面には詳しい。姉妹が幼いころから顔見知りで、彼女たちが「見える」ことを知っている数少ない人間だ。童謡が霊障に有効なことを教えたのも彼、マイメについて情報を与えたのも彼。何より、三浦もまた「見える人」だった。幼いころ、ある体験をしてから、見える体質になったのだという。それがどのような体験だったのかは、かたくなに教えてくれない。

 休日の朝、彩花は普段ならアルバイトの時間だが、無理矢理に休みを取り、二人は洋館を訪れた。庭に面して大きな窓があり、今はカーテンが引かれている。門から玄関までの間には、色とりどりのパンジーが几帳面に植えられていた。

 三浦は、笑顔で二人を迎え入れた。休日だというのに、シャツにスラックスといういで立ちだ。姉妹はいつものように、本や書類が、本棚からあふれんばかりになっている書斎に入る。ソファに並んで腰を下ろすと、その向かいにあるロッキングチェアに三浦も座った。大きな縁の眼鏡の奥で、優しそうな眼が二人に向けられている。顎に蓄えた白髭を撫でながら、三浦は口を開いた。

「マイメ、だったね」

「はい、仄花が最近、そいつに見られている気がするらしいんです」

 ふむ、と三浦は遠くを見やる。

「マイメは、山裾の集落でインタビューをしていたときに、本題とは関係のないところで聞いた話なんだよ。だから、正直なところ、僕にも詳しいことは分からない。知っているのは、前に話した通り、『窓や隙間から覗き込んでくる』、『目を合わせてはならない』『非常に危険な霊』ということだけ」

「なぜ仄花が狙われたんでしょうか。こう言ってはなんですが、本当にヤバイ霊は、何か儀式をしたり、神聖な場所を荒らしたり、そういう極端なことをしないと憑いてこないんじゃないですか」

 それを聞き、三浦はうなずく。

「そう、そこなんだよ。僕も話を聞いてからずっと思っていたんだが、今回仄花さんが狙われるにあたっての道筋が見えないんだ。こういったケースでよくあるのが、『話を知っている人のところに来る』タイプの霊だね。しかし、そう仮定すると問題がある。僕が二人にマイメの話をする前に、僕のところにマイメが来ていなければならないわけだ。しかし、そんなことは起きていない」

「現状では、打つ手なしということですか?」

「圧倒的に、情報が不足している。だから、情報収集から始めなければならない。僕がマイメの話を聞いた人を紹介しよう。連絡をしてみたら、二名ほど、月曜なら都合がつくという人がいた。僕はその日どうしても外せない会議があってね、君たちだけで行ってもらうことになると思うけれど、どうだい?」

 彩花と仄花は顔を見合わせた。三浦がいないというのは心もとない。しかし、できる限り早く、マイメについて知りたかった。

「行ってみます」

 彩花が言うと、三浦は「分かった」とうなずいた。

「先方にはそのように連絡しておこう。細かな日時は、また連絡するよ」

 二人がお礼を言って退室しようとすると、書斎の戸が開き、ひょろりとした青白い顔の青年が顔を出した。三浦の研究室に所属している高杉だ。

 高杉はぐるりと首を回し――これがこの男の癖らしい――、部屋の中にずかずかと入ってきた。そういえば、呼び鈴すら鳴っていない。これで顔を合わせるのはまだ2回目か3回目だが、ぶしつけで、高慢な態度が鼻につき、姉妹は、この男のことがなんとなく苦手だった。

「うわあ。知らない間にお客さんが来てたんですね。ロイヤルミルクティーでもどうですか。飲まないですか」

 のっけから意味が分からない。二人――特に彩花は、この男の話し方が嫌いだった。早口でまくしたてたかと思えば、妙な間が空いたりする。咳払いも多いし、何より、話の内容が支離滅裂だ。こんな男がゼミ生とは、三浦も苦労しているのだろう。

「少しね、霊障のことで相談に来ていたんだよ」

「しょうがないですねぇ。うん。めんどうだ。ンンッ」

 何という言い草だろう。彩花は言い返しかけて、やめた。すでに、何を言ってものれんに腕押しなのは分かっている。悔しいのは、この高杉も「見える」側であることだ。だからこそ、三浦の家を訪ねてこられるだけの関係性を築くことができている。しかし、この男と同類としてくくられるのは嫌だった。

