12. 洋食店 ミラ 京香

 気づけば、クリスマス一週間前になっていた。

 レイがソックスの家族に声をかけて、先日ソックスの誕生日も近いのでということで皆で集まって食事会をした。

 ソックスの父親が料理を振舞ってくれた。悲しみは癒えないが、皆が無事にブラボーⅠに辿り着いたことに感謝した。

 また来年も、と皆で約束した。


「隊長さん、次こそは店を再開するので、ぜひうちで」

「もちろんです、親父さんもお身体に気をつけて。何か手伝えることがあれば頼ってください」


 レイとソックスの家族が穏やかに会話しているのをミラはキャシーやホークアイのドローンと見守った。

 

 数日後には、アサクラの屋敷にユキがやってきた。

 ユキがレイに料理を教えに来ることになり、ミラも久しぶりに彼女の手料理を味わえたのだ。


「昨日楽しかったね」

「ツナ缶使って生姜を効かせた炊き込みご飯、ものすごく勉強になった。味噌汁の味噌の割合、覚えた。うちは昆布だし取らないから全然知らなかったけど、昆布だしも覚えた。うん、本当にお願いして良かった」

「よかったね、レイ」


 レイも昨日ユキと一緒に料理したのが楽しかったのか、朝から上機嫌なようだった。

 確か、炊き込みご飯には油揚げも入っていた。ユキは彩りも考慮してにんじんも入れているとのこと。フィリップもユキの手料理に喜んで皆で楽しいひとときとなった。


 今、ミラとレイの二人はリビングにいた。レイのドローンはミラのすぐ目の前のテーブルの上に佇んでいた。

 朝日がゆるく差し込むリビングは、セントラルヒーリングのおかげで快適な気温を保っていた。

 テレビもつけず、穏やかな空気で過ごす時間はまさに至福である。

 頭の隅に追い出していた懸念事項は一つだけあったが、それを除けば気分は上々だった。


「ミラ、朝はどうする?」

「うーん、軽くでいいかな」

「無糖のヨーグルトでフルーツヨーグルトでも作ろうか?」

「うん、ありがと」


(食欲ない……ちょっとだけ不安だ……)


 その懸念事項とはなんなのかというと、そう、今日はキョウカ……レイの母親であるキョウカと二人で少し遅めのランチに行くのである。少しずれた時間ならば人が少ないからとのことであった。


「盗聴器でもくっつけて行こうか? 母さんがミラに対して変なこと言ったら……俺にも考えがある」

「と、盗聴器!? いや、そこまでしなくてもいいよ……」


 会話を聞かれてしまったら、自分は挙動不審になるだろうし何も話せなくなってしまうに違いない。そして十中八九、バレる。

 ミラはそう確信していた。


(いや、それにレイ……盗聴器はダメだよ……)


 レイが自分を守ろうとしてくれているのは痛いほど感じられるが、何と言っても誠意がない。

 しかし、彼が盗聴器を持ち出すというくらいなのだ。キョウカは自分のことをどう思っているのだろう、とミラは心配で身震いした。 


「レイも心配? 私……大丈夫かな……」

「見ている限りは君のことは嫌ってない、それに、あそこは母さんのお気に入りのカジュアルな服でいける洋食屋だ。家族でもよく行ってた。気に食わなかったら連れて行かない」

「じゃあどうして盗聴器なんて?」

「君のことをひとりの人間として気に入ってるのと俺の彼女としてOKか否かは別問題だ、そしてあの人はとにかくフリーダムだ、やばい人だ。気をつけろ」


 ミラはこのことの意味を数時間後に知ることになった。


「珍しく渋滞しなかったからまだ時間まであるわね。ちょっとお買い物しましょう」


 送迎されたリムジンで百貨店、ギンザヤに足を踏み入れた時のことである。

 その瞬間にインフォメーションにいた男性の顔色が変わる。一人は慌ててどこかに電話をかけ始めもう一人は小走りで走り寄ってきた。


「アサクラ様、ようこそいらしゃいませ……こちらにいらっしゃるとは珍しいですね」

 

 普通に考えて、きっと外商が自宅訪問するのが通常なのだろう、とミラは想像した。


(レイはうろつくの好きそうだからVIPルームとか使ってたんだろうな……)

 

「チラッと寄っただけよ。ちょっと普通にウィンドウショッピングさせてくれないかしら? 今日はうちの息子、零のガールフレンドも一緒なの。堅苦しいのは結構よ」


 その言葉に、彼の目が一瞬だけ見開かれた。軍人でありスパイ、テロ工作員としての教育を受けたミラだけが気づくようなわずかな変化だった。

 レイの名前が出てきたことに、彼は驚いている。


「そのうちうちの息子も連れてくるわよ。さ、ミラちゃん何見る?」

「あまりこういうところは……自分は詳しくなく……」


 仕事中じゃないんだぞ、と自分で自分にツッコミを入れたその時だ。別のスタッフがするりとやってきてキョウカに挨拶し、「こちらへ」と声をかける。別室へ案内されるようだ。


