第3話 なまずヒゲの刑事

 大淀伸也の遺体は、明くる晩に発見された。

 第一発見者は隣に住む男子大学生で、かれは施錠されていないとはいえ、しっかり閉じられた玄関扉を開いて、わざわざ部屋を覗き込んだ。ともすれば窃盗目的とも思われかねない行為の動機について、その私大生は耳を疑うことを言い出した。

「呪いが成就したと思って」

 というのも、この私大生は今年の院試を控えて、日夜猛勉強をしていたのだが、住んでいる安アパートは、壁に画鋲をさせば棘が隣に出るのではと思うほどに壁が薄く、隣人の環境音が丸聞こえで、更に隣室の大淀は常に何かと声を出し、また荒げた。

 寝ていても歯ぎしりは八丁先まで届くが如く、不規則に奏でられるいびきは、喉に舌根をおとして、波間で溺れている人が必死に息を吸おうとするような怖気の走るもので、いつ無呼吸性症候群で死に到るか、とやきもきする日々が続いていた。

 一度管理人経由で向かってクレームをつけたが、大淀は小面憎しと更に音を立てる始末で、ノイローゼになった青年は決心して、なかなか古拙味ある、古風な形で神仏に訴えるでることにした。――何と言うことはない、藁人形に五寸釘である。

 とはいえ古の呪詛を執り行った彼の出で立ちは、古式に則った白装束に鉄輪を逆さに被るようなものではなく、ジーンズにパーカー姿というラフなもので、近くの里山の上に建てられた神社を囲う、ブナや栗の樹木にかくれて、メルカリで購入した『丑三つ時セット』を開き、児童がバザー用に作ったような図工細工のような藁人形に、五寸(十五センチ)というには甚だ短い、四、五センチほどの釘を、知育玩具から抜き取ったようなプラスチック製の小さなハンマーで打ちつけた。――が、それも翌朝、彼を取材したテレビクルーが面白がって、件の神社に撮影しに出向いた際、藁人形は無様に木の根に転がっていたという。

 しかしながら、とうの本人はインタビューの際、ひどく意気消沈して、ともすれば日本裁判史上始めて、呪殺殺人犯として逮捕されるのでは、と酷く気を揉んでいた。

 一方、本当の殺人犯であるところの菊池は冷然たる面構えでワイドショーを見据えていた。

 一一〇に際して、現役大学生が「人を呪い殺したかも知れない」という頓珍漢な通報がメディアの関心を――大半は嘲笑をむける茶の間の滑稽物として、各局は挙って報道していたが、どれだけザッピングしても押し込み強盗による殺人という説は支持されず、県警の報道官が仄めかした、関係者による殺人が多数説を占めていた。

(よくない風向きだ)

 次第にそくそくたる怖気が、爪先から身体へ這い寄ってくる。

 そして彼女を胴震いさせるその気配は、けっして行き先を過たず、ふたつの跫音になって彼女を訪った。


「ちょいと失礼、そこのお嬢さん」

 目論見から逸れつつある事件に耐えかねて、気散じに散歩でもしようとマンションを出た矢先、ふたりの男に声をかけられた。

 振り向いて、まず目に飛び込んだのは声をかけてきた男の、その長い髭だった。

 長いといっても深山秘境に棲まう仙人のような髭ではなく、むしろ近代西洋めいた口髭で、左右にのびた細く長い髭が、その細面にナマズのように垂れている。

 年齢は五十歳ぐらいか。

 ひどい猫背ながら目線は菊池より高く、背を伸ばせば一メートル九十センチは優にあるだろう。昨今みない暗緑色のスーツをきている。阿るような笑みと、鯰髭のつよい印象も相俟って、暗がりの路地にひっそりと軒をだしている、怪しげな漢方売りのようだ。

 怪しげな男は精悍な二十半ばの男をひきつれて、くらがりの沼地から泥濘をかきわけて、ぬたりと陸にあがって来たのはどういうわけか。菊池には皆目見当もつかなかったし、おもむろに懐から警察手帳をとりだしても、少しのあいだ、事態を読み込めずにいた。

 階級は警部補。名は長沼方次郎ながぬまほうじろうとあった。

「菊池雅美さんですな」

「そうですが」

「大淀伸也さん、ご存じ?」

「・・・・・・ええ」咄嗟にシラを切りそうになったが、ぐっと抑えて頷く。「動画配信のコンサルタントとして、以前、相談にのって頂きました」

「茶斑アリスさん、でしたか」

 菊池はギョッとした。公衆の面前で、菊池が茶斑アリスであると言及することは、Vチューバー配信者として絶対の禁忌であるが、それにもまして、この隠者のような男から『茶斑アリス』という名が出たことに、白昼夢めいた非現実感がある。

