17. 朝倉邸 リビング 手羽先
目が覚めた零は早速仮想現実空間にログインした。
「……」
リビングのソファにホークアイがひっくり返っている。やたら美しい寝顔である。
零は無言のまま思わずまじまじと見てしまった。
(黙っていれば超絶美形で仕事もできて出世頭の完璧な男なんだが……いかんせんちょっと中身が変だからな)
ログアウトする余裕もなく力尽きたらしい。零は寝る気配もない二人を早々に放置してさっさと一人でログアウトして惰眠を貪ったのだ。
基本出世ばかり考えているこの男もこんな風にはしゃぐことがあるのだなと零はなんだか面白くなってしまった。
彼はどうしようもない遊び人っぽく見せかけて、サイボーグの待遇と仮想現実空間の充実を第一と考え、そのためには自分が出世するのが一番手っ取り早いと仕事第一の男なのだ。
気分転換になったようで何よりだ、零が周囲を見渡せば、テーブルの上には空になったペットボトルやスナックの袋が散乱している。
ことの次第はこうである。
ペットボトルの茶とレモンウォーターを買ってメトロに乗り込んだ零とホークアイ、サミーにカナリアだったが、最寄駅から地上に出るとスナック菓子やドリンク、酒に軽食などが売っているキオスクがあり、皆そこで思いのままに買い込んだ。
カナリアは子供の頃によく食べた菓子だとテンションが突き抜けており、ホークアイはあれもこれもと少量ずつ買い込んでいた。
零の部屋に着けばどんちゃん騒ぎの始まりである。
(楽しかったみたいだからよしとするか……)
零も人のことを言える立場ではなかった。ミラの好物のレモンウォーターを飲んで一人感動に打ち震えていたからである。
続いて彼は念の為寝室に足を向ける。カナリアはいなかった。彼女はきちんとログアウトして寝たようだ。
「まあいい、片付けは後にするか……」
リビングには昨夜の残骸があるが、ごそごそ片付けを始めたらホークアイの安眠の妨げになるだろう。
ソファで寝ている男は放置することにした。ここは仮想現実空間だ。ソファで寝ていたからといって首を寝違えることもないし、背中を痛めることもない。
(寝過ぎたな……)
気づけば九時近い。唐突にミラのことが気になった零は仮想現実空間からログアウトしてドローンに視覚と聴覚を接続した。
ドローンはリビングのサイドボードの上にあった。視覚がつながると、まず飛び込んできたのはリビングのソファの上のミラだった。
ローテーブルの一角には鳥用のアスレチックがあった。止まり木や梯子、ブランコや鏡などで構成されたそれは、インコやオウムの遊び場だ。菜さしには豆苗と小松菜が刺さっている。
空いたスペースには、おもちゃであるプラスチックのボールや噛んで遊ぶための紙コップ、皿には水浴び用の水が張ってある。インコ用のクッキーもある。
そして、ミラの指には黄色のインコがいた。
(ルチノーのセキセイか)
「レモちゃん、飛べないのか。私も鳥だけど飛行機乗らなきゃ飛べないんだ。一緒だね!」
ミラがセキセイインコに話しかけている。
(かわいすぎるだろ!)