「うーんそうね、ミラちゃん、誕生日は何月?」

「四月です」

「じゃあダイヤね。何か普段使いできるシンプルなピアスとネックレス、いくつか見繕ってくれない? 地金はゴールドかしら? あら、プラチナでも似合いそうね……とりあえず両方試してみましょう」


 ミラはもう目眩がしそうだった。結局、ふかふかのソファで重厚感のある雰囲気抜群のサロンに案内されて、シャンパンを提供された。

 正直、味も香りも何も覚えていない。



 その後、舞台はすぐ近くの洋食屋に移っていた。

 シックな雰囲気だが、高級レストランという様子ではない。ワンピースやカジュアルなジャケットを着た一般客がいるエリアのその奥、二階の個室に案内された。

 

「さっきのピアスとネックレス、輝きも綺麗で派手すぎなくてよかったわね」

「買っていただいて……あ、ありがとうございます」

「いいのよいいのよ。なんにもなくなっちゃって、大変でしょ? これはお礼よ。うちの子と一緒にいてくれるなんて感謝しかないわ」


 結局、ミラはキョウカにシンプルなダイヤのネックレスとピアスをプレゼントしてもらった。

 冷や汗が伝う。メニューを見ても目が滑るだけなので、結局キョウカも頼んだおすすめのオードブルにしてもらった。

 合わせるのは白ワインである。キョウカがワインリストから選んでいたが、かなりいいものなのだろう。ドレスコードの厳しくない店ではあるが、さすがにジーンズにスニーカーで入るのは憚られるレベルの店だ。


(レイにどんな服がいいか聞いといてよかった……)


 乾杯後、手持ち無沙汰にワインを傾けていたミラであったが、出てきたオードブルはまるでジュエリーのような煌びやかさだった。カキのソテー、存在感のある帆立の貝柱に生ハムメロン。それから、大ぶりなエビにローストビーフやスモークサーモンが美しく盛られている。

 乾杯し、ナイフとフォークを手に手に取った。まず、口に運んだのは帆立の貝柱だった。


「お、美味しいですね、これ!」


 噛んだ瞬間帆立の旨味が口の中に広がった。もちろん、大ぶりで食感も最高。食べ応えもある。


「ここはね、昔から買い物がてら必ず寄ったのよ。零が図鑑持ち込んでも生暖かく見守ってくれる料理長でねぇ……あの子は子供の頃エビフライばっかり食べてたわ。そのエビも美味しいわよ」


 ミラはクリムゾンが言っていたことをふと思い出した。レストランに鳥類図鑑を持ち込むような子供だと彼も言っていた。


「それ、クリムゾン……上官から聞きました。レイは鳥類図鑑持ち込んでたって」

「ミシェル君はね……実は零があの身体になって『俺のことを誰も知らないところに行く』って言い出して止まらない時に自分も移籍してサポートするからって言ってくれたのよ」

「はい、クリムゾンは……本当に優しいですよね。私も何度助けてもらったことか」

「ミシェル君にも、ジェフ君にも、もちろんあなたやキャシーちゃんやエリカちゃんやフロー君、フィリップ君にも感謝してるわ」


 牡蠣のグラタンを堪能し、コンソメスープにサラダ、パンを遠慮なく追加オーダーして口に運んでいるとキョウカは関心したように目を瞬かせた。彼女はもういいわと言って酒だけ楽しんでいる。


「よく食べるわね。気持ちいいくらい」

「す! すみません! 遠慮もせずに……」


(しまった……!)


「あ、いいのよ遠慮しないで。気持ちよく食べるわねって本当に素直に思っただけだから」

「レイにも言われます……」

「あの子喜ぶでしょ。前どこぞのご令嬢と付き合いで食事行ったらまあ残すわ残すわで、あの子家帰ってから怒ってたくらいだから。もうあの女と飯になんて行ってたまるか! って」

「いっぱい食べてー! って言われます」


 レイはそういう女性は合わないだろうな、と率直に思ったミラであった。


「不思議に思ったことない? なんであの子、自分は食べられないのに料理するのか」

「元々料理は趣味だから、楽しんでくれるならいい、とかリハビリにちょうどよかったとか言ってましたけど……言われてみれば、他にも何かありそうですね、それだけじゃない何かが」

「そう、私たち、零の目の触れないところで食事してたのよ。あの子は構わないからって言ってたんだけど、こっちが変に気を遣っちゃって……そしたらあの子、自分がリハビリがてら作るから目の前で食べろってキッチンにアーム取り付けたの」


