3. 検疫 ミラと朝倉京香

「早くミラ・スターリングに会わせなさい。どこにいるの?」


 ドルフィンの母親のキョウカはゾッとするような笑みを浮かべた。ヒョウかジャガー、ネコ科の猛獣を思わせる。

 もちろんフローリアンも彼女の顔は知っていた。しかし、本人を目の当たりにすると迫力が違った。


「こ、この奥に!」


 案内する検疫所の所長は汗が止まらない。今更焦ったってもう終わりだろう。

 フローリアンの目に、彼の姿はいっそ哀れに映った。


『ミラ、大丈夫かしら……さすが東方重工を引っ張る女傑、手強そうね……』


 エリカから短距離通信でメッセージが届いた。


『一筋縄ではいかないだろうな……』

『でしょうね……』 


 皆でぞろぞろと彼女の後ろを追いかける。

 その中で、ドルフィンのドローンだけが皆を追い抜くようにしてキョウカの前に躍り出た。

 彼女のハイヒールの靴底は、血のように真っ赤だった。

 フローリアンは失礼にあたるかと思いながらも彼女を飛び越した。

 ラプターがとにかく心配だったのだ。


***


「首、痛いな」


 ミラは、体温を測って別室送りになったのち、感染症の検査をすると言われて口の中の粘膜やら採血をし、この部屋に放り込まれた。

 ご丁寧に外から鍵までかけられてしまった。

 そこはただの会議室のようだった。長方形の部屋だ。ローテーブルがあり、三人で座れるくらいのソファが並んでいる。

 今や首だけでなく、肩も痛かった。若干吐き気もする。


「首やったんだな……」


 脱出の時にかなりの衝撃を後ろから食らったのだ。自動車を運転中に追突されたのと何も変わらない。

 むちうちは後から痛くなると聞いたことがある。きっとそれだ。

 そりゃそうだなと彼女自身も変なところで腑に落ちた。だが、手も足もついているし、他におかしなところはない。運が良かったと言わざるを得ないだろう。

 ミラはソファの座面にそろそろと横になった。


(レイ、検査終わったかな……)


 彼はミラと引き離されることをかなり嫌がっていた。だが、サイボーグと健常者は流石に検査項目も違うし、流石に折れて大人しく係員の指示に従っていた。

 別れ際、彼のカメラが名残惜しそうにこちらを見ているのがわかって、なんだかかわいく思えたのは秘密である。

 ミラは目を閉じた。普段の自分だったらとっくに腹の虫が喚きたてているところであるが、とても静かだ。

 こんなに体調が悪いのは久しぶりだ。

 ミラは目を閉じた。ちょっと気持ちが悪いが、目を開けているよりはいい。


 しばらく後のことである、ミラは鍵が開いた音で目が覚めた。どうやら眠っていたようだ。


「ううん……?」


 身体を起こそうとしたが、首も背中も痛みが走った。


(しまった、悪化してる……)


 ドアが開いた瞬間にレイのドローンが一目散に飛んできた。

 ソファに横たわっているミラを見て、彼が血相を変えたことに気づいた。

 顔色や声でわかるわけではない。でも彼女にはわかったのだ。


「ミラ! ごめんな。一人にするんじゃなかった……どうした? どこが悪い?」


 彼はこちらの調子が悪いことを察しているようであった。


「ちょっと調子悪くて、身体も痛い……首とか背中とか」


 ミラは眉尻を下げ、上体をなんとか起こした。


「無理しなくていい、横になってろ」


 レイはそう言うと、身を翻して入り口に飛んで戻る。そこには職員と思しき男がいた。


「お前ミラに何しやがった!」

「返答次第ではただでは済まさんぞ!」


 レイのドローンの隣にいたのはブラックのドローン。ホークアイだ。


「いえ、こちらは何も!」


 ドローン二機に詰め寄られて焦ったような男性職員の声と、二人の剣幕にミラはパチクリと目を瞬かせた。


「大丈夫、私は何も……!」


 慌ててソファから立って彼らの方に向かう。


「ラプター、君は座っていろ。緊急脱出ベイルアウトしたのだろう? 然るべき医療機関で検査しなくては!」


 ホークアイの声の調子に驚かされる。なんだ? 何がどうなっている?


