高畠君と、ゲーセン

明日朝

高畠君と、ゲーセン

「あっ、チェリ……」


 甲高い電子音と、ボタンを連打する音、メダルのぶつかり合う金属音。

 そんなゲーセンの騒音に雑じって聞こえてきたのは、高畠君の驚いたような声だった。

 高校二年生の中でも群を抜いて低い、地を這うようなそのバリトンボイスは、ガチャガチャとした騒音にかき消されることなく響き渡る。


「今、なんて?」


 学友たちと並び、メダルゲームに興じていた私が顔を上げる。やや離れた位置にいる高畠君は、メダルゲームなんて目もくれず、明後日の方角に向いていた。


 いつも気だるげで虚空をさまよってばかりいる高畠君の目は、少しばかり輝いている。普段からだんまりで無愛想、表情筋がろくに機能しない高畠君は、高校一年にして百八十センチを優に超える身長のくせに、運動を嫌う文化系だ。


 彼は放課後になるたび、私たちと一緒にゲーセンに立ち寄っていた。というのも、学友の加納さんと、金髪チャラ男の沼沢君、そして私の三人で立ち上げた、ゲームセンター同好会の仮メンバーであるから。


 ……まあ、沼沢君の熱烈な勧誘に折れる形で、渋々入部したんだけど。


 そんな高畠君だけど、彼が何かに興味を持つことは非常に珍しい。例えるならたまたま立ち寄った裏山で松茸を見つけるような。


「え……いや、なんでもない」

 私の視線に気づいた高畠君が、気まずげに視線を逸らす。


 私は首をひねり、高畠君の見ていた方向に目をやる。高畠君は、どうやらクレーンゲームを見つめていたらしい。チカチカと明滅するネオンがやけに眩しい。


「木部さん、どうしたの?」

 私が不思議そうな顔をしていると、メダルゲームに熱中していた加納さんが声をかけてきた。私は首を傾けつつも、改めて高畠君に視線を戻す。


 けれど、その時には既に高畠君の顔は下を向いてしまっていて、塗装の剥げかけたガラケーをポチポチと操作していた。


「あはは、木部さんったら変な顔」

 加納さんがからかうように笑う。

 私はむっと顔をしかめて、沼沢君の隣の席に移動した。


 ……結局、メダルゲームは惨敗だった。百五十枚のメダルを、ものの十数分で使い切ってしまった。


「なあ――高畠のケータイって、ボロいよな」

 ゲーセンから逃げるように出て行った帰り道、不意に沼沢君がカバンをぷらぷらさせながらそう声を上げる。

 高畠君は不思議そうに瞬いて、自分のケータイが入ったズボンのポケットを触った。


「なんだよ、いきなり」

 理解できないというように眉を寄せ、高畠君が聞き返す。沼沢君よりも一オクターブ低い低音ボイスは、本当に同年代男子の声かと疑ってしまう。

 

 けれど沼沢君は全く動じることもなく、茶化すような声で続ける。 


「だってさあ、今時古いぜ? ガラケーなんてさ。ろくにゲームもできないじゃん」

「……別に、ゲームをするためにケータイ買ったわけじゃないし」

 無愛想で、ぶすっとした声だった。


「いやいや、そんな意味で言ったんじゃなくてさ、ほら、古すぎても色々弊害が出てくるもんよ? アプリとかも入れらんないわけで」

「通話ができればそれで充分」

 高畠君が息を吐く。地鳴りのような溜息だった。


 なんとも言えない顔の沼沢君は、カバンをくるりと一回転させると歩調を速めた。

 沼沢君は、つまらないと感じたとき、決まってカバンを回す。


「じゃあいいよ、もう。後々スマホにしときゃ良かったって後悔する羽目になるぜ」

「そりゃあまあ、壊れたら機種変するよ」

 高畠君がもっともらしく言い返す。沼沢君は口を尖らせて、再びカバンを一回転させた。



 翌日の放課後も、私たちは揃ってゲーセンに寄った。その日はあいにくの曇り空で、今にでも雨が降りそうな曇天が広がっていた。

 私たちがゲームセンターに入った直後、パラパラと小雨が降り始める。


 そこで私は、傘を忘れてしまったことに気づいた。けれど沼沢君と加納さんは私に構わずズンズンと両替機の方に行ってしまう。私がその場に立ち尽くしていると、高畠君が上から覗き込んできた。


