3. 繁華街 懐かしのタバコ
「なぜブラボーⅠはこうも栄えているんだ?」
夜の七時過ぎ。回り道をして帰ろうと零がホークアイを誘い、大通りまで出ると繁華街は大盛況だった。歩行者天国になっており人でごった返していて、ブラボーⅡの仮想現実空間とは段違いである。
零とホークアイは人を縫うようにして歩いた。
「俺が思うに、まず人口が違う。先天性だけでなく、中途重度身体障がい者も利用を許可された。ということは、酒場で働いていた人間もいれば、元ダンサーだっている、シェフにソムリエだってそうだ。だからこうも栄える」
先ほどのワインも軽食もなかなか納得できる味であった。その意味するところは一つしかない。
「リアルを知っている人間がこちらに来たということか」
「ああ、そういうことだな。リアルを知っている人間には、ブラボーⅡの仮想現実空間は正直物足りなかった」
零やカナリアが仮想現実空間に入り浸っていなかったのはそんな理由からだ。全てが味気ないのである。
「……ドルフィン、君、辛かったんだな」
「同情はいらん。ビリヤードかダーツかそれかもう一軒酒場に付き合え」
「帰らなくていいのか? あれほどラプターに会いたがっていたのに」
「……どんな顔をしてなんの話をすればいいかわからない! どうせ顔なんて見えてないのはわかってるからツッコミはいらないからな!」
あれほどミラと一緒に過ごしたかったと言いつづけていたこの男だが、昼間の件をどう自然に話せばいいのかさっぱり脳内がまとまっていなかった。
千々に乱れていたといっても過言ではない。
「ははぁ、シュンイチの件だな。私がナチュラルに聞き出そう。実際に会っているのだからなんの不思議もあるまいよ。君は同席しろ」
ほら、早く行くぞ。急かされて零は少々困惑した。
「ど、どうしたホークアイ?」
「たまには私とて役に立てるぞ。日頃世話になっているからな」
「い、いや! まだ決心がつかない!」
アイスブルーの視線が槍のように零に突き刺さった。
「あれほど口を開けばミラがミラがとしか言わない男が、痩せ我慢をするもんじゃあないぞ」
往来で突っ立っていては邪魔になる、ほら行くぞ。そうじれたように腕を掴まれたが、散歩を拒否する犬のように零はガンとして譲らなかった。
「ちょっと作戦、作戦だけ立てさせてくれ」
「は? 作戦も何もない。あの男は旧友か? 礼儀正しいなかなかいい男だな、あの後無事会えたか? と自然に聞くだけだ。君は隣にいるだけでいい。私が極めて自然に君が知りたそうなことを切り出す」
「……い、いや、ちょっと時間を、時間をくれ!」
「はぁ?」
流石のホークアイもムッとしたようで腕を組んで零を見た。
「なんで君はラプター相手になると急に腑抜けになるんだ?」
「誰が腑抜けだ!」
「君がだ!」
往来を避けるように道の端に移動する。
「大体、君は一切口を開かなくていい。全て私に任せろ。そう言っているのにそれの何が不満なんだ?」
「不満はない! ありがたく思っている。だけど、決心が! 決心がつかん!」
とにかく落ち着かなかった。なんだろう。零も今の感情をうまく言語化できなかったのである。
「いや別に浮気を疑っているわけでもないのに、なぜ決心が必要なんだ……」
「浮気!? 浮気なんて言うなよな! ミラがそんなことするはずがないだろ!」
「誰もそこまで言ってない……」
はぁ、とホークアイは嘆息した。
零も流石に申し訳なく思った。意味不明なことを言っているという自覚はあったのだ。すまない、と言いかけた時のこと。
臨時ニュースです。ひたすら広告を流していた繁華街の巨大ホロにニュース速報が流れ始める。
零とホークアイははっとして上空を見上げた。
(敵襲か!?)
「かつて反政府組織、『砂漠の虎』に所属し、数々の人体実験を行い地球に送還されていたカズヤ・マツヤマが脱獄し行方不明です」
ニュースキャスターは迷いなくそう読み上げた。
「松山が脱獄?」
「なんだって?」
零とホークアイは口々に声を上げた。繁華街も一瞬静まり返った。
「敵襲でないからよかったものを……機体をすぐに上げられる状態じゃないからな」
「ああ、ブラボーⅡの面々は未だ満足にスクランブルできないなと思って一瞬肝が冷えた……敵襲でないのはよかったが、ラプターが気に病まないといいが」
ミラを実験室で生み出したマッドサイエンティスト。松山の脱獄。これは大ニュースである。
「お二人さん、軍人? でもブラボーⅠの人間って雰囲気じゃあないね」
近くにこちらを見ているアジア系のスレンダーな女が佇んでいた。
(韓国系っぽいなぁ……いや、中国?)
