10. 二人の部屋 零とミラ
ミラに「食事の後に話がある」そう深刻そうな顔で言われて、零は身構えた。
昨日まで何もなかったのに。なんだ? ここを出て行きたいだとか、それだったらまだいい。もしも別れ話だったらどうしよう。
「いやあ本当に俺の肉をとっておいてくれただなんて本当龍先生! 神!」
「こんなポンコツな神がいたら困るなぁ……でもジェフ君、本当にタフだよねぇ。僕にはそんな働き方無理だ」
結局24時間ぶっ続けで大学病院のヘルプをしていたジェフは、帰宅後十時間近く寝ていたらしい。ついさっき起き出してきて、昨夜のステーキ肉を残してもらっていたことに感激している。
今夜はキャシーの作る広東料理だ。肉まんや肉と野菜の炒めもの、煮魚、スープなどを作るらしい。ジェフだけ別メニューである。
「あー、そっちも食べたい!」
「両方食べればいいんじゃないの?」
「そうする!」
カナリアとジェフの会話も右から左に流れていく有様だ。零はミラに声をかけた。
「俺
「うん、わかった! また後で」
零は今のうちにドローンを部屋に移動させておこうと、自室に飛ばして接続を切った。仮想現実空間の己の部屋にログインし、ソファにどかりと腰を下ろした。
「何……? 一体何!?」
とてもではないが調べ物をする気なんて起きなかった。
ソックスの誕生日が近いので、どこかキッチン付きのレンタルスペースでも借りて向こうの家族も呼んで食事会でもしようと思っていた。都合は聞いてある。使い勝手とアクセスの良さそうな場所を見繕おうと思っていたが何も手につかない。
落ち着かなさが異常。思わずホークアイでも呼び出そうと思ったが、思い出した。彼は仮想現実空間の部屋の契約に行っていた。
零と同じ建物の部屋を借りると言っていた。1LDKならそこまで高くないらしい。
他の面々と言えば、ミラもキャシーもダガーも寝食の提供に恐縮していたものだが、ミラは怪我をしているにもかかわらず毎日楽しそうに鳥の世話を手伝っている。
零は気づいた。ミラは細々した鳥のおもちゃ作りや掃除、餌やり、鳥と遊んでやるなど世話が大好きなようだ。特にセキセイインコのレモンがお気に入りで、レモンもミラを気に入ったようでよく肩に乗って囀っている。
キャシーは今日はサミーの点検をすると重工の整備工場に行っていた。いくつか最新の部品に交換し、オーバーホールの際の意見交換を重工社員と行った。なかなか充実した時間を過ごしたようだ。
ダガーは庭のバラの手入れをする龍を手伝っていた。それから冬野菜の収穫なんかもしていた。普段庭仕事なんてする機会などないのだろう、相当楽しかったようでかなり生き生きしていた。それからショーンの見舞いにも行ったようだ。
上層部からは軍の再編成の話も来ているが、役所の登録と船籍変更の手続き、それから配属の決定などもあり、いずれにせよ今すぐは動けない状況ということを理解した彼は朝倉家の手伝いをすることに意欲的になった。龍も男手が増えて喜んでいる。これで滞在することへの後ろめたさもないだろう。どうせ部屋は余っているのだから。
(キャシーも喜んでここにいるし、二人で出ていくにしてもそもそも今は部屋を探すのすら難しい。出て行きたいという線はなさそうだ……なんだ?)
