14. カフェ・ツェントルム ケーキ

 上機嫌で店を出るドルフィンを横目に、フローリアンもなんだか楽しい気分になって無意識に微笑んでいた。

 結局フローリアンはベリーのタルトを頼み、ドルフィンおすすめのスパークリングを合わせた。

 驚いた。子供の頃憧れていたケーキというものがそこに実在していたのである。

 ナパージュという艶々の甘いジュレを纏ったベリーは宝石のように輝いて見えた。

 転落事故に遭う前は元パティシエだったという店員が色々と教えてくれたのである。


 今やアルコールを飲みながら楽しめる。それは言葉で言い表せない喜びだった。

 スイーツとワインという一見訝しげに思えた組み合わせにも、予想をいい意味で裏切られた。食べ終えるのがあまりにも勿体無くてちまちまとゆっくりと味わっていたら「また明日もここでケーキ食べるか? 付き合うぞ。チーズケーキと白ワインとかビターなチョコレートケーキに赤ワインとかも合う」とドルフィンが言ってくれた。


 そこにこちらをからかう色は一切見えない。タルトなんて複雑な構造のものを食べること自体初めてで、フォークの使い方がおぼつかないフローリアンをスマートにサポートしてくれたのもドルフィンだ。


(本当にワインと食事に関して天才的だし、もし兄がいたらこんな気分なんだろうか……)


 この男から飲食という行為をできる肉体を奪った相手を心底憎らしく思う。

 ラプターもきっとドルフィンと食事に行ったら楽しいだろう。

 彼は親切で色々教えてくれはするが、うんちくを語ったり押し付けがましいことは一切ない。実にスマートになのだ。なぜ、彼女はこの男と一緒に食事をするというデートをできないのだろう。


(代わってやれたら……と私が思うのはおかしな話だな)


 なんとかならないだろうか。ドルフィンがリアルに戻ることは不可能。ならばラプターがこちらに来るしかない。

 脳内にチップを埋め込むインプラント手術。あれをする他にすべは本当にないのだろうか。現代技術でも、銀河一進んだ人類文明が住むブラボーⅠの叡智を持ってしても、不可能なのだろうか。

 ただただ、好き合っている二人が一緒に食事をする、それだけのことがこれほど難しいだなんて。


「あのタルト、美味しかったな。次は俺もケーキ食べるか」

「……君が美味しいというなら本物の味だ」


 ドルフィンに話しかけられて一瞬で我に返った。

 フローリアンはドルフィンに自分のタルトを「一口味見しろ」と言って食べさせたのだ。評価は上々だった。

 気になったのである。本当の味を再現できているのか。

 一流の食生活を送ってきたことに疑いのないドルフィンが「美味しかった」と言っている。あれは本物の味だ。


 そんなドルフィンはビールを飲みながらしょっぱいものを食べたいといろいろなつまみを頼んでいた。フローリアンも口直しがてら進められるがままに少しつまんだ。

 いや、少しどころではなかった。ドルフィンが「リアルだったらあっという間に太るぞ」と笑っていた。


「私も今度はフルーツタルトにしようかしら」

「君のアプフェルシュトゥルーデルも美味しそうだったな」


 フローリアンはカナリアに視線を向けた。

 この後はロッポンギ通りにあるドルフィンのマンションに向かう予定だった。

 彼は言っていた。ブラボーⅠ時代、サイボーグになりたてな頃に祖母が用意してくれたのは、高層マンションの最上階。無駄に広すぎるワンフロアだったという。

 確かにそこなら落ち着いてリアルの方とも顔を出して連絡を取り合える。


 いかに仮想現実空間といえど、現実世界とテレビ通話をするとなると各々の端末でも使わないとできないのだ。ここは、現実世界に即した世界なのである。

 眠くなったらログアウトすればいいし、一応寝室付きの客室もある。シャワールームで気分転換もできるし、好きに過ごしてくれとドルフィンは言っていた。


(ドルフィンはリアルに入り浸りになってほとんどいないんだろうが……)


 きっとラプターが起きていたら「ドルフィン、ドローンの姿」になって現実世界でブンブン言っているに決まっている。彼女が慣れない環境や仮住まいとなる自分の実家で苦労しないように張り付いてサポートするはずだ。


(ラプターのことが好きすぎて手のつけられない重症患者だが、ガールフレンドを気遣うそういうところはいい男なんだがなぁ……)


 いかんせん、度が行き過ぎているのが玉に瑕なのだとは少し思う。


「メトロに乗るんだったか?」

「ああ。あ、自販機! ちょっと見せてくれ!」


 これからメトロの駅向かおうというところに、道端の自販機に吸い寄せられるドルフィン。

 なんだ、どうした、と声をかける暇もなく、ドルフィンはもう自販機の前にいた。


「嘘だろ……ほうじ茶がある!」

「ホウジ……?」


 なんだそれは、とフローリアンがサミーに目を向けると、彼は苦笑してこう言った。


「グリーンティーの茶葉をローストしたものみたいですよ」

「俺、緑の茶より茶色い茶が好き! あ、これミラが好きなレモンウォーターだ! 買う! 両方買う! ミラの好物が飲める!!」

「日系人って基本グリーンティーが好きなのかと思ってたけど、確かにドルフィンが飲んでるところ見たことなかったわね……」


 感慨深そうにしているエリカの隣で、フローリアンはなんだか切なくなってしまった。ドルフィンはドリンクのボトルを手に珍しくはしゃいでいた。

 ラプターの好物を彼は今まで口にする機会すらなかったのだ。はしゃいで当然、無理もない。

 だが、ラプターの件でたまに大騒ぎする件を除き、元来クールな男である。これほどテンションの高いことは実に珍しい。


(ガールフレンドと住む世界が違うんだもんな……)


 相手が好きなものを知りたいというのは普通の感情である。


「よかったなぁ、ドルフィン」


 それは心からの言葉であった。ドルフィンは心底嬉しそうな笑みを浮かべた。


「ああ。帰ったら冷やして飲むぞ!」

「私にも少しくれ」

「もちろん。楽しみだな」


 どこか足取り軽くメトロへの階段へ足を向けたドルフィンを、フローリアンは小走りで追いかけた。

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