彼女はタバコの煙をうまそうに吐いた。
ふと意識するとタバコの匂いがした。あ、ここは喫煙可能エリアか。ホークアイがつかつかと歩み寄ってどこか怪訝な声で応じる。
「ブラボーⅡの軍人だ。君も軍人か?」
「そ、サイボーグシップ。機体はFR-2 アルバトロス。タックネームはバーニングローズ。シンディー・ウー中尉」
(大型輸送機か。ただの非行ギャルにしか見えないが)
彼女がこう見えて、と言った通り、ピンクのド派手なハイライトをここぞとまでに入れたダークヘア。それからへそが見える丈の短いカットソーにショートジャケットを羽織り、デニムのミニスカートに膝より上まであるニーハイブーツを履いていた。
お上品な文化圏で育った零は内心ドン引きした。大丈夫だろうか、ブラボーⅠのサイボーグシップ。
「私はホークアイ。機体はE1 オクルス。フローリアン・ミュラー少佐だ」
「機体はケーニッヒ。タックネームはドルフィン、階級は大尉」
下手すればドルフィンと言っただけでも正体が露見しかねないが、多分彼女は自分を知らない。中尉ならどれだけ若くても二十代半ばだろう。きっと知らないはずだ。
(ケーニッヒって言ったのも、もしかしてまずかったか?)
「二人ともサイボーグシップ!? しかも、オクルスとケーニッヒ……なんてエリート! ブラボーⅡには戦闘機のサイボーグシップがいるんですね!?」
彼女が息を飲んだことがわかった。右手に持ったタバコのやけに長くなった灰が今にも落ちそうで、それがやけにリアルさをそそる。
(バレたか?)
「階級としてはまぁ……妥当な年齢だ。この前33歳になった。こっちは35だから……」
自分はともかく、ホークアイは全く妥当な年齢ではない、という言葉を零は飲み込み口を開き、俺をジジイ扱いするなよとホークアイを睨みつけた。
「君はまだ階級からして二十代半ばだな? 逃げて来てからサイボーグシップには初めて会った。俺は元々こちら出身だが……爆発的に人口が増えたようだな」
「そんな方だとは知らずご無礼を。娯楽も増えて皆感謝していますよ。お二人もせっかくだから遊んで行ったらどうですか? あっちのカブキチョウの方とか……お酒でもショーでもちょっとアブノーマルな店でもなんでもござれ」
(懐かしいなぁ歌舞伎町か。でもそんな繁華街で遊ぶ気はないな……)
酒場は無限と言っていいほど。ピンからキリまで揃うラブホテル。キャバクラもガールズバーも、ホストクラブもストリップショーもその他風俗店なんかもなんでもあり。リアルのブラボーⅠの歌舞伎町ストリートを元に作ってあれば、の話であるが。
ブラボーⅠの歌舞伎町ストリートは地球の東京にある本物の歌舞伎町より猥雑とした繁華街として有名である。
「まあおいおい、気が向いたらな」
ホークアイはさらりとそう流した。一方の零はホロを見上げた。マツヤマは地球から脱出した可能性もあり……とキャスターが原稿を読み上げている。ホロには監視カメラの様子が映っていた。どうやら職員に紛れて脱獄したらしい。手引きでもいたのだろうか。
「ブラボーⅠはあいつらに酷い目に遭わされました。だから援助してくれたブラボーⅡの皆さんには感謝してます。今度はあたしたちの番。しばらくはゆっくりしてくださいね。これ、お詫びです」
彼女はタバコの火を消して、「すみません、御無礼を失礼しました」そう笑いながらパッケージの開いた口を向けてタバコを差し出してきた。
「……せっかくだからいただこう」
互いのこともろくに知らない状態での非番の日の口調くらいで気分を害する零ではないし、おそらくホークアイもそう。しかも、軍人とは言えど未だ所属船団も違う。
一本いただくとライターを受け取り火をつけた。
「ドルフィン、君タバコ吸うのか?」
パイロットなのに? という声が言外に聞こえる。最近のものはそこまで健康に悪い訳でもないし、と苦笑した。
「……元々喫煙者じゃないが、気が向いた時にたまに。十年? ぶりか」
喫煙経験はたまに貰って吸ったことがあるくらいという有様だが、経験がないわけではない。
なんだか懐かしさを感じた。タバコの葉、独特の風味の中にどことなくバニラ香を感じる。
