8. ブラボーⅠ 仮想現実空間

「ミラ、寝てるの?」

「うん、寝てる。零の寝室に寝かせちゃったけど……せっかくだから」

「お、俺の部屋……」


 悪いことしちゃったかなぁ、とドルフィンの目の前で祖父のリュウが頭をかいた。


「いや、いい。大丈夫! でもそうか、寝ちゃったか。疲れたよな」

「そんなに会いたかったのかぁ。なんだか面白いな……零が女の子にデレデレしてるところ見たことないからめちゃくちゃ新鮮だな」


 顎に手を当てて笑みを浮かべている祖父にドルフィンは背を向けた。


「うるさいなぁもう……ニコを……あのぬいぐるみを渡したかっただけ! ところで夕飯どうするんだ? じいちゃんのことだから自分で作るんだろ?」

「うん、そのつもり」

「手伝う。うちのアーム使うの久しぶりだからリハビリ代わりに」

「ありがとう。じゃあとりあえずぬいぐるみは棚の中にでもしまっておくよ。白いし汚れるといけないから」

「助かる」


 ドルフィンとリュウが話している会話が聞こえてきた。日本語なので内容はわからなかったが、サミーがフローリアンに内容をかいつまんで教えてくれた。どうやら、ドルフィンは食事作りを手伝うとのことだ。


「エリカ、私は一度仮想現実空間の方を覗きにいくが、君は少し休むといい。疲れているだろう?」


 エリカは目に見えて疲れていそうだったのでそう問いかけた。 


「そうね、しばらく休憩しようかしら」

「それがいい、私は一度向こうを少し見てくる」


 検疫を出たばかりは仮想現実空間の本空間へはアクセス不可。検疫後、ロビーでもすぐにログアウトするように言われたくらいだった。どうも、元からのブラボーⅠの仮想現実空間の住民を優先するようである。

 皆が殺到してシステムに負荷がかかったようであったのでその後しばらくログインを控えていたのだが、流石にそろそろ入れるだろう。


 ブラボーⅠにもサイボーグ協会があるのでそこに顔を出そうと彼は思ったのである。

 ブラボーⅡから避難したサイボーグたちからの安否確認は、この状況ゆえににブラボーⅠのサイボーグ協会が取りまとめてくれていると検疫で聞いた。顔を出して挨拶と礼をしなければ。


 それに、避難してきたサイボーグの処遇も気になる。東方重工製の機体は先程ドルフィンの母親が重工で面倒を見てくれると言っていたが、それで全部済むわけではない。

 他社の機体もあるし、無動きすら取れないシステム組み込み式のフル・サイボーグたちも心配だ。


「同行してもいいでしょうか?」

「ああ、サミーが来てくれるならありがたい」


 早速ログインする。目の前に美しく整備されたブラボーⅠのメインストリート、東京ブロックの銀座通りが広がった。

 アバターに問題はない。素体となるアバターは自分の端末の中にあるし、最後に着ていた服などもそこに残っていた状態だ。

 ブラボーⅠの仮想現実空間はブラボーⅡどころか地球より断然進んでいて、数年前から季節があると聞いた。刺すような冷たい風が吹き荒れて、街路樹の木の葉が宙に舞った。


(寒さなんて久しぶりに感じたぞ……)


