2. 仮想現実空間 零とフローリアン スペインバル

「ああ、シュンイチ・マツヤマだな。いきなりあのマツヤマの血縁者に会って驚いたが、礼儀正しくて身だしなみもシンプルながら整っているし、高身長で顔も端正。英語も流暢だしリアルにもまあまあいい男がいるものだと感心したな」


 横並びのカウンター席。口元にグラスワインを運んでいた零の動きが隣のホークアイに視線を向けたままぴたりと止まる。


「え、松山の親戚!?」

「君も聞いたんじゃないか? ほら、ラプターにニコをプレゼントしてくれた女性、ユキ・マツヤマの息子がシュンイチ・マツヤマだ。ニコの名付け親だって聞いたぞ……え、もしかして」


(ニコの名付け親ぁ!?)


 ニコはミラの相棒のシロフクロウのぬいぐるみだ。

 ホークアイは零の表情を見て何かを察したようだ。一瞬驚いたような表情を見せて「……そうか、ラプターから聞いていなかったか」とどこか申し訳なさそうに言った。


「ニコの名前の由来とか、そもそも聞いたことがなかったし……俺は実験室時代の話はあまりしないようにしていたからな」

「私も実験室の話を自ら進んで聞くはなかったが、ニコについて色々教えてくれと聞いたんだ。その流れで教えてくれた。ニコを傾いた官舎から救助したのは我々で、当時共通の話題も今ほどなかったしな。実験室の件は、ラプターもドルフィンがあまり聞きたくないだろうと話さなかったんだろう。なにせ、例の組織の話だからな。私は無関係な第三者だから色々話してくれたんだ。そんな顔をするな、君に気を遣ってのことだろう」


 そう、零がこんな身体になったのは全てあの組織のテロ行為が原因だ。

 確かにミラは自分がテロ組織出身であることを未だに気にしているようなそぶりを見せる。彼女だって実験の被験者であるからそんなことを感じる必要はないのにも関わらず。


「もう今更何か言ったって俺の身体が戻るわけでもないし、奴らがやっていたことは到底ゆるされることじゃあないが、あの組織がなかったらミラが生まれてなかったと思ってしまうくらいだし……」


 ミラはあの頃のことを思い出したくないのではと思って聞くことを遠慮していたのだ。いっぱいきょうだいが死んだと彼女は言っていたからだ。

 ところで、なぜホークアイがその男と会っているんだ? そもそもの状況をよく飲み込めていないことに零は気がついた。


 彼は一呼吸と思ってグラスのワインを口に運んだ。テンプラニーリョ。ここはスペインバル風の店だったので、オーソドックスなスペインらしい赤ワインにしようとこれを選んだのだ。

 凝縮した黒系果実の風味、深くて甘い樽香。情熱的で大胆ながら、滑らかな飲み心地にキリリとスパイスのようなニュアンスもあり、余韻もいい。チョイスは最高。

 生ハム、チーズ、オリーブなどの盛り合わせにうってつけである。

 彼は言葉を決めてから口を開いた。


「そもそも、何がどうしてそいつと会ったんだ? ミュラー中佐に会いに行ってたんだよな?」

「ああ、親父に会いに避難所に行ったら、ボランティア活動していたシュンイチともう一人、ワッカという女性にばったり会ったんだ。ダガーが気づいて驚いていたよ」

「灰褐色の髪の女性か?」

「ああ、そうだ。オオカミ人間だ、よろしくって言っていたな。クールでさっぱりした姉御肌の美人、という印象だな。ずっとダガーをからかっていた。あと自分はライオンだと言っていた男もいたが、彼も見たか?」


 女性の方はオオカミだったのか、背は大きめだがすらりとしていて、確かに美人だったかもしれないと零は首を捻った。あまり覚えていないが。確か、金色の目の大柄な男もそばにいた。


「美人と言われてもどうだったか……顔まであまり覚えていないが、確かに実験室出身らしい男女はいたな」


 今やミラ以外、正直目に入らない零である。零はグラスに残っていたワインを飲み干した。

 すかさずホークアイの手がワインに伸びて慣れた手つきで注いだ。


「あ、悪いな」


(こいつ絶対こっそり練習してるだろ)


