16. オペ室 ジェフ エリカ

 時を遡り数時間前のことである、ジェフはとにかく困っていたし、住む家にも不自由していた。

 実家で一人暮らしだと思っていた母親はボーイフレンドと同棲しているし、そこに転がり込むわけにはいかない。


 しかし、このまま朝倉家に間借りするのも申し訳なかった。

 打開策は見えなかったが、とりあえずバカンスから戻りオフの日がようやっとかち合った母親にガールフレンドを紹介したいと連絡を入れてみた。


(いい歳して現役なのはいいけどさぁ……)


 全く知らなかった。同棲相手がいるという連絡すらもこなかった。

 こちらに命からがら逃げてきてからいきなり知らされたのだ。

 だったら自分が誰と付き合っていても何も言わないよなぁ、と彼は軽い気持ちでエリカを紹介した。

 表面上は穏やかだった。特に何にもなかった。

 母親は軍のバーで働くママなので、話もうまいし、何よりパイロットのことはよくわかっている。エリカともうまくいきそうだった。それなのに。


 ジェフは端末を見下ろした。そこにはつい先ほど母親から送られてきたメッセージがあった。


『仕事はともかく、サイボーグシップの女性と付き合うって言うのは両手をあげて賛成できないわ』


(あー予想外だなぁ。俺こんな仕事してるのに)


 フル・サイボーグ専門の循環器内科。応援してくれていたじゃないか。でもそれとこれとは別なのだろう。一人息子がそのフル・サイボーグの女性と付き合うとなると。


 零に「ミラと付き合っちゃえよ」と軽々しく言っていた半年前くらいの自分は何も考えていなかった。サイボーグと付き合うということは、こういうことなのだ。それが、今のジェフに特大ブーメランとして襲い掛かってきていた。


 ジェフはため息を一つ吐いて、手を伸ばせばすぐの目の前にチタニウムのカプセルに目を向けた。そこにドックタグが嵌まっていて、Erikaエリカ Muellerミュラーとあった。今時あまり見ないような古めかしい名前である。祖母からもらったと言われた。その祖母もまた祖母からもらったと言っていたと聞いた。


 今彼女はこの中で眠っていた。これからこのカプセルから出ての大掛かりな検査である。外からの検査で卵巣に影が発見されたため、場合によってはこのまま摘出手術となるだろう。

 すぐ先ほど、彼女は「終わったらエルドラドを見に行きたいわ!」と言っていた。「すぐ終わるから安心しろ」とジェフは微笑んだ。


 惑星エルドラド、ブラボーⅠが発見した新天地である。

 現在ブラボーⅠはエルドラドから四十万キロ離れた衛星に停泊していた。ちょうど月と地球くらいの距離感だ。


 ちょっとふっ飛ばしてエルドラドを見に行こうと約束していたのである。もちろん、サイボーグシップゆえの特権、「散歩」と言うやつである。

 エリカは輸送機なので早々に色々な任務を忙しなくこなしていた。

 メインアイランドとブラボーⅡサブライランドの接岸や増築工事のための作業員や作業ロボット、資材の輸送を行なっていたのだ。ちょっと休んでほしいとジェフは思っていた。


 最近ジェフはようやく理解してきた。エリカはいつもジェフに「身体が心配だから少しは休んでほしい」とよく言ってきたのだ。


「零も俺の手から離れたし、いい加減疲れちまったなぁ。これ終わったらお互いゆっくりしようや、エリカ」


 声は届いていないし向こうは気づいてもいない。それでもよかった。ジェフはカプセルの表面を撫でてからドッグタグを外してとりあえず自分の白衣のポケットに納めた。


 あれだけ口を開けば「ドルフィンはどうしてる? ドルフィンは元気?」と言う母がまさか反対するとは思わず少しショックだったが、もうどうでもいいかもしれない。

 自分達には零とミラという味方であり同士がいるからだ。二人をくっつけようと躍起になっていた頃、自分が同じ立場になるとは露とも思っていなかった。


「全然そういう目で見てなくて悪かったよ……」


 自分は直接診ていなかったが、エリカは部下の担当だった。だから広義の患者だと思っていたし、もちろんその時点で恋愛対象とする「異性」という枠からは外れた存在であった。


 零が自分をダシにして餃子パーティに呼んだ日が初めてまともに言葉を交わした日であったが、そこから彼女はしょっちゅう自分に連絡を寄越してきた。

 自分の唯一の趣味である映画鑑賞をエリカも趣味としていたので、よく誘われて休みの日に家で見たり、映画館に行ったりすることもあった。


(全く気づかなかったんだよなぁ……)