「問題なく入れましたね」


 すぐ隣にログインしたばかりのサミーを見上げる。


「ああ。こちらは季節があるから少々冷えるな……ブラボーⅡより進んでいる、素晴らしい技術だ」

「私、このくらいの格好ならばまあいいですかね……?」


 サミーの服装は革ジャンに細身のパンツ、カジュアルなジップアップブーツという格好だ。


「いいのではないか? 私はこれしかないからな」


 フローリアンは前回ログアウトしたままの格好だ。

 襟付きのダークグレーのシャツに履く人を選びそうなホワイトのパンツ、ダークカラーの革靴という格好はこの季節には少々アンマッチに映るが状況的に仕方ない。


「コートをお貸しします。どうですか?」


 一瞬なんのことかわからなかったが、瞬きした瞬間に身体にかかる重みが増した。


「自分自身のストレージにダウンロードしてましたので色々とデータが残っています。私のサイズなのでまあ少し大きめかもしれませんが悪くないのでは?」


 一瞬で羽織っていたのはグレーのシックなチェスターコートだ。彼自身、このような品のある装いは嫌いではない。

 驚きのあまり思わず足を止め、阿呆面を晒してしまった。


「……悪いな」


 やっと絞り出した言葉がそれだ。


(サミー、できる彼氏か何かか?!)


 このAI、どんどん人間らしくなっていく。恐ろしいにも程がある。


「いえ、お気になさらず。それ、キャシーがダウンロードしてくれたんです。絶対似合う! って」


 再度自分の身体を見下ろしたのち、隣りのサミーをまじまじと見る。自分よりも10センチ近く背の高いその頭のてっぺんから足まで。まあ似合うだろう。そして思った、その革ジャンももしかして、と。


「その革ジャンもキャシーの趣味か?」

「そうです」


 そのカジュアルめな革ジャンは自分で着るにはごめんだが、彼が着ると何故だかしっくりきてとてもいい。


「キャシーはセンスがいいな」

「ええ、色々と教わりました。キャシーはモノトーンな服装を私に着せるのが好きなようです」


 サミーは機嫌良さそうに微笑んだ。

 雑談をしながらも二人は人通りを縫うようにして足を急がせた。


「とりあえずサイボーグ協会ですね?」

「ああそうだ、よくわかったな」

「情報収集、したいのではと思いまして」

「ああ、ラーズグリーズとあれから連絡が取れない……心配だ」


(我らの会長はどこに行ってしまったんだ……)


 目の前に広がる光景は、あまりにも普通な夕暮れ時の高級ショッピング街だった。左右には有名ブランドの店が軒を連ねている。

 ブラボーⅡは本当に墜ちたのか? あれは悪夢か何かだったのか?

 手を繋いで談笑しながら歩く男女のカップルとすれ違う。オープンテラスのカフェでコーヒーを飲む女性二人組。日常だ。ごくごくありふれた日常がそこにはあった。

 彼自身気づかないうちに戸惑いから足が止まっていた。


「ホークアイ、ホークアイ、大丈夫ですか?」

「あ、ああ。すまんな」


 肩を掴まれて我に返る。


「人とぶつかりかけてましたよ。あなたもきちんと休んだほうがいい」


 いつになく真剣な様子のサミーの真紅の双眸には、こちらを案じている色が読み取れた。


「一段落したら休む。今無理せずしていつ無理するんだ」

「副会長にはそれなりの責任が伴うことはわかります。でもあなたここのところずっとそう言ってずっと無理してますよ。私はサイボーグではありませんが、サイボーグ協会のことで困ってたらなんでもやりますからね、言ってください」

「君の仕事を増やして申し訳ないな」

「こういうときは素直にdankeダンケって言えばいいんですよ。Allesアレスklarクラー(わかりましたか)?」


 子供に言い聞かせるように言われて、フローリアンは勝手に笑顔になる表情筋の制御ができなかった。そうか、ありがとうか。


Allesアレス Klar.クラー(わかった)dankeダンケ


(私はいい友人を持ったな……)


 フローリアンは足を急がせた。

 人だサイボーグだAIだなんてものはどうでもいい。サミーがプログラムによって優しくしてくれているのはわかっている。


 でも、サミーは誰にでも無条件で親切をして回るような性格ではない。それは一緒に過ごしてきてわかっているつもりだ。

 人ではない、それゆえに思っていることを吐露できるし情けない姿も見せられる。愚痴だって言える。ドルフィンに向けるものとは少し違った友情がそこにはあった。

 もうすぐそこにブラボーⅠサイボーグ協会のビルが見えていた。

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