19. 東方重工 総裁室
昼前、なぜか零は母親に呼び出された。重工の本社である。面倒だが行かねばならない。
実に面倒だ。ミラと過ごしたかったのにと零は大人げなく不貞腐れた。
「京香、昨晩も帰ってこなかったし多分ろくなもの食べてないだろうから、これ持って行ってくれる?」
そう言われて祖父である龍から保冷バッグを持たされた。おそらくサンドイッチか何かだろう。
「今晩ステーキパーティするから帰っておいでって言っておいて」
「了解」
肉で釣るのがなんとも祖父らしい。
(ぜんっぜんミラと一緒に居られない……)
祖父が行こうと言っている店は銀座通りの我が家のメンバー行きつけの老舗寿司店だ。あそこのネタは何を食べても美味しい。
祖父が予約していたのは二階の座敷であったし、ならばくっついて行こうと思っていた零は思い切り出鼻を挫かれた。
「行きたくないなぁ、どうして……」
「重工、行きたくないの?」
「ミラと一緒に寿司屋に行きたかった……」
するとミラは不思議そうな顔をした。
「あそこ、あの価格帯の寿司屋にもかかわらず一貫から頼める。知らないネタばっかりだと思うから、ミラの好みは一通り把握してるし、おすすめとかさ……できるだろ? 俺食えないけど」
基本寿司屋といえばおまかせが出てくるものだが、贔屓にしているその店は違った。ラインナップはその日によって違えど、好きなネタを頼んで目の前で握ってくれるのだ。
寿司ならば白身や貝から攻めて次は赤身の魚に移行するのがいい。あそこはアナゴも美味しいし、ツブ貝やみる貝もぼたんえびも超一級だ。
何より、美味しそうに食べるミラを見たかった零である。
「それなら僕に任せてー! 零はほら早く行っておいで! あ、矢島! 矢島一緒に行ってあげて!」
祖父は警備担当の矢島を呼びに行った。荷物持ちと運転手をさせようというのであろう。
「……仕方ない、行くか」
零はプロペラファンを展開し、渋々飛び上がった。
***
「はいこれ、じいちゃんからの荷物」
京香は受け取ってすぐにそれの中を覗いた。
「ちょっと! フルーツサンドじゃない! 食べるわ今すぐ! そういえば朝もコーヒーしか飲んでなかったわね!」
ビルのワンフロアに広大な総裁室と専属秘書の部屋がある。
「久しぶりに来たな。いつ来ても無意味に広大だな……」
ガラス張りの総裁室だ。ブラボーⅠの真ん中に一際高く聳え立つビルの最上階で、これを越える高さのある構造物はセントラルタワーくらいだ。
城の主人になった気分でメインアイランドを眺めることができるこのビルは全て防弾ガラスだとは聞いているが、防犯的に問題ないのだろうか。
零は思った。自分だったら絶対にごめんである。
「どうぞ、コーヒーです」
「あら、イェンス、ありがとう」
その男はこちらに歩み寄って一つ礼をした。
「イェンス・シュミットと申します。総裁の専属秘書の一人です」
流暢な日本語。歳は零と変わらないくらいだろう。名前からドイツ語圏の出身であることがわかった。
「零だ。よろしく」
「すみません、もう少々お待ちいただくことになるかと……」
彼はそう曖昧に笑う。京香をちらりと確認すれば早速「いただきます〜! きゃー父さんありがとう!」と無邪気に舌鼓を打っている。
「まああの人はフリーダムだから……うん」
これは長くなるな、と零は覚悟を決めた。
「今回お越しいただいたのは、新開発の人工声帯の件です」
「ちょっとイェンス! なんでバラしちゃうのよ!」
すかさず京香の声が飛んだ。
「零さまもいつまでも理由も聞かされずここにいるのは苦痛かと」
「わかってるな! そうだよ、そういうことなら先に理由を言えよ」
このロボットボイスが治るのか? 今時AIだってもっと自然に話せるのだからもっとなんとかなるだろうと期待していたのだ。
「後三十分したら治験したセミ・サイボーグの男性が来るわ。ちょっとここにでも降りて待ちなさい」
零は素直にデスクの上に降り立った。
「昨日帰ってきてないだろ、大丈夫か?」
「今頑張らなくてどうするの。あ、心配しないで、ちゃんと寝てるし秘書は帰してるから!」
京香はピースサインしてきた。やれやれ、と零は内心ため息を吐いた。
京香が紹介してきたのはセミ・サイボーグの男だ。
会ってすぐわかったが、その男は喉元が機械に覆われていた。
病気で声帯を失ったらしい。彼と話してすぐに零は決めた。その声があまりにも自然だったからだ。
「試させてくれ」
「もちろん。じゃあリハビリすることになるけど、まずは工事ね。そんな難しいものじゃないけど一日はもらうわね」
「よろしく。あ、ついでに健康診断してくれる? 今月健康診断しなきゃなんだけど。確かカナリアも今月って言ってた!」
「わかったわ。話通しておくわ。うちにもフル・サイボーグの社員がいるからなんとかなると思う。ジェフ君に話しとけばいいのかしらね?」
カナリアの担当医は別の軍医だったが、その上官がジェフだ。おそらくカナリアのことも頭に入っているはず。
