11. 仮想現実空間 零とエリカ 互いの恋人
凍てついた風が吹き抜けていった。若干首元が冷えるが我慢できないこともない。
見下ろせば、人々の足元を縫うようにハトが歩き回っている。街路樹からはスズメの鳴き声も聞こえた。
だが、ここは仮想現実空間。全てが作り物だ。偽物であることはわかっていたが、思わず笑みが溢れた。
「後少ししたらマフラーかストールがいるな。こっちの仮想現実空間はクオリティがブラボーⅡとは段違いだ」
共同航行していた頃の印象はまるでない。当時はブラボーⅠもⅡもあまり変わりがなかったと記憶している。
(ばあちゃんが相当テコ入れしたな、これ……)
環境をできるだけ整えて「帰ってこい」と言うつもりだったのだろう。零にはそれが痛いほど伝わった。
カナリアを見ると、周囲を物珍しそうに見回している。
「店員がいることに驚いてしまったわ」
「ブラボーⅡの店の店員は基本AIだったけど、こっちはおそらく過半数が人だ。サイボーグじゃない、頭に電極を埋め込んだ身体障がい者だな。その辺のカフェでケーキやらアイスやらも売ってるし、技術も段違い。今度ホークアイを連れて行ってみようか」
「きっと喜ぶわね。あ、改めて、これ、ありがとう。気温的にもちょうどいいわ」
「ならよかった。さっきも言ったけどコートの件、ミラには黙っておいてくれ。服くらいで気にする性格じゃないと思うけど」
ミラは気にしないかもしれないが、零自身が少し気になったのだ。
自分が彼女の立場だったらきっと、恋人が仮想現実空間で遊べる状況に不安にならないわけないのだ。
サイボーグの女性と深い仲になってミラに不誠実なことをする気はないが、女性とは距離を取りたいと彼自身は思っていた。そもそも仮想現実空間のサイボーグたちは距離が近い。
こちらの女性に勘違いされて言い寄られたら面倒だからである。
(でもカナリアはまあちょっと別か……)
元々ミラと仲がいい。彼女の性格上、誰よりも真面目だから変な勘違いをして自分に接近してくることもない。正体を知っていても自然体で接してくれたし、一言では言えないが友人であることは確実だ。今くらいの距離を保つ分には許されるだろう。
「あー私もちょっとジェフに黙っておいてほしいわね。ジェフのことだから『零がくれるって言ってんだからもらっとけ』とか言って笑いそうだけど、私が気になるのよねぇ」
(……ジェフ?)
なぜジェフの名前が出てくるのだ? 零は隣にいるカナリアをまじまじと見つめた。
その耳がほのかに赤いような気がした。
「実はジェフと付き合うことになって……」
「えええええ!」
近くにいた通行人が振り返るくらいの大声が出た。
カナリアの発言は予想だにしない一言だった。足もぴたりと止まる。止まるどころか数歩後ずさりしてしまった。
「嘘! いつから? え? 何? どっちから何? そもそもアプローチを!? 俺は混乱している!」
謎の片言を話し出す始末である。
カナリアは足を協会の方に向けつつも、ところどころもじもじ濁し、目をチラチラ逸らしながら経緯を話している。
(みんなの頼れるママみたいな性格のカナリアがすごく恋する女子っぽいぞ……)
零は衝撃を受けた。面白い。このカナリアは面白い。
ちょっとかわいい。映像にしてジェフに送りつけたいくらいだ。なぜサミー、ここにいないのだ。彼は一定期間自分の目と耳から得た情報をカーナビや防犯カメラのように動画として保存している。
(今こそ永久保存だろ。サミー、肝心な時に!)
だが、それ以上に思ったことが一つあった。
「仲間だな。健常者の恋人がいる同志」
「え……」
カナリアが顔を上げた。零は今や見上げるほど近くにあるサイボーグ協会のビルを見上げて言った。
「今は俺はミラといて最高に楽しい。でもきっと今後、色々あるだろうな。ミラだって手を繋いでデートして一緒にレストランやホテルに行ける普通の男がいいなと思う時が来るだろう……」
これは零自身が現時点で思っていることだ。
一緒に街を歩いて食材を買って、家で一緒に作ってご飯を食べて、風呂に誘えば多分彼女ははずがしがって一人で入りたがるに違いない。そして、どちらが先に風呂に入るかきっと押し問答になるだろう。
ならば自分が先にとさっとシャワーを浴びに行く日もあるに違いない。バスタブに浸かってゆっくりしておいでと彼女を送り出して、酒でも飲みながらのんびりと待つのもいい。
その後、風呂から出てきたミラに叶うならば思う存分触れたいし、まだ誰も知らない彼女を暴きたい。
その後のシャワーは二人で浴びるのもいいかもしれない。自分があの綺麗な髪を洗ってあげるのだ。
しょっちゅう夢に見るくらいにはあれやこれやと妄想した。あのオパールのように輝く綺麗な髪は、一体どんな手触りなのだろう。
(現実には無理なんだな、これが……)
「そうね、私もあんな状況だからジェフに思ってること伝えちゃったけど、ちょっと不安に思うこともあるの」
「幸い、こちらの日系コミュニティはパートナー必須のホームパーティなんかも少ない。俺たちには有利だ」
「そうなの? それが心配だったのよね!」
ブラボーⅡはなかなか強固なパートナー文化だった。零はその状況にあまり詳しくなかったが、映画館の席もカップルシートが多いし、友人宅でのホームパーティですらもパートナーを連れて行くのが当たり前だと聞いた。
典型的な欧米のいつでもどこでもパートナーと行動しましょうという無言の圧力のようなものがあった。
「こっちだと、元からパートナー同伴でって言われてない限りは女性友達の飲み会なんかに彼氏なんか連れて行ったら逆にひんしゅく買うぞ。欧米文化と日本文化は結構違う」
零は昔、売れっ子モデルだった元カノに「友達に紹介したい」と言われてホームパーティにノコノコついて行ったら男は自分だけだったという針のむしろな地獄を味わったことがあった。
その元カノは事前に主催にも友人たちにも言わずに自分だけ零を伴って行ったのだ。
「自分は朝倉の御曹司を捕まえた」というステータスアピールに使われたのだと気づいた零はすぐにその女性と別れた。男版トロフィーワイフとして扱われて黙っていられる零ではなかった。
「そういう文化ってところ変われば違ってくるのね……」
「何かあれば相談くらいは乗ってやれる。ジェフとは付き合いも長いしな」
「私だってドルフィンよりはミラと付き合い長いわよ」
二人は拳を突き合わせて自然とグータッチした。
もうあと10メートルも歩けば、サイボーグ協会のエントランスビルだ。西日が眩しい。宵闇の足音が聞こえてくる時間帯になっていた。
零が足を急がせたその時、目の前の自動ドアが開いた。
よく見知った人物たちと目が合った。
「サミー、ホークアイ!」
零は思わず二人に駆け寄った。
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