16. 朝倉邸 ニワトリ
あたたかくてふわふわ、そして思ったよりもおとなしい。
それが初めてニワトリを抱き上げてみた感想だった。ミラはリュウと貰いものだというみかんを剥いてニワトリたちにおやつとして提供した。
「ブラボーⅡの動物園でレイと一緒にインコちゃんにご飯あげたんですけど、ニワトリにおやつあげるのも楽しいですね」
今二人はリビングのソファに座って、ニワトリを眺めながらリュウが淹れてくれたホットカフェオレで一息ついているところである。
窓からは中庭でニワトリたちが地面を掘り返して虫を探しているさまが見える。かわいい、のどかだ。たまにバサバサ羽ばたいたり、雄が鳴いたりしている。見ていて飽きない。
「それはよかった。別の部屋にインコもフクロウもいるからよかったら後で遊んであげてくれる? 鳥好きみたいで嬉しいなぁ」
「はい! 楽しみです! シロフクロウが好きなんです!」
「シロフクロウいるよ。せっかくだからご飯あげてもらおうか。あ、そういえば!」
リュウが弾かれたように立ち上がり、すぐそばの戸棚を開けた。
「この子、君のだよね? 汚れないようにここに置いといたんだ」
そこには、ミラの大切なシロフクロウのぬいぐるみ、ニコがいた。
「ニコ! よかった。レイ、ちゃんと持ってきてくれたんだ……」
「昨日君が寝てるって言って残念そうにしてたなぁ。でも疲れてるんだろうなって言って夕飯作り手伝ってくれた。昨晩カレーだったんだよね。余ってるから冷蔵庫に入れてある」
ミラはカレーの話を聞いて腹が猛烈に減っていることを思い出した。
(カレーだったんだ、いいなぁ……)
「ところで朝ごはんどうしよう、僕フルーツサンド作ろうかなって思ってるけど朝からクリームとか大丈夫?」
(フルーツサンド!? 手作りの!?)
さすがレイの祖父だ。ハウスキーパーも雇っているのに、自分で食事を作る主義らしい。
「はい! 昨日のカレーでもフルーツサンドでも! なんでも食べます!」
その時、ミラの腹が盛大に鳴った。
「昨晩のご飯も余ってるから、とりあえずカレーライス、食べる? フルーツサンドよりすぐに出せると思う。君いっぱい食べるって聞いてるからデザートにフルーツサンドを出そうか」
リュウはクスクス笑っている。
「すみません……」
「食欲があるのはいいことだよ。昨晩の分も含めて二食分だからそれくらい食べてちょうどいいはず。ちょっと待っててね」
しばらく待てば、カレーライスが出てきた。
昨日もサンドイッチしか食べていない。久しぶりに見た温かい食事はあまりにも食欲をそそる物であった。
「これなんのカレーですか?」
「牛すじ肉。牛すじ貴重だからなかなか食べる機会ないよね」
ダイニングテーブルの向こうにいるリュウはこちらを見てにっこり微笑んだ。
カレーとライスの黄金比。湯気を立てるそれをスプーンですくう。じっくりと煮込まれた牛すじはとろとろで、ルーは少しスパイシーで肉の風味が溶け込みご飯がすすむ。
(何これ!?)
「美味しいです!」
「お口に合ったみたいだね。昨日ジェフ君たちも喜んでたから、作ってよかったよ。下ごしらえしたの零だから、起きてきたら礼を言ってやって」
ミラは口にカレーライスが詰まっていたのでブンブン頷いた。
透明でキラキラ光を反射する氷が入ったグラスに水を注いでミラのそばに置き、リュウはキッチンに向かった。
「僕はフルーツサンド作るね」
カレーを食べ終えた頃に出てきたフルーツサンドもリュウが手ずから淹れてくれた紅茶も絶品だった。
(リュウさん、ものすごくダンディでジェントルマンで料理上手だな……)
ミラはこの時点で完璧に餌付けされていた。アサクラの男性陣は人の胃袋を掴むプロ集団であることに気づいたのはもう少しのちのことである。
「みんな起きてこないですね……」
ミラはリュウに話しかけがてら紅茶を口に運んだ。もう八時近いが屋敷はとても静かだ。
二人はリビングのソファに移動していた。
「僕が撤退した後もしばらく起きてたみたいだし、みんな疲れてるだろうから昼過ぎまで起きてこないだろうなぁ。零はショートスリーパーだからそろそろ起きてきてもおかしくないけど、あの子も多分仮想現実空間でどんちゃんしてただろうし、起きてきてもまぁうちの娘の会社に呼び出されそうだし……今日はゆっくり過ごそうか」
「はい!」
リュウは紅茶にミルクを加えながら言った。二杯目は味を変えるようだ。ミラのカップにも紅茶を注いでくれたので、ミラも二杯目はミルクティーにしていただくことにする。
「ところで首は大丈夫?」
「昨日より全然いいです」
「それはよかった。今日僕は終日オフなんだ。鳥の世話とか庭いじりとかするから、よかったら鳥のご飯あげたり放鳥の時に一緒に遊んであげてほしい」
「はい、お手伝いとかできることあればなんでも!」
そう言うとリュウは苦笑して言った。
「今作業とかしたら首に良くないから、楽しいことだけすればいいよ。マウス大丈夫ならシロフクロウにご飯あげて、インコ手に乗せておやつあげてゆっくりしてほしい」