(気を遣われるのが嫌だったのか……)


「自分に気を遣って、こそこそ食事されるのが辛かったんですね、自分が食事出来ない以上に」

「そう、だから気にせずこれからもあの子の料理、いっぱい食べてあげてちょうだい」

 

 ミラはしんみりした気持ちで頷いて、最後のパンとスープを平らげた。


「デザートはどう?」

「いただきます!」


 ミラは差し出されたメニューに視線を走らせた。


「私はホットコーヒーだけいただくわ。デザートは厳しいわね。何にする?」

「私はそうですね……」


 ちらりとキョウカの方を見た。彼女はにこりと微笑んだ。


「なんでもいいわよ。二つとか三つとか頼んでもいいのよ」

「あ、さすがに一つで大丈夫です……そうですね、ブランデーケーキにします。飲み物ってどの辺がいいんですかね?」

「そうね、紅茶はどうかしら。ここの紅茶美味しいわよ」

「はい! 紅茶にします!」


 店員を呼び、ケーキと紅茶、コーヒーをオーダーした直後のことだ。キョウカの端末が着信音を鳴らした。


「……この音、零からだわ……ごめんなさいね、仕事の着信とかは切っていたんだけど……はいはい、どうしたの? え? メディア? ちょっとスピーカーオンにするわよ」


 キョウカはそう言ってスピーカーをオンにした。


「ミラ? 聞こえるか? 表にものすごい量のメディアがいる……母さん、ダラダラ買い物とかしてただろ、もう昨日あたりからいろんなメディアやネットニュースも嗅ぎつけて騒ぎだ。サイボーグとして戻ってきた御曹司と実験室の被験者のロマンスって」

「あらそれ映画だったら面白そうね。男あんたじゃない別の今風イケメン俳優に取っ替えて」

「俺の顔はどうせ古風だよ! そこのおばさんちょっと脱線するから黙って」

「誰がババアよ!」

「そこまで言ってない!」

「……窓からちょっとだけ覗いてみる」


 ミラは今にも喧嘩しそうな親子を放って窓辺に駆け寄り、わずか数ミリのカーテンの隙間から外を見下ろした。

 確かに記者のような人間や、カメラマン、マイクを持ったリポーターまで何人も見えた。


「本当だ……」

「店に迷惑かけるのはやめてほしいわねぇ……あんたところでどこにいるの?」

「ベランダの室外機の上。今店員にベランダから入れてもらった」


 そして、ぶち、と電話が切れた。

 キョウカと目が合った。彼女はブーツのヒールをカツカツ言わせながら近づいてきて、ミラの両肩をがば、と掴んだ。 


「あの子ずっとこの辺ブンブン飛び回って私たちのこと見張ってたってこと……? ミラちゃん大丈夫? 実はストーカーされてたとか」


 キョウカの早口で捲し立てられたその声は心底心配そうであった。マスカラが綺麗に塗られたまつ毛が羽ばたいた。

 ミラの化粧っけのない濃い灰色のまつ毛の奥の目がまんまるに見開かれた。


「ないですないです、大丈夫」

「そうよねぇあの子、いくらなんでもそんな性格じゃないわよね。なんか自分から女の子追いかけてるとか想像つかないし……ああびっくりした」


 そう言ってキョウカは元いた席に腰を下ろした。ミラも自席に戻る。

 そして、キョウカの目が鋭く光った。

 ミラは生唾を飲み込んだ。


「あの子と付き合うっていうのは、こういうこと。過去も何から何まできっと週刊誌やニュースに書かれるわ。それを理解できて?」


 ミラは下を向いて膝の上の拳を握りしめた。そう、わかっていたことだ。いつかこんなことがあると思っていた。


「……はい」

「あなたのことは嫌いじゃないわ、むしろ好きよ。仕事もできて、人生経験も豊富で、ちょっとやそっとじゃ動じなくって、それなのに朗らかでかわいくて、うちの家族みんな気に入ってるわ。でも週刊誌に過去をあれこれ書かれて耐えられる? 道を歩いていてもメディアに直撃されるし、写真も撮られるわ」

「……はい」

「私としては頑張ってもらいたいの。あの子があんなに明るくなったのはあなたのおかげ。でもね、あなたの人生を考えたとき、無理強いはできないわ。降りるなら今のうちよ」


 ミラは顔を上げて、キョウカを真っ直ぐ見た。


「でも、レイが好きなんです。一緒に居たいんです」

「頑張れる?」

「はい!」

「なら精一杯協力するわ。これからもよろしくね、ミラちゃん」


 キョウカはにっこり微笑んだ。ミラも笑みを返した。

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