第2話 初重① ~猫又~
女は面食らったような表情をしたが、すぐに気を取り直すともとの澄ました顔に戻り、両目を閉じて頭を下げた。
「おみそれしました。侮るかのような発言、どうかお許しを」
「あ、いえ」
美人に深々と謝られ、チン之助は身の置所を見失う。彼は事セックスに関しては絶対の自信を持っていたが、それ以外については何の取り柄もない平凡なサラリーマンなのだ。
不意に出入口の木製の扉が閉まった。
同時に蛍光灯が消え、廊下の隅に置かれた行灯に火が入る。四角い木枠に和紙が貼られた行灯(あんどん)の灯りが廊下をぼんやりと照らしている。
まるで異界に来たみたいだ。電気が消える前と今と、同じ場所にいるにも関わらず、木の匂いを強く感じる。それに……
嗅ぎ慣れたにおいだ。チン之助は思った。男女の交合のニオイ。それがこの建物の壁や柱一つずつに染み付いている。
「どうぞこちらへ」
受付嬢がカウンターから出て廊下の奥へと先導する。タイトスカートに包まれた形の良い尻と、黒いストッキング越しにもよく分かる引き締まった足に目を奪われながらもチン之助はその後につづく。
きれいに磨き上げられている一方で、老舗旅館のように年季の入った廊下を二人は歩いて行く。ふと女が立ち止まった。
彼女の前には引き戸があり、その横に釣られた木の札には小さな白い花が三つと、青々とした葉が描かれている。中心の雄しべと雌しべの黄色が目立つ。どこかで見たな。チン之助は思い出そうとする。セフレとともに家で見たテレビで……。
「最初の嬢が待っております。どうぞ、靴を脱いでお上がりください」
引き戸を開けようとしたチン之助の胸中で不意に緊張が高まった。どのような試練が待っているのだろうか。負けた場合の『神隠しにあう』とはどういう意味なのだろうか。後輩は無事なのだろうか。
だが、自分は選んでここに来た。後輩のために、そして男として、この五重塔に挑戦するためにここにいるのだ。無理につばを飲み込み、引き戸を開けた。
受付嬢の言葉に従い、よく手入れされた革靴を脱いで中に入る。中は座敷だった。ニ十人程度が宴会をできそうなほどに広い。風俗店としてはありえない広さだ。見渡す限り、家具といえるものは部屋の中央に敷かれた二組の布団だけ。
チン之助は思った。ああそうか、あの花はまたたびの花だ。猫カフェの特集で見たんだった。
十代後半に見える、着物を着た愛らしい娘が両手を腰に当てて布団の前に立っていた。色とりどりの金魚の柄が彼女の見た目をより若く見せているのかもしれない。だが、何より注目を集めたのは、その頭だ。作り物にしてはあまりにリアルな猫耳が付いていた。
チン之助が見ているうちに、左耳がパタンと閉じてまた開いた、ホンモノだ。
「お前が新しい挑戦者か」
猫耳娘が言った。
見た目に似合わず不遜な物言いだが、声が若々しいため可愛い印象が先立ってしまう。
「わちきは猫又のミャオ。今回の死亡お遊戯の先手を務めるぞ! 先日は人間相手に不覚を取ったからな、今日は最初から全力で行くにゃ」
猫又がそう名乗りをあげると、しっぽが二本彼女の着物の影から出てきた。
「それで、いつ始めればいいにゃ?」
ミャオが受付嬢に聞いた。受付嬢はため息をついて答えた。
「前も言いましたが、男と女が一対一で見つめ合った瞬間から、勝負は始まっています」
ふんふん、と猫又がしっぽを振りながら受付嬢の顔を見る。
「……つまり、もうスタートしていいです」
「よしきたにゃ!」
「ちょっと待ったー!」
夜利チン之助が大声を上げた。
「なんにゃ、人が気分を上げていたところに水をさして」
「一つ聞きたい。君はその、若く見えるけど、十八歳以上だよね」
ほぼ全国的に、結婚を前提としていない十八歳未満との性交は禁止されている。相手が妖怪娘でも法律や条例が適用されるかは判断が分かれるところかもしれないが、チン之助はセフレを作るにせよ風俗店を利用するにせよ、十八歳以上であることを一つの大事な指針として気をつけていた。
「何を言ってるにゃ。わちきは……あれ、えーっと。ひーふーみー、一個繰り上がるから」
ミャオは両手で数を数え始めた。
「大丈夫です」
受付嬢が言った。
「二十年生きた猫が変化するのが猫又です。ミャオは間違いなく十八歳以上ですよ。また、これから先に出てくる妖怪娘もみな十八歳を越えていることは私が保証します」
「分かりました。ではミャオさん、勝負だ!」
「さっきからそう言ってるにゃ」
そう言うとミャオは猫のような身軽さで走り出し、チン之助の横を駆け抜けると、そのまま壁を垂直に登った。
天井に張り付いたまま猫又は言う。
「にゃははは。人間にしてやられてわちきは考えたにゃ。捕まらなければ、負けはない!」
「いや、あの、ここは風俗店じゃ……」
チン之助の言葉にその大きな耳を貸す様子もなく、ミャオは床に降りバク転を三度決めた。上下を問わずミャオが座敷内を跳び回る様をなすすべなく見守るチン之助に、受付嬢が見込み外れだったかもと言葉を投げかける。ミャオもそれを受けて調子に乗ったのか、右手をこちらに向けるとクイクイと挑発してみせた。
そしてチン之助は、スラックスとボクサーパンツを脱ぎ去った。
「ほう……」
受付嬢が感嘆した。
彼のイチモツは、固く怒張していた。やれそうでやれない猫娘。短い着物の裾からチラチラと見える足の付根。そして四足になることであらわになる胸元。
すぐに始めたかったのは、俺の方だぜ。チン之助は思った。
「た、確かにすごいが、それがどうしたにゃ。入れられなければナニがどれほど大きくても関係にゃ……にゃんだと!?」
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