「一年半前から個人としてVチューバーとして活動を始められて、現在の登録者が十万人。暴露系や炎上系、また過激なASMR動画などを投稿された訳でもなく、『前世』で別の形で配信業や芸能活動などされていた訳でもなく、ゲーム配信や企画配信だけで、このペースは実に驚異的な勢いですねえ。秘訣などあれば、是非に知りたいものだ」

「お詳しいんですね」

「うふ。まあねえ」

「しかし、こればかりは運です。わたしは運が良かっただけ」

「若いのに殊勝な心懸けだなあ。――しかし運ですか」

 長沼は髭を捻りながら云う。

「大淀さんの手腕ではない、と」

「それは、――」大淀は自然に騙れるように、口の中で心にもない言葉を反芻した。「そうですね。彼の御陰かも知れません」

「ですが、二ヶ月程前から連絡を取られていない様子。なにか問題でも」

「契約を打ち切りました」

 菊池は敢然という。

「ほう。彼は貴女の陰の立役者じゃないですか」

「もう必要ないと思ったので」

「必要ない?」

「個人で登録者が十万人に伸びれば、あとは定期的な配信の供給と、有名どころとのコラボ、あとグッズの展開で喰い繋いでいけます。これ以上規模を大きくするのであれば、大きな事務所に、べつのキャラクタとして移籍すれば良い」

「なるほど、貴女にとって彼は踏み台だった」

「そうですね」そうであれば、どれほど良かったか。「かれはジェットエンジンのようなものです。発射の段階では必要用ですが、大気圏に突入すれば切り離すべき重荷です」

「なかなか、お年に似合わぬ、シビアな観点をお持ちのようで」

 そう云う長沼のその顔は、契約を切られた大淀への同情も、恩知らずな菊池への非難も、まったくにじんでいなかった。濃茶を啜り、安穏と縁側で涼むような、たわいのない世間話をしたという風である。

「コンサルティングというのは、具体的にどういうもので?」

「それ、事件に関係があるんですか」

「それを決めるのが我々の仕事ですなあ」

 長沼はぬらりと非難を躱す。

「・・・・・・そうですね。配信機材の選定や、見てもらえる動画サムネイルの作り方。動画サイトのオススメ動画に掲載される傾向などをよく話しあいました」

「ふーん。それにしては」気づけば長沼は携帯をしきりにスワイプしていた。「初期と大して変わらないようにも思えますねえ。それに貴女が人気になっていったのは、SNSアカウントの呟きが『バズった』所以でしょう? どうも貴女の聞いていると、大淀氏のコンサルティングもさしたる専門知識がある訳でもなさそうだ」

「よくご存じで」

 彼女は恐れを笑顔の裏にかくす。

「実のところ、彼の助言の効用は、さして大きなものじゃないと気づいたんです。ですから契約を切った。――とはいえ、特別契約書などを交わし合うような正式なものでもありませんでした。喫茶店で落ちあい、意見を出し合う。漫画家と編集者みたいな関係です。なので終わり方も、刑事さんが思うより、あっさりとした形でしたよ」

「それ以来、彼とは会ってはいない?」

「ええ」

「では吃驚したでしょ。殺人事件の被害者になっているとは」

「そうですね」彼女は殊勝に頷いておく。「ましてみずから呪い殺した、なんて与太話も飛び出していますし」

 菊池はそう言いつつ、そっと長沼の表情を伺った。彼女の想定では、警察は彼ではない、本当の第一発見者を見つけている頃である。が、刑事はその情報を秘匿するだろう。そのため言葉の端々や表情にあらわれでる虚飾の色――情報を隠そうとする顔色の機微を読み取ろうとした。

 が、予想に反して、長沼は情報を開陳した。

「これはオフレコですがね、第一発見者は、あの呪術青年より丸一日はやく、死体をみつけておるんです」

「・・・・・・・驚きました。普通、無闇に語らないものだと」

「どのみち夕方のニュースで報道されることです」髭を弄びつつ、長沼は云う。「真正な第一発見者はウーバーイーツの配達員で、男性で年齢は二十三歳でした。彼は午後十時四十五分に注文をうけて、その十五分後、被害者宅のチャイムを鳴らしている。だが、反応はなかった。置き配の指示はなく、かわりに玄関が僅かながら、扉が開いていることに気づき、かれは扉をあけた。――そして奥で、うつ伏せになっている被害者を目撃。なんどか呼びかけましたが、反応はなかった。その裏付けとして、隣人の青年――つまり呪術をおこなった青年ですが、この配達員が何度も呼びかける声を聞いている」