たまに自分を喫煙所に引っ張っていって喫煙に巻き込んだ一人の女性を思い出して、胸の奥に苦いものが広がった。初めて会った時も、その女性は自分にタバコをくれた。
しんみりしていた零は思考を無理やり現実に引き戻した。
「お前も貰えば? せっかくだし」
ホークアイはパッケージを向けられて一瞬戸惑ったような素振りを見せた。
ははぁ、さてはこいつ初体験だな、と零は踏んだ。ブラボーⅡで発売はされていたが、あまりメジャーではなかったし喫煙するサイボーグもほとんどいなかった。タバコなんてものは大抵周りに影響されるか貰って始めるものだろう。
一本タバコを受け取ったホークアイにライターをパスすると、弧を描いたそれは見事に彼の手に収まる。ホークアイは不思議そうに火をつけている。
「そもそもライターすらも初めてだ」
「まずは軽く咥えて。吸いながらじゃないと火がつかない。火がついたらいいか、ゆっくり吸えよ。勢いよく吸うとむせる」
零はそう言って試しに強めに吸ってみた。すると、予想通りタバコの嫌な苦味が喉を刺激した。本当によくできていると彼が感心していると、ホークアイは思い切りむせていた。
「……何が楽しくて吸っているのかわからん」
「最初はそんなもんだろ。俺も初めてもらった時むせたよ。これ、よくできてるな、感心する」
「昨日もブラボーⅡの喫煙者がこの喫煙エリアで感心してましたよ。なんだか全然違うって。これ、開発したのが成人過ぎまでリアルの住民だった愛煙家の方みたいですよ」
「私には合わないと思うが、こっちに来てなかなか新鮮な体験ばかりだ。礼を言う」
慣れてきたのか、ホークアイは結構様になっている。
零は灰皿に長くなってきていた灰を落とした。
「よかったらどこか案内しましょうか?」
「ホークアイ、よかったら遊んでくれば?」
零は彼女がこちらと遊びたそうにそわそわしていることに気づいていた。
(こいつには息抜きが必要だ……うん。ちょっとまだリリースするの心配だけど)
まだカトラリーの扱いははおぼついていない気がするが、一人でないゆえ問題ないだろう。彼女、面倒見が良さそうだ。
零は短くなったタバコを慣れた手つきで処理し、灰皿の中に落とした。
「いや、私には仕事がある。帰るぞ!」
ホークアイも短くなったタバコの火種を灰皿に押し付けて火を消した。
「仕事? 仕事ってなんだ?」
こいつにこれ以上仕事されたら困る。いい加減今度こそ過労死するかもしれない。そう思った零は少々焦った。
「君のお膳立てだ。では、正式に軍人として復帰したら会うかもしれないな。バーニングローズだったか、礼を言う」
ほらさっさと行くぞと背中を押されたので零は歩き始めた。
「よかったのか? ああいう女嫌いじゃないだろ?」
酒の席での下世話な会話などで、零はホークアイの女の趣味をどことなく把握していた。スレンダーでクールな顔つきのアジアンビューティはかなり好みなはず。ホークアイがタバコでむせていても馬鹿にするようなそぶりもなかった。それから男女問わず頭のキレる人間が好みらしいが、そもそも軍人でサイボーグシップ。馬鹿ではないはずだ。
ド派手な髪や服装は零個人の好みとしては受け入れ難いが、年長者をきちんと立てる真面目さにおまけに愛嬌もある。総合的に鑑みるに、ホークアイならGoサインを出すだろう。
(結構好みじゃないのか?)
「君らが気になって集中できない……そんなことしたら君は今夜ラプターに会わず、悶々として過ごすんだろう。気になることはさっさと聞くことだ。君が無理なら私が聞いてやる。さっさとログアウトするぞ。もうそろそろリアルでは夕食が終わった頃だろう」
駅前まで移動する。駅など室内に入り、ログアウトスポットに行けばわざわざ家に帰らずともログアウトできる仕組みだ。
「……わかった」
元来夜遊び大好きなはずのホークアイがここまで協力してくれると言うのだ。零は流石に覚悟を決めた。
どこか落ち着きをなくしている彼らは松山のことをすっかり頭の片隅に追いやっていた。
地球との時差のせいで、この緊急ニュースが入ったとうの昔に松山は地球を脱し、避難民のゴタゴタに紛れてブラボーⅠに入艦していただなんて、二人とも全く想像していなかった。
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