2. 検疫 所長
検疫所の所長らしい。キャシーの目には、五十過ぎくらいアジア系に見えた。
(いかにもなハゲ散らかした中年太りのおっさんだな……)
身長はジェフと変わらないくらいだが、横幅は全く違う。
なんとなく、とても嫌な予感がした。
「で、話とは?」
自己紹介も何もなく始まった会話に、さすがのジェフもムッとしたようだ。
だが、これは友人であるキャシーだからわかったことで、表面上彼はにこやかに口を開いた。
「どうも初めまして。私はブラボーⅡで軍医少佐をしていたジェフリー・セキです。Ms.スターリングは実験室の被験者だ、一般的な人間とは人体構造が違います。何が理由で留め置かれているのか理由を伺っても?」
「鳥の遺伝子が組み込まれていると聞いた。人獣共通感染症の恐れがあるくらい君でもわかるだろう。彼女はブラボーⅠには入れられない」
「俺簡単に突破しちゃったけど……っうぐ!」
キャシーはダガーのスネに蹴りを入れて黙らせた。
すぐに無理と言われるならばまだわかる。だが入れられないとは一体なんだ。
ドルフィンのドローンをちらりと見た。表情がわからないので怖すぎる。
だが、無言なことから察するに、彼はジェフに任せるつもりのようだ。医者としての彼を立てているに違いない。
「そもそもブラボーⅡには鳥インフルエンザは出ていませんでした。指定地域です。指定地域ならば一般の鳥類ですら一日の検疫で済みます。入れられないとは何事ですか? それに彼女は人間で、しかも軍人です。健康診断に問題はありませんでした。共同航行していた折にはブラボーⅠにも入っていたはずです」
「大体、君は本当に医者なのか? 彼女はこちらで面倒を見る。それに君たちは家族でもなんでもないだろう? 悪いが帰ってくれ」
(やばいやばいやばいなんなのこのサイコパスおっさん!)
キャシーは慌ててドルフィンを見た。意外におとなしい。
なんだこれは、どうしたらいいんだ? 彼女は混乱を隠せず、不安から近くにいたサミーのドローンを引っ掴んで膝に抱いた。
「あんた、言っていいことと悪いことがあるわよ! いいこと?! ジェフはブラボーⅠ中央大学の医学部出てるのに何? 本当に医者なのかなんてよく言えるわねこの〇〇〇〇クソ野郎が!」
エリカの放った放送禁止用語が耳に痛いほど響いた。
一瞬現場が凍りつく。
「す、すみません! エリカ、わかった。わかったから落ち着け……」
ジェフはエリカのドローンを引っ掴んで「俺のことはいいから!」と小声で言った。
(サイコ野郎に謝ることないぜ、ジェフ……)
彼としてはなんとか穏便にこの場を収めたかったのだろう。だが、おそらくそれは無理だ。
「確かに家族ではないが……自分は彼女と一緒に住んでいました。同じ軍人のガールフレンドが入国できないなんて受け入れられない。彼女はギリギリまで戦ってここに逃げてきたんだ。正当な理由を説明しろ。でなければ然るべき手段に出るぞ」
ドルフィンの冷静な声が響いた。
彼が本当に冷静かどうかなんてさっぱりわからないが、その声は一種の清涼剤のように感じられた。
「お前、サイボーグか?」
「ああ。そうだが?」
所長は鼻で笑った。
「サイボーグがミラ・スターリングに惚れているのか? 身の程を弁えろ。これは検疫所の決まりなんだ、諦めろ。話は以上だ」
男はうるさそうに手をひらひらと振りながら腰を上げた。
なんてことを言うのだ。キャシーは怒りからサミーのドローンへ回していた手に力を込めた。
「身の程を弁えろとはどういう意味だ貴様! サイボーグへの侮辱と受け取るぞ!」
さっさと扉から出ようとした男の前に立ち塞がったのは、ローテーブルから飛び上がったホークアイのドローンだった。
いつでもどんな戦況でも、冷静に戦闘機のサポートをすると有名なホークアイが激昂している。キャシーは一瞬息をするのを忘れた。
どうしよう、どうなるんだ?
(ジェフ、どうするんだ?)
「サミー、二人はなんだって?」
突如耳に飛び込んだのはドルフィンの声だ。
「今すぐ入ると言っています」
キャシーの膝の上のサミーが淡々と言う。
「そうか、よくやってくれた。ホークアイ、礼を言う。なかなか時間稼ぎが上手いな。いいか? 所長だかなんだか知らんが、身の程を弁えなきゃならんのは貴様の方だ」
その時、扉が開いた。
そこによくメディアでも見る一人のアジア系女性と、もう一人、背の大きなアジア系男性がいた。
「龍先生! 京香さん!」
ジェフが弾かれたように立ち上がった。
「全部聞いたわよ。サミーちゃん、音声の転送ありがとう。ジェフ君、お疲れさま。穏便に収めようとしてくれたのにごめんなさいね」
女性はそう言って端末をちらりと見せてくれた。
サミーはリアルタイムで音声だか動画だかを彼女の端末に送っていたということのようだ。おそらく、サミーとドルフィンは短距離無線で互いにやり取りをし、サミーが裏で無線を使用して二人と連絡を取ったのだ。
(この二人……!)
キャシーは驚きに目を見開いた。
ウェーブのかかった黒髪のロングヘア。モデルのような身長に、10センチほどのハイヒール。
整った目鼻立ちながらアジア系特有の涼しげな目元。
人類最高峰の技術を誇る東方重工のトップ、キョウカ・アサクラその人が目の前にいたのだ。
キャシーはびっくりして立ち上がった。
もう一人はきっとドルフィンの祖父だ。リュウ・アサクラ。医学博士で、確か遺伝子工学の権威。
(とても、実年齢には見えない……)
「……この年になってまで『ママー! 助けてー!』をやってしまった。みんなミラには黙っておいてくれ。恥ずかしすぎる。穴があったら隠れたい。日本海溝に沈みたい。五体満足だったら吐いてる……」
「いや、仕方ねぇんじゃねぇか、この状態。本気でカオスだったし、俺も収められなかったんだから仕方ねぇよ、な、零」
ジェフがドルフィンを慰める。
「五体満足だったら吐いてるって何よ! 本当なんなの連絡も全く寄越さなくて心配したんだから!」
キョウカが眉を吊り上げるが、ドルフィンは無視を決め込んだようだ。一言も発しない。
「零! うんとかすんとか言いなさいよ! アンタ聞いてる? 全く聞いてないわね!」
「……すん」
スピーカーから一言。
「ふざけるのもいい加減にしなさい!」
キョウカはドルフィンのドローンに向かって怒鳴りつけた。
もちろん会話は日本語だ。キャシーは全く理解できなかったが、サミーが解説を入れながら同時通訳をしてくれたのだ。
(おいドルフィン。それはないぜ、いくらなんでも……)
「ま、まさか。朝倉零!? サイボーグになっていたのか? あのテロの後?」
動揺する男。
ホークアイとエリカは言葉を失っているようで空中でホバリングしたまま停止している。ダガーは実物の著名人を見て驚いたのか、口をあんぐり開けている。
「ミラ・スターリングを出してもらおう。鳥類研究所所属の私が彼女の身を預かる。異論があるなら厚労省のトップに僕が話をつけておくから、君は安心して首が飛ぶのを待つといい」
リュウがにっこりと口角を上げた。
現場は、混乱を極めていた。
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