「そうだな、ジェフなら把握してると思う」
「OK、任せなさい」
それから零は祖父が言っていたステーキパーティの話をしてさっさと本社ビルから撤退した。
「俺はこれからその辺の店とか銀座通りちょっと見て回るが、矢島、別に俺に付き合わなくてもいいぞ、荷物もないしな」
「そういうわけには参りません」
「でもドローンだぞ。別にこれに危害を加えられても何か損害があるわけじゃあない。行きは荷物を持っていたが帰りはないしなぁ」
零は少しばかりその辺りを散歩したかったのだ。
矢島は困ったようにこちらを見てきた。昔から付き合いのある男で、かつてはSPだったらしい。見た目は若く見えてももう50過ぎ。子供の頃からよく知っている。
「うーん、お前も仕事だから困るか。なら買い物したら荷物持ちしてくれ」
「かしこまりました」
実際に買いたいものがあるかどうかはさておいて、とりあえず矢島を無理やりリリースするのも撒くのもやめた。彼も仕事だから困るだろうと零も考えたのだ。
かつてここブラボーⅠにいた頃の健常者の彼だったら一目散に撒いていただろうが、多少はその辺成長したというものである。
「零さま、変わりましたね」
「どこが? なんのこと?」
「以前でしたら私を撒いて楽しんでいたじゃないですか」
「……そうだな。でももうじいちゃんに怒られるのも飽きたよ。実際命狙われたしな。生き残っちまったが」
零は百貨店、銀座屋の食品売り場に飛んだ。同時に祖父に「何かついでに買うものある?」とメッセージを送る。
メッセージを待つ間に近くを見て回った。特段変わった様子もない。商品も変わらず。値段もこちらにいた頃と変わらない。
「あんまり様変わりした感じはないな」
「そうですね。変わらずだと思いますよ」
零は己のかつてのナワバリを見て回ったが、特段の変化もない。よく利用した老舗の飲食店も変わらず営業しているようだ。
「満足されました?」
「そうだな……あ、じいちゃんから返事があった。ニンニク買ってこいって。まじかよ……」
零は地下にとんぼ返りして野菜売り場でニンニクを買った。
「よし、帰るか……」
「かしこまりました」
表通りに出た時のことである。百貨店一階に併設のカフェの前。ミラとフィリップの姿があった。
「あ、ミラ……」
今日は家にいるのではなかったのか。出かけていたフィリップに呼び出されたのかもしれない。
「シュンイチー!」
その時だ、ミラは目の前にいた背の高い細身の男に飛びつくように抱きついた。
「え、ちょっとミラ!」
シュンイチと呼ばれた男は戸惑ったように言った。黒髪のアジア人。どこか日本人的な雰囲気を感じる。
シュンイチという名前からしておそらく日系人である。
(誰……?)
「ミラ、首怪我したのか?」
「ちょっとね……でも大丈夫、治療中!」
「シュンイチ、ニコも無事だぞ。いやあワッカ姉、ラビ、久しぶり」
「ニコ、まだ持ってるのか? え……びっくりだな」
アジア系の男が驚きに息をのんだ。男の隣にいるミラよりやや背が低いが平均より背の大柄な女性がくすりと笑みをこぼしながら言う。
「とりあえずコーヒーでも飲みながらちょっと話でもしようか。フィリップ、お前昼間も言ったけど、本当にでっかくなったなぁ」
「あれからニョキニョキ伸びた」
「体格が全然違うよね!」
ミラは心の底から嬉しそうに例の男を見ていた。
「ニョロニョロに近づいてなくて安心したぞ」
灰褐色の髪の女性が金色の目を細めた。
「二人とも元気そうで安心したよ」
彼女の隣にいた暗褐色の髪の大柄な体格の男の目も金色だった。
(実験室の仲間か)
零はその場を離れることにした。ミラが抱きついた男が気にならないわけでもなかったが、自分が割り込んだら明らかに邪魔だ。
(ミラが好きそうな背の高いアジア系……)
相手が欧米系だったらなんとも思わなかったかもしれない。それこそホークアイのような男に見た目で勝てるわけもない。だが、アジア系となれば話は別だった。
そしてなんとなくいけ好かない。
なんだか耐え難くなった零はカメラを逸らした。
「行くぞ」
「お声がけしなくていいんですか?」
「俺はお呼びじゃない。明らかにな」
零は矢島にそう答えると、皆に気づかれる前に逃げるようにそそくさとその場を離れた。
旧友との再会に割り込むようなどうしようもない男にはなりたくなかったこともある。
零はまだ知らない。ミラの宝物であるシロフクロウのぬいぐるみ、ニコの名付け親がそのなんとなくいけ好かない男であることを。
〜〜〜〜〜
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
ここで少し期間を置きまして、第二章がスタートいたします。
かつての仲間と再会したミラ。さて零は少々身の置き場がない状態です。二人はうまく行くのか、そして敵の次の動きはどうなのか。
お楽しみいただけたら幸いです。
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