13. カフェ・ツェントルム

 円形の席に案内され、各々が席に座る。

 店員からメニューが手渡される。なんだか新鮮だな、と零はそれを受け取った。仮想現実空間ではメニューを見るなんてことはなかったからだ。

 酒類も、バーなどでカウンターで頼む程度。基本的にあっても酒類か、コーヒーなどの嗜好品、基本的には飲み物に限定される。


 こうして席に座ってメニューを開くという行為が久しぶりすぎる。ブラボー船団は雇用を守るため、日常生活では過度なデジタル化は禁じられている。基本はどんな店でも店員がオーダーを取りにくるし、チップを払うのも普通だ。タクシーだって有人運転である。地球の大都市はなんでも無人なのが普通らしいが。

 メニューを眺めていると、知らず知らずのうちに零の口元に笑みが浮かんだ。


(ブラボーⅠの仮想現実空間はこんなに飲食文化が進んでいたのか……)


 どうやらここ半年くらいでサイボーグの間でも「カフェ文化」がかなり浸透したようだ。

 なんと驚いたことに軽食がある。

 少々焦った。どうしたものか。零は言葉を失った。


「……聞いてないぞ」


 隣のホークアイの呆然とした声が耳に入り、彼の方に目を向けた。


「俺も知らなかった」


 きっと開発を急ぎ、発売を早めたのだ。サイボーグは軍に属している者が多い。ここ半年以上皆ストレスフルだから、その息抜きの意味もあるのだろう。


(そして戦禍のせいで情報も入ってこなかった……)


 ゼノンとのごたごたのせいだ。

 ブラボー姉妹船団もこのような戦時下においては流石にそのような細々とした情報交換をする余裕などない。ブラボーⅡに全く伝わってこなかったのだ。


「ドルフィン、ちょっと教えてほしい。これなんだ?」


 早速メニューのページをあれこれ見ているホークアイの手元を覗き込む。

 指差していたのはカリーブルスト。カットしたソーセージにカレー粉とケチャップをかけたジャンクの中のジャンクである。


「ベルリン名物、カリーブルスト。これはなぁ……」

「え、甘いもの以外もあるの? ちょっと待ってサミーすごいわよすごい! アプフェルシュトゥルーデル! ねぇちょっとカイザーシュマレンもあるわよ!」


 零がホークアイに説明しようとした声を興奮したカナリアの声が遮った。

 彼女はサミーの身体を掴んでガンガン揺さぶっている。


アプフェルりんごのなんだ? カイザー皇帝?」


 一方のホークアイは生まれて初めて遭遇した謎単語に首を傾げている状態である。

 どちらもオーストリアの伝統的なデザートだ。リンゴのフィリングを薄いパイで巻いたウィーン風アップルパイ、ベリーソースのかかった細切れにしたパンケーキ。

 ドイツ語文化圏の人間ならば、普通は誰でも知っているものだ。だが、ホークアイは知らないのである。


(そうか、カナリアはこういうものを食べた経験があるもんな……) 


「カナリアが楽しそうで何よりです」


 ちらりと左隣のカナリアとその向こうにいるサミー二人に目をやってから、苦笑を一つ。零もサミーと同じ気持ちであった。

 カナリアが楽しそうなのは何よりだ。最近生きるか死ぬかのストレスばかり、こうしてサイボーグとしてこちらで暮らしてQOLが上がるならばいい。


 それは、零の右の席に座るホークアイに対しても同じ気持ちだった。自分達の住んでいた船団が沈んだのだ。

 どこか現実味がない。だが、テレビは敢えて確認しないようにしていた。

 きっと現実世界では避難民が大変なことになっている。零は現実から目を逸らしながらも、株や不動産で入ってくる私財を本名で寄付すると家族に相談済みであった。

 実はとっくに退院し、社会復帰していたと公表することを決めたのである。


(本当最近ストレス値おかしいよな……)


 さて説明を再開するかとメニューに手を這わせた。


「うぉっ! なんだびっくりしたな……」


 零は席に座ったままのけぞった。なんと、メニューの立体説明が現れたのだ。

 触れると説明が出てくる仕組みなようだ。


「これは驚くな……だが説明が出るのはありがたい」


 へぇ、と言いながらメニューを触っているホークアイ。説明する手間が省けたのはありがたい。

 とは思いつつも、補足説明を加える。

 だが、食べ物の話題だったから、途中で零は食いしん坊なガールフレンド、つまりミラのことを唐突に思い出した。


「……ドルフィン、どうかしたか?」


 突然黙りこくった零にホークアイが訝しがる。


「そろそろ夕飯の時間だ……ミラ、ご飯ちゃんと食べてるかなって……だめだ、心配だ。ログアウトする!」


 零は弾かれたように立ち上がった。


「「Setzゼッツ dichディッヒ!」」


 座れ! そう左右からホークアイとカナリアの声が重なり、両手首を掴まれ下に引っ張られた。零は二人の一喝に戸惑って、操り人形のごとく元のように椅子に腰を下ろした。


「寝てるかご飯食べてるか、いつも通りニコニコしてるかのどれかだから気にしすぎよ」

「心配性も過ぎればストーカーだ。振られるぞ、多少は放っておいてやれ」

「……あー、今一瞬ドローンのカメラに繋いでみたんですが、客間は無人。ドルフィン用のダイニングのカメラに侵入したところ、ジェフ、キャシー、ダガーと龍さん一香さんでカレーライス食べてます。なかなか斬新なメンバーです。ラプターは寝てるんじゃないですかね?」 


 ダイニングのカメラとは、零の目となるカメラだ。リビングやダイニングなど主要な部屋に設置されているものである。


「寝てるか……そうだよな、疲れたよな」

「疲れているのはドルフィンもですよ。せっかくですからパーっと飲んでください」


 サミーがドリンクメニューを押し付けてくる。ページはきっちりアルコール。


「だな、飲むか」

「ビールでもワインでも。ここはビールの種類が多めみたいですよ」


 メニューを捲れば、数ページにわたりビールやワインがずらりと並んでいる。

 ビアカクテルも充実している。


(これはいいな……)


「酒も種類がありすぎる。訳がわからん。なんだビールに白だの黒だのどういう意味だ」

「私もどうしていいかわからないわね」


 ホークアイもカナリアもいきなりの情報量に混乱している様子であった。


「まず、甘いものを食べるのか、軽食にするのか決めろ。そこからだ。デザート系ならシャンパンやワインも合う。さっきのカリーブルストみたいなジャンクでしょっぱい軽食ならビールが最高だ。白とか黒ってのはなぁ……」


 もはや零の役割は解説と交通整理をすることであることに気がついた。

 サミーは実に楽しそうに微笑んでいた。

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