「だめじゃないですか。あれほど注意しろと言ったじゃないですか。霊は怖いんだから」

「そんなこと言われてないですけどね」

 我慢できず、彩花は言ってしまう。しかし、高杉は聞こえていなかったかのように、二人の脇を通り過ぎてしまう。

「ちょっと、聞いてます?」

「うるさいですね。しっかり聞いています。露骨に怒らないでくださいよ」

「いや、怒らせてるのはそっちですよ」

「ノー。初対面のころから、そちらが勝手に怒っているだけですよ。うっとうしい。面と向かって暴言を吐かれる立場にもなってみてください。ンンッ」

 話が通じない。頭を抱える彩花に、仄花がそろそろ帰ろうとささやく。

「大ピンチなんでしょう? あ、それなら僕が力になりましょうか。霊への対処ならお任せあれ!」

「失礼しました!」

 話し続ける高杉と、その横でため息をついている三浦を後に、姉妹は書斎から飛び出した。


 二人は月曜になると、紹介を受けた集落へ向かった。大学の講義を休むことにはなるが、仕方がない。仄花の危機察知は、それほどまでに優秀だった。

 話をしてくれるという一人目は、山裾の家に住む老婆である。姉妹は今に通され、緑茶を振る舞われた。畳の上にカーペットが敷いてあり、少しばかり埃っぽい。老婆は時折姉妹の湯飲みへ急須の茶を継ぎ足しながら、はっきりとした口調で話した。

「マイメはな、この辺りだと昔から伝わっているもののけでな。オラがそれこそ田んぼの手伝いにも出ねえくらいの小さなころから、寝しなにおっかあが聞かせてくれるような話でな。なに、マイメとは、漢字で書くとアレよ、『舞う』、『目』と書くのよ。いや、『舞う』、『面』じゃったかな? うろ覚えだけれども、とにかく『舞う』という漢字が入る。子どもなんかが、家に一人でおると、襖や障子の隙間からじぃっと覗き込んでくるのな。中には、名前を呼ばれることもあるのよ。そのとき、絶対に返事をしたり、目を合わせたりしたらなんねぇ。連れていかれちまうからな。どこに連れていかれるかは分からん。山なのかもしれんし、あの世なのかもしれん。一番怖いのはな、こいつは話を知っている誰にでも降りかかるっていうこと。何をしたらマイメが来る、何をすればマイメが来ないっていうことはない。狙われたら、マイメが飽きるまで、ひたすら耐えるしかない。オラのひいじいちゃんなんかは、昔に狙われたって聞いたけんど、本当かどうかはよく分からんなあ。とにかく、大人が子どもを怖がらせるために作った話だと思うよ」

 二人目は、集落の外れに住む老爺だった。陽が昇り切っていたこともあり、縁側に座って話を聞かせてもらえた。

「マイメかあ――久々に聞いたなあ。俺も最初はどこで知ったんだが、忘れちまったなあ。俺は、生まれはここでなしに、もっと南の方だったんだがよ。当時流行していた結核に、親父がやられちまってな。その療養のために、まだまだ小さいころに越してきたのさ。で、マイメだけんども、あれは怖い話だな。窓や玄関や、とにかくそういった入口の隙間から覗き込んでくるのさ。目を合わせちゃならねぇ。目を合わせると、憑り殺されるからな。名前を呼ばれることもある。それにも返事をしちゃならねぇって。マイメは、本来は「マヒメ」でな、『舞い』の『舞』に『女』と書くとも、間から覗き込むから『間』に『姫』と書くとも聞くがな、どれが本当かは分からんなあ。天災のように降って湧いてくるバケモンだが、その名の通り、たしか舞で呼び出すこともできるんじゃなかったかなあ。願いを叶える――嫌いな相手を呪う――代わりに、呼び出した本人も、命を差し出さなければならない、強い邪神さね」

 老爺に対処方法を尋ねると、しばらく考え込んだ後、そうだと手を打って教えてくれた。

「俺もよくは知らないが、マイメを追い払うためには、『籠』がいると聞いたことがある。普通の籠じゃない。人の身体、人の命を差し出すのよ。つまり、生贄さね。腕一本、足一本で免れたという話も聞けば、村長が命を差し出して、村全体を救ったという話も聞いた」

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