5. 朝倉邸 シャワーと軽食

 レイの実家は想像を超える大豪邸だった。

 東京ブロックとベルリンブロックの間にある高級住宅地。庭付きで三階建てのシックな建物で、敷地内に警備室やハウスキーパーの暮らす離れもある。屋上には庭園とプールもあるらしい。


「本当は人用のプールなんだけど、今はコールダック用のプールになってるんだよね」


 リュウの発言にミラはまともなコメントが思い浮かばず呆けたように目を見開いた。

 人用のプールにアヒルが泳いでいるらしい。

 戸惑いながらも足を踏み入れると、眺める余裕こそなかったが玄関の靴箱の上には家族写真が並んでいた。後できちんと見なければ。


 これほど広い住宅は見たことがなかった。皆で言葉も出ず惚けるありさまである。

 豪華すぎてやや挙動不審なミラであったが、やっと落ち着けそうな場所に来たことでふと我に返る。思いこせば、いつ風呂に入ったのか思い出せないほどだった。


 長風呂は厳禁だということで、シャワーをさっと浴びた。

 その風呂場もすごいものだった。ゆったりと足を伸ばせそうなバスタブ。聞いた話によるとジャグジーらしい。

 移民船団において水は貴重なので、バスタブがある家はそもそも少ない。

 ブラボーⅡの官舎にはバスタブがあったが、あれは水の使用量を制限されない軍人ならではの特権を享受していたにすぎない。一般家庭でバスタブがあるのは本当に珍しい。


 天井はガラス張りだ。天井ドームを透けて見える美しい星辰の輝き。

 言葉を失うほかない。

 シャンプーは清涼なシトラスの香り。シャワーはきめ細かい粒子で強さの可変も自在。

 ハウスキーパーの女性に用意してもらった肌触りの良い下着にシルクの部屋着とガウンを身につけた。


(眠い……)


 猛烈に腹が減っているが、同時に猛烈な眠気も襲いかかってきた。

 なんとか髪を乾かすと、先ほどのハウスキーパーの女性にある部屋に案内された。

 談話室のような広い部屋だ。ソファに皆が座っている。


「みんな!」

「ミラ! さっぱりしたみたいだな。顔色もいい」


 ソファに向かったミラにペットボトルのミネラルウォーターを投げて寄越したのはジェフだ。

 フィリップもキャシーもジェフもケータリングのようなサンドイッチ片手にテーブルを囲んでいた。レイの家族はおらず、ドローンは一台も見当たらない。


「レイたちは?」

「サミーとサイボーグのみんなは機体を移動しに行った。甲板も軍の格納庫も駐機場もいっぱいだから、少しでも空けたいって重工所有の空き倉庫使うって。総裁がせっかくだからオーバーホールしてあげるし、その気になればすぐに宇宙に出せる場所だってみんなを言葉巧みに誘導してたな……ホークアイが恐縮してるところが見られて面白かったぞ」


 ミラはそう楽しそうに言ったキャシーの隣に腰を下ろした。


「確かに全員重工製の機体か。なるほどね」

「俺が乗ってきたソックスのケーニッヒはサイボーグシップでもなんでもないし、奥に詰め込んで出せそうもないからまた後でって話になったんだけど……俺そんなドルフィンからしたら友達でもなんでもないのに? こんな豪華な待遇受けていいのかなって! あ、ミラ、これ食べていいってさ。夕食までにまだちょっと時間あるから」


 時計を見れば、今は三時半。

 ミラは「いただきます」と小声で言って、フィリップに勧められたローストビーフのサンドイッチに手を伸ばした。合成ビーフではなく本物の肉がたっぷりと挟まっている。


「美味しい……!」


 サバイバルキットのレーションやゼリー、ブラボーⅠに到着後も支給された果物やビスケットくらいしか口にしていなかったミラにとってそれはご馳走にほかならなかった。

 

 サンドイッチを食べ終わった頃、ハウスキーパーの女性が入室してきた。

「コーヒーか紅茶、ルイボスティーはいかがですか?」と聞いてきたので皆に相談し、図々しいかもしれないがルイボスティーをもらうことにした。


「俺ここで世話になっていいのかなぁ……」


 依然落ち着きのないフィリップに視線を向ける。


「私も正直落ち着かないしなんか悪いとは思うけど、住むところ決まるまで甘えてもいいんじゃないか? じゃないと避難所の雑魚寝コースだぞ」

「キャシーさん、俺ら一応こっちに知り合いいるんですよ」


 キャシーが「友達でもいるのか?」と問いかけたので、ミラが口を開いた。


「実験室の仲間たち。友達っていうよりも、同志でありきょうだい。困ったことがあれば助け合うのが私たち」


 実験室が解散したのち、皆バラバラで暮らすことが決まった。

 人とは能力が違う実験室の出身者が集まって結託されるのが怖かったのだろう。地球と各移民船団に分かれたのち、たまにメッセージで連絡を取り合った。


(検閲入ってただろうけど……)


「回線直ったら誰かと連絡とってみようって思うんですよね」 


 ミラも何度か電話をかけてみたが繋がらなかった。


「そういや、二人ってブラボーⅡに仲間たちっていなかったよな?」


 キャシーはルイボスティーの入ったカップを傾けた。


「うん……いたんだけど、みんな自殺したんだ。だから私とフィリップだけ」

「そ、そうだったのか!? ごめん」

「いいんです、キャシーさんは悪くないから気にしないでください。俺たちってやっぱり人と違うから色々馴染めなかったり、仕事もなかったり、テロリスト扱いされたり……俺は見た目も結構普通だから道端で石投げられたりとかはなかったんですけどね!」


 そう早口で言って笑い飛ばすフィリップの言葉は、裏を返せば石を投げられた仲間がいたことを如実に語っている。キャシーがそれに息を詰めたことにミラは気づいた。


「8人いたんだけどな……」


 ジェフは言葉と共に嘆息し、カップとソーサーをゆっくりとテーブルの上に戻した。


「でもね、ブラボーⅠにはいっぱいいるんだ。だから落ち着いたら会いたいなって思ってる!」


 ミラは努めて明るく言った。 


(ワッカに会いたいなぁ……)


 年が同じで仲良くしていた女性がいた。彼女はワッカという名前だ。ミラと同じく捕食動物の遺伝子が組み込まれて、ミラとそっくりな虹彩の色をしていた。

 その目はしばしばウルフ・アイとも呼ばれた。金色に近い琥珀色の瞳だ。彼女はオオカミの遺伝子が組み込まれているのだ。

 それから、ライオンの遺伝子が組み込まれたラビ。ジャガーの遺伝子が組み込まれたソラ。辛くも苦しかった日々を耐え抜いた仲間たち。


 彼らなら、ユキが今どこで何をしているかも知っているかもしれない。

 ミラはユキがブラボーⅠにいることは知っていたが、それ以上に関して何も知らなかった。

 彼女は無意識に口元を綻ばせていた。

 周りの皆もそれを見て無意識に口元に笑みを刻んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る