「木部さん、行かないの?」

「え、ああ……」


 はと我に返った時だ。叩きつけるような大きな物音がした。驚いて顔を上げれば、大学生くらいのカップルが、クレーンゲームの台をドンドンと叩いている。


「なんだよこれ、アームが弱すぎるだろ」

 そう声を荒げるのは明るい茶髪に赤シャツの、いかにも今風なチャラチャラしたお兄さん。

 その隣では彼女さんらしき茶髪のお姉さんが、金髪のお兄さんを必死になだめていた。


 私はなるべく関わらないようにと後ろに下がる。しかし高畠君はどういうつもりなのか、金髪の壊そうなお兄さんのところにズカズカと歩いていった。


「ちょっと、高畠君」

「なに」

「いや、なにってこっちのセリフだよ。何するつもりなの」

「迷惑だって、注意する」

「やめといたほうがいいよ。トラブって面倒なことになっちゃうよ」


 なんとか引き止めようとするものの、貧弱な私の腕力では到底敵わない。ずるずると高畠君に引きずられ、あっという間に茶髪お兄さんは目の前だ。


「あの、機械が壊れちゃうんで止めてもらっていいですか」

 高畠君がいつも以上に低い声で、そう声をかける。

 お兄さんはいらいらした様子でふり返り、そしてぎょっとした。


 まあ、それもそのはずだ。高畠君は茶髪お兄さんより一回り背が高いし、スポーツマンみたく屈強でがっしりした体格、おまけに目力のある精悍な顔つきだ。


 それまでふんぞり返っていたお兄さんは、高畠君の顔を見るや否やヒッと引きつった声を上げて、彼女さんをその場に残して逃げて行った。


 彼女さんはポカンとした顔だったが、高畠君の方を見ると、慌てて頭を下げてお兄さんを追いかけていった。

 彼女さんは良い人そう、と思った私の隣、高畠君が長い溜息をつく。


「怖がられちまった……」

「まあ、ケンカ沙汰にならなくて良かったじゃん」

 そう慰めるものの、高畠君は傷ついた顔だ。


「目が合っただけで逃げられるってのは、結構ショックなんだよ。木部さんには分からないだろうけど」

「前々から思ってたけどさ、高畠君って、そんなに怖がられる感じかなあ」

 ずっと疑問だったことを口にする。するとまたもや高畠君は長い溜息が零した。


「木部さんって、鈍いんだな」

 呆れたような声だった。


「なにさ、溜息なんか吐いて」

 私が言い返すと、高畠君はふっと笑みを零した。高畠君が笑うなんて、珍しい。日食でも起きるんじゃなかろうか。


 私がむっとしている隣で、高畠君はすすす、と視線を移動させる。その先にあったのは、さっきまで茶髪のお兄さんが叩いていた、クレーンゲーム。手のひらサイズのキーホルダーが、三つほど棒につり下がっている。

「チェリ……」


 高畠君がポツリと呟く。私はあれ、と首を捻った。似たような言葉を昨日も聞いた気がする。


「ねえ、チェリって、なに」

「いや、なんでも」

「昨日も言ってたよね、チェリって」

「……覚えたのか」


 高畠君は気まずげに目を逸らす。私は目を合わそうと、下から高畠君を覗き込む。

 しかしそこへ、タイミング悪く沼沢君がやってくる。


「お二人さん、両替終わったよ。……つうか、なにしてんだ?」

 メダルの入った入れ物をジャラジャラさせて、沼沢君が間延びした声を投げる。


 高畠君は、はっとしたように後ろに下がった。


「別に、なんでもない」

「ふうん、まあなんでもいいけど。……ああそうそう、故障してたゲーム台が直ったらしいよ」

「そうか」


 高畠君は、いつも通りの気だるい顔に戻ると、私をじろりと一睨みした。そして、すっと私の横を通り過ぎ、沼沢君たちのところに行ってしまう。


 なんなんだろう、今の目つき。なんだか咎めるような感じだった。気分を悪くさせるような真似なんて、したつもりがないのに。


 私はその場に棒立ちになって、それから私を呼ぶ加納さんの声に気付いて、ぱたぱたと走っていった。結局、高畠君がこぼした言葉の意味も分からないままだ。


 雨の降りしきる夕方、ゲームセンターの騒々しい機械音を聞きながら、私たちは今日もメダルゲームに興じた。

 普段通りの、のんびりとした時間が流れる。このままずっと、こうしていたかった。



 けれど――平穏な日常というのは、そう長くは続かないものらしい。

 