 最後に注ぐのをやめた瞬間。手首を少しだけひねるように上に向けて、ワインが垂れるのを器用に防いでいる。非常に美しい、ありていに言えばソムリエのような手つきだ。


「見かけたならば素直に話しかけていればよかろう。なぜ変なところで遠慮した?」


 ホークアイは流れるようにボトルを置いて、涼やかに言ってのけた。

 零は明後日の方向に向きかけた思考回路を昼間のできごとに戻した。


「旧友との再会だ。邪魔したくはなかった」

「だからと言ってなぁ……」


 ホークアイはやれやれと息を吐いて、生ハムを口に運んだ。そして目の色を変えた。


「これ。美味しいな」


 つづけて、ワインに口をつけた。


「ちゃんとハモンセラーノっぽい濃厚なコクに硬めの食感。食べ応えがあって美味しい。確かにこれは美味しいがそんなことは今どうでもよくて!」


 零は今度はホークアイのグラスにワインを注いだ。


「酒と旨いつまみがあると他のことなんてどうでもよくなるな。なるほど、皆フィンガーフードをつまみながら酒を飲み交わすわけだ。君は今度ラプターと二人でモニターで繋いで酒でも飲みながら話でもするといい」


 意味深かな笑みを浮かべながら頬杖をつき、ホークアイはどこか蠱惑的な視線を零に向けた。


「ほら、カウンターに肘をつくな、行儀が悪いぞ。まあ、確かに二人で飲むのもいいかもしれんな」


 零が軽く嗜めると、ホークアイは素直に従った。


「せっかくだから同じ軽食と酒を揃えて、な」

「そうだな、それはいいかもしれない」

「経緯はどうであれ、今こうして飲食できることが私は嬉しい。君からすればまだまだ中途半端かもしれないがな……向こうにいる間に食べてみたかったな、トルコ料理」

「いつかそのうち、きっとこっちでもトルコ料理のフルコースが食べられるようになる」


 もうすぐ12月。ソックスの誕生日だ。


(本当は、実際のカラ・デニズの……ソックスの親父さんの料理をソックスと一緒に囲んで食べられたらよかったんだが……)


「私は今の生活に満足しきっているつもりだったが、きっと違った。無知で、そう、大海を知らない水族館の魚のように満足させられていたんだ。以前はなぜエリカがああもリアルに固執するのか全然わからなくてな。今なら少しわかる……」


 零は手元に向けていた視線をホークアイに向けた。

 この男がそんなことを言い出す日が来るとは思っていなかったのだ。 


「ああそうだ、ソックスの話で思い出した。今日避難所でソックスの家族たちに会ったぞ! 炊き出しを出す側になっていた。ダガーはあの店の常連だったらしいな。ダガーを見てご両親が気がついて……こちらにレストランで働いている親族がいると言って、一緒にケバブスタンドでボランティアをしていたよ。強いな、民間人は」


 いきなり話題が別のところに飛んでいって一瞬面くらったが努めて冷静を装う。 


「ああ、俺たちも早いとこ働かなきゃならないな」

「そうだな」


 そう、自分達は軍人だ。

 民間人だとて自分達のできることをしているというのに、こうも遊び呆けてはいられない。


「もう少しのんびりしたい気もするが、こうもダラダラしているわけにもいかないな」


 零は自分自身に言い聞かせるように言った。


「ああ、今もきっと別の移民船が狙われたりしているんだろうな、ブラボーⅠは最新システムでどこよりも迎撃能力が高いはずとサミーが昼間言っていた。しばらくのんびりできるだろうとは言われたが……」

「ああ、俺は古巣に戻ろうと思う。まあ、そこから重工に出向させられる気もしないでもないが……お前もそれなりの待遇で迎えられるはず」


 母親から手伝いをしろと言われて重工との共同プロジェクトに入れられる可能性もゼロではないだろうと零は考えた。

 零は残りのワインを半分ずつホークアイと己のグラスに注いだ。これでボトルは空となった。


「またキャリアの積み直しか。参ったな」

「俺が推薦する。サミーも口添えしてくれる。悪い待遇にはならないだろう」


 ホークアイが小さく息をのんだことに気づき、零も口の端に笑みを浮かべた。

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