「・・・・・・では、その時にはもう」

 長沼はそれには答えず、先を続けた。

「彼はしばらくして、廊下に書き置きをみつける。『熟睡中。支払いはこれで』。A4サイズのコピー用紙を、二度折り畳んで葉書代にしたもので、その上に現金が置いてあったようです。配達員はそれを回収して、安否をあらためず出ていった」

 菊池はふかい安堵の息をついた。

 彼の目撃情報は、大淀の死亡推定時刻を固め、ひいてはその頃に配信していた自分へのアリバイたり得る。そして何より、その時間帯に、大淀の死体が彼のアパートにあったという先入観を強く植え付けられるのだ。

「死亡推定時刻は?」

「本部としては――」

 と、個人的に賛同しかねることを仄めかしながら、被害者が注文した午後十時三十分から発見された四十五分のあいだと云う。

「ちなみにその頃、菊池さんは何を」

「ライブ配信していました」

「そのあとは、ずっと自宅に?」

「そうです」と云ったあと、駐車場のカメラに映っている可能性が頭を過ぎった。「そういえば、一度、日付が変わって少し経った頃、自動車で外に出ました」

「ほう。またなにを」

「寝付けなくて。ドライブですよ。車体は青で、車種はスバルのインプレッサ。半年間、海外に短期留学している友人の車を借りてます。それで海沿いの道を、ただひたすらに」

「なるほど」

 長沼は頭を掻きながら、ぺこりと頭をさげた。

「いやあ御時間とらせましたね。それでは私達はこれで」

 丸めた背中をくるりと向けると、底のすり切れた革靴で、すたりすたりと歩きながら去っていく。陰陰とした雰囲気は、したたかにパチンコに有り金を吸い込まれたギャンブラーのようで、彼から緊張を強いられていたこともあって、むくむくと達成感めいたものが湧きあがってくる。

 だが、一方でその気持ちに水を差す疑問が過ぎった。

 口ぶりは怪しく、小さな孔から内を覗こうとする鋭い目つきであったが、語る内容は大したものではなく、アリバイも突き詰めることなく、むしろ未出の捜査情報を開示している。

 ――はたして、彼は何をしに、わたしに逢いに来たのか。

 その彼女の当惑を、まるで待っていたかのように、長沼は振り返った。

「そういえば彼、天津飯を頼んでいたんですよ」

「それが何か?」

「アレルギーだったんですよ。たまご」

 右手は悠々と髭を撫でている。

「妙な話ですよねえ。彼は殺される前、自分が食べられない料理を注文しているんです」「誤って注文したのでは?」

「ありえません。注文した店舗は被害者アパートからさして遠くない『ひよこ』という店舗でした。ここはオムライスや天津飯など卵料理をおもに扱うお店です。卵アレルギーの被害者はタップすらしないでしょう」

「・・・・・・寝ぼけていたのかも」

「自分の毒を判断する余力はなく、配達者に支払うべき書き置きと現金を用意する気力があるのはおかしい。食物アレルギーの友人がいますが、彼らは自分たちのアレルゲンに対してはかなり神経質です。なにせ食べてしまえば、発疹や痒みだけではすまない。ヘタすれば気管支が腫れ上がり、呼吸さえ覚束なくなる。――それにこれだけじゃないんですよ。十五分の短い待ち時間にも拘わらず、書き置きをのこして、布団をかけてうつ伏せに寝るのも妙です。またそれほど眠いのなら、はたして人は食事を取ろうとするでしょうか」

「注文を頼んだあとに急に眠くなったのかも」

「それなら置き配という方法もあります」

 鯰顔の刑事は云う。

「というのも支払い方法が妙でしてね。かれは常にアプリケーションに登録したカードで支払っていました。眠たかったのなら、いつものようにカードで支払い、置き配にかえればよかった。なのに殺害された当日のみ、現金で支払っている。それも書き置きという奇妙な形で。実に変づくめです。食べられない天津飯。殺される日だけ変更した支払い方法。まるでこれでは被害者ではなく、赤の他人が注文したかのようだ。たとえばそう――」

 長沼は髭を弄る手をとめて、変に意地の悪い、生臭い顔をうかべた。

 傾聴を求めるかのような、短い沈黙のあとに、

「犯人とか」

 そういうと、長沼はふたたびくるりと身を反転させて、颯爽と去っていった。

 後に残ったのは、居心地の悪い静寂だけだった。

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