「みんなブンブン飛んで行っちゃって速いわよ……スニーカーでも履いてくるんだったわ」


 一人の女性が部屋に入ってきた。後ろにはもう一人見覚えのないアジア系の男性と、ジェフやカナリアのドローン、キャシーとフィリップが続いているが、ミラの視線を釘付けにしたのは先頭の女性だった。


(総裁だ……レイのお母さまだ)


 ミラは慌てて身を起こした。

 確かにレイの顔立ちには彼女の面影がある。整った顔立ちに意志の強そうな眉。ヒールを履いているので自分よりも身長が大きい。

 今、頑張らなくてはならない時だ。ミラはそう考えた。

 利き手のグローブを外した。彼女の立場なら、きっと拒否はしないだろう。

 ミラは緊張を隠せずに彼女を見上げた。


「初めまして。ミラ・スターリングです」


 初対面の人間にこの手を見せるなんて、本当に久しぶりだ。


「あら、話は聞いているわ。うちの息子が世話になっているようね。キョウカと呼んで」


 キョウカは妖艶な笑みを浮かべ、こちらの手を躊躇なく握ってきた。


「母さん、世話になってるとか言ってなんのつもりだ?」


 職員を壁際に追い詰めていたレイのドローンが困ったように頭の上をうろうろ飛んでいる。


「キョウカさん、よろしくお願いします」

「こちらこそ。早く会ってみたかったの。疲れてるでしょ? うちにおいでなさい、部屋は余ってるから! あ、父さんいいわよね?」

「もちろん」


 拍子抜けした。ミラは呆気に取られて皆を見つめた。


「ミラ! 緊急脱出ベイルアウトしたって聞いたぞ。大丈夫か?」


 ジェフが間に入ってきた。ミラもキョウカも彼を見下ろした。

 二人の間に入るジェフは平均身長があるはずなのに、なんだかとても小さく見えて不思議だった。

 言われて首の痛みを思い出したミラは戸惑いがちに口を開いた。


「ちょっと首とか背中が痛くて……後からじわじわきたみたいです」

「整形外科に診せた方がいいな……」


 そう言って端末で電話をかけ始めたのは、キョウカの後ろにいた長身のアジア系男性だ。一発で繋がったことから、おそらく無線か衛星電話だろう。  


「うちのじいちゃん。龍って名前」


 電話をかけながら、リュウは目を細めて頷いた。ミラは小さく頭を下げた。


「とりあえず座って。病院が決まったらうちの車で送るわ。ジェフ君、こういう時って冷やした方がいいの?」


 ミラはキョウカに促されて戸惑いながら元のソファに腰を下ろす。


「そうですね……僕も専門ではありませんが、外傷性頚部症候群の場合、一般的に急性期は患部を冷却することが推奨されますね」

「ジェフ、わかりやすく言って!」


 そう声を上げたのはカナリアの白いドローンだ。


「事故ったばっかりのむちうちなら、とりあえずアイシング!」

「了解! おい、そこのお前、氷水ビニールに入れて持ってこい! タオルも! いいか三分以内に戻ってこい! もし遅れたら……わかってるな?」

「はいっ! 今すぐ!」


 レイが職員にそう飛ばして男はドアから逃げるように消えていった。 

 彼が下士官相手にすら強い口調を使っているところを見たことがなかったミラは、その様子に少々戸惑った。

 後から「サイボーグに対する侮辱」とホークアイが言ったことの次第を聞いたミラは激怒し、零の態度の全てを理解することとなった。


 だが、この時は誰も気づいていなかった。深く考えようとすらしていなかった。

 なぜミラだけが隔離されたのか。体温も、人獣共通感染症も実は全く関係がなかったのだ。

 彼女がが重要だったのである。 

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