となれば別れ話くらいしか考えられなかった。でも、別れ話をするならば出て行くのもセットだろう。
ソックスの誕生日の件で色々と考えようと思ったが心にそんな余裕はない。
うだうだと悩み続けていると、端末のメッセージ受信音がけたたましく鳴って零は小さく飛び上がった。
「はっ! もう9時!?」
端末を手に取ると、時刻は9時を過ぎていた。食事も終わったのだろう。零がメッセージを確認すると予想通りミラからで「今から部屋に戻るね」とあった。
零は立ち上がり、ソファの周りぐるぐると回りながら「どうしよう困ったどうすればいい? もうなるようにしかならない」と自問自答しログアウト、ドローンに接続し直した。
「零、あの、話ってのはね、まず一つ目は謝りたいことがあって……」
かつての自室であり、今やミラとの共同部屋。ミラがベッドに腰掛けたので、零はベッドサイドのナイトテーブルにドローンを着陸させた。
零は表面上は目に見えないが動揺しきりであった。
(謝りたいこと!? 複数個あるの? なんだ……頭痛が止まらん……)
「零にもらった羽のピアス、失くしちゃったなって。ごめん」
零に身体があればひっくり返っていたに違いない。あまりのことに言葉が出てこなかった。
な、なんだ、そんなことか。心臓に無駄働きをさせてしまった。
きっと呼吸ができていたら、安堵の息を吐いていたはずである。
「え! ピアス! いいんだよ、ミラが無事なら……ニコだけでもこっちに連れてこられてよかった。そうか、気にしてたんだね。本当の鳥の抜けた羽でピアスを作ってプレゼントしてあげるよ。他にもせっかくだからミラに似合うアクセサリーをいくつかプレゼントさせてほしい」
「本当!? 本物の羽のピアス!?」
「ああ、抜けた羽だけは捨てるほどあるからぴったりのものを見繕って。今度一緒に百貨店行こうか。コートとかバッグとか靴とか、欲しいものあればなんでも」
「高いものはいいんだよ! 羽のピアスだけで」
「いいや、プレゼントさせてくれ。ケチな男と思われたくない俺の矜持を守るためにも! で、一つ目って言ってたけど、他には?」
一つ目の話がピアスの話だった。ならば二つ目も別れ話などでは絶対にない。
零はリラックスして問いかけた。
「ユキを紹介したい。ユキと会ってくれない? ユキは元組織の人間だからいい気はしないかもしれないけど……とてもいい人なんだ、だからお願い」
そう言って手を合わせられて、零はふと思い出した。ミラがこのように日本人っぽい仕草や生活スタイルなのは多分そのユキという女性の影響なのだ。
(そういや、ミラも日系人みたいなもんなんだよな……見た目はどっちかというと欧米系って感じだけど)
「会いたくないならいい。無理はしないで。ごめんね、忘れてくれていいよ」
「あ、ああ違う! 会いたい! 俺も会いたい。だってミラの名付け親で、ニコをくれた人だろ? 挨拶させてほしい!」
「ありがとう! 今、施設で調理師してて、今日昼間にバッタリ会ったんだ!」
調理師か、そうか、料理を職業としている人か。零は少々困った。いつか彼女に会える日が来たら、ミラが子供の頃によく食べていた料理を教えてもらおうと思ったのだが、それで身を立てているのならば話は別だ。
(謝礼を払えば教えてくれるだろうか……)
「ユキは本当にいい人なんだ、私たちのきょうだいたちが実験の結果遺伝子の異常とかで調子崩した子も、一緒に看病してくれた。どんどん処分されていた時も全然知らなくて、昨日まで元気だったのに急死ってどういうことなんだろうって本当に悲しんでた。でも、途中で薄々気づいたみたい。処分されてるって。なんとか尻尾を掴もうとして、シュンイチの手術が済んだ頃、次の処分候補のファイルを見つけて……フィリップの名前が載ってて……」
「それで告発か。なるほど理解した」
彼女が組織に身を置いたのは、「息子の手術をしてやるから住み込みで実験室の子供たちの世話をしろ」と言われたことがきっかけとミラは言っていた。
息子を盾に取られ、何も知らされずミラたちの世話をさせられていたのだ。そして途中で気づいてしまったのだ。実験で生み出された子供たちが、役に立たないと判断されると殺処分されているのだと。
非がないとは言えない、だが、署名もあり恩赦で早めに社会復帰したその意味がわからない零ではなかった。
「ところで、どこで会う? 告発者だろ。結構普段も気をつけて生活してるんじゃないか? どんな組織でも解体命令が下っても、残存組織が名前を変えても生き残ってたりする」
「そう、それはユキも言ってた。だから普段も施設に住み込みだし、基本はあんまり外に出ないんだって。一人で出歩くなんてもってのほか」
「ならここに呼ぼう。送迎はうちの運転手にさせればいい。それが安全だ」
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