 いつぞや零とサミーがミラとキャシーへのプレゼントに困っていると突撃された時、何も考えずにエリカを呼んだが彼女は相当嬉しかったらしい。流石に後から申し訳ないと思ったジェフである。


 あのままだときっと一生気づけなかった。「操縦席に座れ」イベントは今となってはあれはあれでいい思い出である。寿命は縮んだ気がするが。


 その時、扉がたたかれた。


「先生、準備完了です」


 来たのは看護官と検査技師のふたりである。これからチタンカプセルを開ける前の洗浄と消毒作業、それから無菌室での検査となる。


「頑張ろうな、エリカ」


 ジェフも着替えて同席することになっていた。結局エリカの担当だった部下は脱出艇が撃墜され亡くなっていたので、彼女の担当は今やジェフなのだ。

 エリカは少々難しい、通常のサイボーグシップは4歳ほどで処置を行われるが、エリカは中途障がい者なので6歳を過ぎての処置だった。


(うーん、俺は本当のエリカを見てどう思うのか……)


 脳下垂体に手術を施し、本体は6歳のまま止まっている。データではもちろん見たことがある。辞退することもできたし、こんな関係だから担当医にならないという手段も選べた。だが、他の医者に任せるなんてのは彼の性格からしてごめんである。


「さて、気合い入れるぞ。俺が処置するわけじゃぁねぇが」


 ジェフは運ばれていくエリカを見送りながら、そう小声で言った。


***


 音が聞こえた。ザワザワとした音だが、いきなりくっきりと輪郭を描いて耳に飛び込んできた。ああ、検査なのか手術だかが終わったのだなとエリカが思ったその時だ。


「メス」


 なんだなんだ、と、エリカは思った。彼女は。白い天井、それからライトが目を焼いた。

 実に二十四年ぶりに肉眼で見る光景だったが、この時の彼女は未だそれに気づいていない。

 身体は全く動かない。首から上は動くはずだったが、言葉も話せない。気管挿入されているからだ。


(今、メスって言ったわよね?)


 彼女は凍りつき、次の瞬間パニックに陥った。唯一動く目だけで必死に周囲に助けを求める。だが、誰も気がつかない。


「大腸も小腸もいい色だ。代謝を落としているサイボーグにしては珍しい」


 そう声が聞こえた、きっと執刀医の声だ。彼の声はなおもつづく。


「君も本当に物好きだな……カプセルを開けたら見ての通り6歳児の身体だぞ、よくもまぁ……」

「無駄口を叩く暇がおありでしたら、さっさと処置を」


 次に聞こえたのはジェフの声だった。確かにこの処置に同席してくれているのは知っていた。今回は一時検査で引っかかり再検査となったが、検査中に外科手術した方がいい場合はそのままオペに突入すると聞いていたし、もちろん同意書にサインもしていた。

 きっと、開腹手術しなければいけない何かが見つかったのだろう。

 だが、エリカは己の置かれている状況よりも、ジェフが言われていたことの方に気が向いた。


 物好き?

 6歳の身体?

 誰も、好きでこうなったわけではない。


 怒りが湧いてきた。

 

 エリカは視線を彷徨わせた。身体の感覚は元よりないが、自分の身体に向かって皆が作業していることがわかった。自分の心拍を示す音だけがやたら大きく聞こえる。

 息が苦しい。なぜだ、どうして。何が起こっているのだろう。


 この時の彼女は知らなかった。鎮静剤を投与され眠っていたため、毎分の呼吸量がかなり落とされていたことを。


 彼女は必死だった。肺が焼けるようだ。最早、執刀医たちの声も遥か彼方に聞こえた。


(ジェフ、助けて!)


 彼女は眼球を動かした。いた! ジェフがいた。

 マスクもしてガウンも着ていたが彼はジェフだ。エリカは必死に彼に視線で訴えかけた。初めて肉眼で見る彼がそこにいた。


「脈と血圧が……おい! 上昇してるぞ。麻酔科医! プロポフォール足りないんじゃねぇかよ!」

「……! 血液上昇、頻脈確認!」


 ジェフが大声を発した。それに誰かが反応した。そしてジェフがこちらを見た。目が合った。


「エリカ、エリカ! 意識あるな? YESなら瞬きを二回しろ!」


 エリカは必死で瞬きをした。


「大丈夫だ、これから麻酔科医のコントロール下でまた眠ってもらう」


 ジェフが気づいてくれた、それだけが本当に嬉しかった。

 彼の手が、頬に触れた。彼の目を肉眼で見て、手袋越しではあるが触れ合った瞬間であった。  


「苦しいか? 安心しろ、俺がついてる」


 嬉しかった。彼が気づいてくれたことが、そして寄り添ってくれたことが。そして何より触れ合えたことが。

 次の瞬間、エリカの意識は闇に落ちた。

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