そんなわけにはいくまい、とミラは思った。
これほどいい環境で過ごさせてもらっている。通常なら、避難所で衝立越しに雑魚寝するかテントで寝て炊き出しに頼るしかないのだ。
自分は避難民である。
「ですが、ここまでいい環境で過ごさせていただいて……」
「それを言ったら、君は零の恩人だろ? 気にしないでくれ。サミーやジェフ君から聞いてる。出火した零の着陸をサポートしてくれたのは君だ。本当に感謝してる」
「それは……」
艦内航行でレイの機体から火災が起こった時のことだろう。あの時は必死だった。自分はするべきことをしただけである。
「僚機を生きて帰還させることは軍人として当たり前のことですから」
ミラは目を伏せ謙遜気味に言った。
「それだけじゃない。あの子といつも一緒にいてくれただろう? 僕はそれだけで嬉しいんだよ。キャシーもそうだ。零と一緒に住んでくれて、ジェフ君もいつもあの子のわがままに付き合ってくれてる。今本当に友人に恵まれて、昨日だってただみんなの食事の準備をしていた時だってものすごく楽しそうだった。あんなによく話す零を見たのは……十年ぶりだ」
「そうなんですか……」
「ああ、だから何も気にしないでここにいてくれていい。みんな気が済むまでここにいてくれていいんだ。元々弟子を下宿させてたこともあるから設備は整ってる。昨晩君が泊まってくれた零の寝室だった部屋だって、零が隣の部屋を開放してくれたら椅子も机もソファだってあるし、簡易キッチンもある」
やはりあの部屋は元々レイの寝室だったらしい。有無を言わさぬという表情のリュウに、勝てるミラではなかった。
少なくともこの男に既に絆され始めていたミラである。
見た目も物腰もリュウとレイはそっくりである。そのこともそれに一役買った。
目の色は明るめのブラウンであるレイと違い、リュウはダークブラウンだが、顔立ちも似ている。後ろ姿も本当にそっくりである。
(将来、レイはこんなダンディな感じになってたのかもしれないな……)
「そういえば、君やっぱり僕のこと覚えてないよね? そうだよね、無理もないよなぁ、一回しか会ってないし」
唐突にそんなことを口にしたリュウに、ミラは黄金の瞳をまんまるに見開いた。
やはり覚えていないか、というような表情を浮かべたリュウがいた。
「すみません、どこかでお会いしましたっけ?」
「君がレスキューされた後色々検査されただろ。その時に少し会って話したよ。僕確かこう言ったんだ『君は酷い目にあったけど、きっと人間を好きになるし友達もいっぱいできるよ』って」
ミラは思い出して思わず立ち上がった。
「あ、あの時の!」
実験室から出てすぐにミラは色々と検査を受けた。レントゲンを撮り大騒ぎになり、手や足を見た医者たちは「鳥か? 爬虫類か?」と騒ぎ立てて鳥類研究所の人間が何人か呼ばれたのだ。
その中の一人に確か言われた。「鳥は人間といると人間が大好きになる、だからきっと君もそうなるよ」と。
「鳥類研究所の?」
「うん、本業は医学博士で、専門は遺伝子工学なんだけどね。鳥は趣味」
ミラはリュウに間抜け面をさらす羽目になった。
「だから驚いたんだ。まさか零と君がねぇってさ。あ、零が起きてきたら自慢しようっと。僕は零より先にミラと出会ってるんだって。あいつきっと怒るぞ〜」
そう言ったリュウは楽しそうに笑って食器を片付け始めた。
ミラは慌てて自分の使い終わった食器を持って後を追った。
「ここに置いてくれればいいよ。あとはハウスキーパーに頼もうか」
「はい……あの、」
ミラはリュウの顔を見上げた。
「うん?」
「お会いしてたんですね。すみませんすっかり忘れてて、言われて思い出しました」
その言葉だけはずっと頭の片隅にこびりついていた。あまりにも印象的だったからだ。
でも誰から言われたかはさっぱり覚えていなかった。そういえばこんな顔だっただろうか。そこまで思い出せない。
「そりゃあそうだ、あれだけ知らない人に囲まれて僕はその一人。思い出すだけすごいよ」
そう言った彼はドアのほうをちらりと見た。
「本当にみんな起きてこないなぁ、インコ連れてきちゃおうか?」
「インコちゃんですか!?」
「うん、そうだセキセイインコ連れてこよう!」
そう言ったリュウはミラに「庭のニワトリでも見て待ってて!」と告げてどこかに消えた。
ミラは言われた通りに窓の外に目を向けた。
(テバちゃん、かわいい……)
茶色いニワトリたちが地面を掘り返してつついていた。しゃがみ込んで日光浴しているニワトリもいた。一番近くにいるのは先ほどミラが抱き上げたオンドリだ。赤い立派なとさかに尻尾の先だけが黒い。
名前は「テバサキ」というらしい。リュウが「テバちゃん」と呼んでいたのでミラもそう呼ぶことにしたのだ。
未だ「テバサキ」の意味を知らないミラは、朝日にきらめく庭を闊歩するニワトリたちをにこにこと見守っていた。
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