これはいい、天国だ。
ミラがインコと一緒に遊んでいる。
よく見ると、インコは右の肩が少し落ちていて翼の先を引きずっていた。なるほど、彼女の言う通りで飛べないのだろう。
祖父である龍がリビングにこのサイズの鳥を連れてくることはそうそうない。エアコンの風向きを調整するルーバーに挟まる、ドアや棚の扉に挟まるなど、リビングで事故に遭うことが考えられるからだ。
また、廊下につながっているドアをいつ誰が開けるかわからない。
インコ用の部屋は二重扉になっている。その部屋から基本は出さないのが朝倉家での決まりだった。だが、インコが飛べないなら話は変わってくる。
ピュイピュイチチチチ! と機嫌よさそうにインコが鳴いている。ミラがボールを転がすと、インコがそれを追いかけてつつきまわしている。
仮想現実空間の彼だったら、だらしなく頬が緩んでいるさまをミラに見られていたことだろう。
(じいちゃんに認められたなぁ、ミラ)
この空間にミラとインコだけ。龍が自分の家の飼い鳥を誰かに預けるなんてことはそうそうない。この状況が全てを物語っていた。
零はミラに声をかけた。
「ミラ、おはよ!」
「零、おはよう!」
ミラが弾かれたようにこちらを見た。
「あ、飛ぶとレモちゃんびっくりしちゃうかもだから連れてきてあげる。レモンっていうんだって!」
ミラがすっ飛んできて零のドローンが抱えられた。ローテーブルの上にちょこんと置かれる。
近くで見ると、やはりルチノーカラーのセキセイインコだ。羽は黄色、目がアルビノのように赤っぽい。
零はミラに礼を言ったのち問いかけた。
「首とか背中とか悪化してないか? 今日も痛み止め打ちに病院行く? いや、往診頼もうか?」
ミラは困ったように笑った。
「結構よくなったから湿布だけで大丈夫」
「ならよかったよ。でも少しでも変だったら言ってくれ。そういえば、じいちゃんは?」
「ニワトリハウスの掃除するからその間この子と遊んであげてって言われたんだ」
「ああ、なるほどな」
レモンはテーブルの上をちょこまか歩き回り、水を浴びた後、インコ用クッキーを齧っている。
「あのクッキー、多分じいちゃんが焼いたやつだよ。よくバードブレッドとか乾燥フルーツとかも作ってる」
「すごい、手作りか! いいねぇ、おいしい?」
ミラは頬杖をついて微笑みながらレモンを眺めている。窓から入る陽光で、彼女のオパールのような光を放つ髪や同色のまつ毛が美しくきらめき、目には蠱惑的な影を落としていた。
零はガールフレンドの姿に一瞬見惚れた。
「……その子、飛べないんだろ?」
「うん、悪質ブリーダーからレスキューされたんだって。骨折放置されちゃったみたいでもう飛べないらしい」
「そっか、なら手タクシーで色々運んであげるといい。おやつでコミュニケーションとると仲良くなれるよ。そのクッキーもそうだし、あとは果物あたりかな」
「みかんとか? さっき庭でニワトリ抱っこさせてもらったんだけど、みかんあげたよ。楽しかった」
「うん、インコにもみかんとかりんごはいいおやつだよ。へぇ……あ、あそこにいるニワトリか」
窓の外には茶色いニワトリが歩き回ってるのが見える。名古屋コーチンだろう。
「あの雄、立派だなぁ。体格がいい。足も鶏冠も血色がいいな」
「テバちゃん、思ったより大人しくてかわいかった。あ、テバサキって言うんだって」
零は耳を疑った。いや、マイクで拾った音を疑った。
(テバサキ!? って手羽先ってことだよな?)
「じいちゃんが言ってた? 手羽先?」
「うん、リュウさんがそう言ってた」
(名付けがサイコパスすぎるだろじいちゃん!)
零は迷った。手羽先の意味を伝えるか否か迷いに迷った。
「ミラ、あのな、手羽先ってな……」
「うん」
ミラは手元に寄ってきたレモンを手のひらに乗せて頭を指先で撫でてやっていた。レモンは気持ちよさそうに目を閉じている。実にいい子である。
零は意を決して音声を発した。
「チキンウィングって意味だぞ」
ミラの動作が停止した。
途端に、撫でる手を止めるな、とでも言うようにレモンはミラの指をガブガブ齧っている。
「……え?」
「手羽先ってのは日本語でチキンウィングって意味。じいちゃん本当に……前もせせりだのぼんじりだの文鳥につけてたし……文鳥はともかくニワトリだぞニワトリ!」
ミラは言葉を失って目がまん丸になっている。背後でドアが開く音が聞こえた。零はわざと聞こえるように言った。
「とんでもないジジイだ」
「誰がジジイだって?」
「ニワトリに手羽先なんて名前つけるなんてサイコパスジジイだろ! あ、おはよう」
「おはよう零。サイコパスかぁ。最高の褒め言葉だなぁ」
「褒めてないよ!」
龍はくつくつと笑っている。
「チキンウィング……」
ミラがぼそりと言った。
「なーんか名前考えるの面倒になっちゃってさ。うちの家族ってみんな適当じゃん、その辺。そういえば、レモちゃんどう、元気に食べて遊んでる?」
龍はキッチンの冷蔵庫から飲み物を取り出した。
「はい!」
チキンウィングショックから若干立ち直れていない様子のミラだが元気に答えていた。
「あの……リュウさん」
だが何か思うことがあったのだろう。ミラは龍に声をかけた。
「なんだい?」
「もしかして……チキンレッグもいるんですか?」
龍はちょうど口に含んだミネラルウォーターを盛大に噴き出した。
「それは流石にいないと思う。いくらじいちゃんでもさすがに」
もも肉なんて名前のニワトリはいないだろう、そう思った零であった。
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