第二章
1. 朝倉邸 クリムゾンとスミルノフ
「……え? クリムゾン? スミルノフ大佐?」
「よ、お邪魔してる」
片手を軽く上げたクリムゾン。
「元気そうだな」
「……! お、お疲れ様です!」
ミラとあの男のことで脳内がしっちゃかめっちゃかになっている零が実家に帰ると、リビングで龍、キャシーと二人の大佐が茶を飲んでいたのだ。
皿の上には美味しそうなパイやクッキーなどの茶菓子も並んでいる。
(しまった……クリムゾンにも大佐にも連絡するの忘れてた!)
「あ、零、おかえり! リーさんのところから今夜の肉買ったんだ! いろいろサービスもしてくれてさ! で、ミシェル君が持ってきてくれて、そしたら零の上官の人泊めてるって言うじゃないか! わざわざ挨拶に来てくれたんだ!」
アグレッサー率いるクリムゾンことミシェル・リー大佐、彼の実家はブラボーⅠ有数の肉の卸売業をする会社を営んでいる。クリムゾンの実の弟が社長だ。
もちろん実家も豪邸で、零の家から歩いてすぐである。同じ住宅地の中なのだ。
クリムゾンの母親は今でこそ引退したが、元々研究員。龍とは既知の関係である。昔から家族ぐるみでの付き合いがあるのだ。
(こりゃやらかしたな)
「ただいま……」
「クリムゾンの実家がそんな肉の卸業やってるだなんて驚きですよ……もうこれ五回くらい言ってますけど」
キャシーは笑いながらそう言って、クリムゾンのティーカップに茶を注いだ。
「あ、悪いなキャシー」
「キャシー、クリムゾンに気を使わなくていいぞ」
スミルノフはキャシーからティーポットを奪い取り、茶を自らのカップに注いだ。
「お代わりとかいります? 昼間ですがウイスキーでもいかがですか?」
「いや、朝倉さんもお気を使わず」
零より酒好きな龍は昼間から客人にウイスキーを薦めている。どうかしている。
零は言葉少なくテーブルの端に降りた。
「ようこそ……すみません、安否の連絡もせず」
「あー構わない、気にするなドルフィン。フローが教えてくれたからな。よかった、俺の部下も家族友人も全員無事だった。正直少し休みたい気分だ。ま、ブラボーⅠとⅡで新統合軍を樹立してゼノンに立ち向かうとか言ってるから、休暇も数日で終わるだろうがな」
スミルノフはティーカップを口に運ぶ。
「なあ零。ラプターが撃墜されたって言うじゃないか。それにかなり驚いたが……キャシーから聞いたぞ。お前がラプターを拾って連れ帰ってきたって? おぼっちゃまのくせにやるときゃやるなぁおい!」
クリムゾンはずいと身を乗り出してきた。
(近い近い! あんたもガラに似合わずおぼっちゃま育ちだろうが!)
しばし逡巡し、零はスピーカーをオンにした。
「いざとなったらそれくらいの根性見せられないと、ミラレベルには振られます」
意味不明なことを言われた零は自分でも自分で何を言っているが全く分からない謎のコメントをしてしまった。発言してから彼自身も思ったのだ。俺は何を言っているのだろう、と。
「……ドルフィン、なんかテンション変だな。疲れてるんじゃないか? 重工で面倒な話でも?」
キャシーが気遣うようにこちらに視線を寄越してきた。
「いいや、そういうわけじゃないけど……」
ミラとあの男はどんな関係なんだろう。いや、別に再会のハグくらいは誰とだってするだろう。ミラを信じていないわけではない。
でも、あの男はおそらく幼馴染か何かで、自分ができないことをいとも簡単にしてのけるのだ。今頃だって零が逆立ちしてもできない「カフェで一緒にコーヒーを飲む」ということをしているに違いない。
(別にミラがジェフと茶を飲みに行っても全然気にしないのにな……)
「うん、本当意味不明だぞ。フローの世話に疲れたか? あいつドルフィンのこと大好きっぽいから……あ、変な意味じゃなくてだぞ? まとわりついてうるさかったら適当に流しとけ」
(いや、フォークもまともに使えないホークアイを今の状態で飲食店に解き放つのは俺が許せない)
なんだろう、あの男はできる男であって欲しいのだ。
あのクールな見た目でカトラリーもまともに使えないなど大事故である。
「クールでお高く止まった野郎に見えて、意外にこう……違うじゃないですか。なんか変なところで不器用で、だから放っておけないんですよ。今度ザッハトルテを食べさせなきゃならないので。カトラリーも今練習中ですし」
オーストリア系でその文化圏で育ってきたにもかかわらず、あの男はザッハトルテを知らないのだ。これは由々しき問題である。
「朝倉の坊主の英才教育か。ホークアイ、こりゃ化けるぞ」
「叔父としてフローが羨ましいなぁ」
「私だってドルフィンにテーブルマナー教えてもらえるなら金払いたいくらいですね」
「いや金はいらないって……キャシーにはいつも世話になってるし」
なんだかどっと疲れた気がした。
ミラと親しげに話していたあの男は誰なんだろう。頭からこびりついて離れない。いつぞや料理中に鍋を焦がした時ですらここまでこびりつかなかったのではないかとすら思う。
(疲れて心が狭くなってる? ホークアイと酒でも飲みに行くか)
あの男ならばなんでも聞いてくれそうな気もする、と零は思った。
ミラは聞いたら普通に教えてくれるだろう。多分、ただの旧友か実験室の仲間だ。でも彼女が帰ってくるまでここで内心の動揺を抑えながら上官たちに気を遣い、やりとりする元気が今の零にはなかった。
零は申し訳ないが少し疲れているから仮想現実空間で気分転換したいと言って、ドローンとの接続を切った。
祖父は「こっちは気にしないでのんびりしておいで」と言って送り出してくれたし、キャシーに加え大佐二人もかなりこちらを案じてくれた。
(体調は抜群にいいんだが……申し訳ない)
零は早速仮想現実空間の自室にログインすると、端末を取り出してホークアイにメッセージを送った。「今暇なら、酒でも飲みに行かないか?」と。
一瞬で既読になり、画面に着信の知らせが来た。アイコンはシンボルのタカのマークだ。
零は思った通りだな、と隠しきれない笑みを口の端に浮かべながら通話ボタンを押した。
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