 真冬の、とある月曜日のことだ。私たちが通い詰めていたゲームセンターが取り壊されることとなった。

 

 朝のホームルーム前の時間。その一報を聞いた高畠君は、何故かこの世の終わりみたいな顔をしていた。


「……あの店、なくなるの?」

「うん、加納さんが言ってた。そしたら沼沢君が、新しいゲーセン探すって意気込んでて」


 まあ、いずれこうなるだろうとは私も思っていた。しょっちゅう機械に不具合が出るし、両替機はよく詰まる。それに、店の店長さんもだいぶご高齢だ。


「そうか……最後に一度、行きたかったな」

 高畠君は寂しそうな顔で肩を落とした。

 その姿が不憫に思えてきて、残り僅かなホームルームの前の自由時間、私は考える。


 それなら――と、私は顔を上げて高畠君に提案した。

「……じゃさ、高畠君、今日の帰りにゲーセンに寄ろうよ」

「え」

「最後に一度だけ、見に行かない? まあ、気休めかもしれないけど」


 どうかな、と高畠君に問いかける。高畠君はとても意外そうな顔で、私を見つめていた。

「……行く」


 高畠君の声はボソボソしていてたが、いつものような気だるさは感じなかった。



 二人きりでゲーセンに行くのは初めてだ。やかましい沼沢君が不在のため道中はとても静かだった。


「ねえ高畠君、いい加減教えてほしいんだけど」

 私は歩きながら、隣の高畠君を見上げた。

「教えてって、何を」

「今までに何度か、チェリって呟いていたよね。それって何のこと?」

 顔を上げて、首を大きく傾ける。限界ぎりぎりまで反らしてみるが、それでも高畠君と視線が合わない。


「……そんな、たいしたことじゃないよ」

 高畠君はぞんざいな口調で頬をかいた。


「欲しかった景品の、キャラクターなんだ」

「……それってもしかして、高畠君が見てた、クレーンゲームのキーホルダー?」

「そ。デザインが好きでグッズも集めてた。けど、ああいうゲーム下手だから諦めてたんだ。……今になって、ちょっと後悔してる」


 高畠君はそう言うと、ふっと笑みをこぼした。高畠君の笑顔はとてもぎこちないけれど、私はなんだか新鮮に感じた。


 交差点の手前にたたずむ、年代を感じさせる古びたゲーセン。建物に入れば、腰の曲がった店長さんがホウキを片手に店の掃除をしていた。


「ああ、君たちはいつもゲームコーナーで遊んでいた……そうか、今日も来てくれたのかい」

「はい、今までとてもお世話になったので」

 私は微笑んで、店長さんに頭を下げる。高畠君はぼうっと、店の奥を見つめていた。ちょうど、クレーンゲーム台があった場所だ。


「……ああそうだ、せっかく顔を見せに来てくれたんだ。何かお礼をしなきゃね」

 店長さんは呟くようにそう言うと、私たちをその場に残してよろよろと店の奥に向かう。

 それから十分、十五分そこらの時間が過ぎた後、店長さんが大きなダンボールを抱えて戻ってきた。


「好きなものを持って行きなさい。お金はいらないよ」

 店長さんが笑う。私はダンボールの中を覗き込む。そこには、売れ残ったんだろう景品のぬいぐるみが、ぎゅうぎゅうに詰まっていた。


 それを覗き込んで、高畠君がほろりと呟く。

 

「あ、チェリ……」

 高畠君が、ダンボールに手を突っ込み、手のひらサイズのキーホルダーを片手で掴み取る。素朴な、白いネズミのシンプルなキーホルダー。

「あの、これ、貰っていいですか」

 高畠君は、今まで聞いたことがないようなほど、嬉しそうな声で言った。店長さんの了解を得て、高畠君は早速というようにキーホルダーをガラケーにつける。


「どう? 良い感じ?」

 私が尋ねる。高畠君は顔を若干赤くして、こくこくと頷いた。



 その後、ゲーセンは予定通り壊されて、更地になった。

 沼沢君も加納さんも、ショックを受けた様子はまるで無かったが、私と高畠君はちょっとの間だけ、落ち込んだ。


「でも良かったよね。それ、もらえてさ」

 私は高畠君のガラケーを指さす。

 白いネズミが下がったガラケーは、重そうだったけれとそれ以上に可愛らしかった。


「だろ。気に入っているんだ」

 高畠君は、見たことのない穏やかな顔ではにかんだ。

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