20. 宇宙空間 想いは遥かなるブラボーⅠへ
「俺はミラをこんなところに置いていけない」
「何を言ってるんですか? ブラボーⅠに向かいますよ!」
「もしかしたら脱出してるかもしれない。どこかに吹き飛ばされたのかも、それで無線も発信機も壊れてるとか……」
「それは……」
キャシーは何かを言いかけたサミーを手で制した。
「そうだな、その可能性はある」
「俺は探す」
「発信機だけ壊れている可能性は低いぞ」
「それでも置いていけない……」
ドルフィンのその言葉を聞いたキャシーはこちらの音声を一度ミュートした。サミーが重々しく声を発した。
「ドルフィンは日系人です。日系人はなんとしても遺体を持ち帰ろうとする傾向があります。たとえ残念な結果だとしても、多分ドルフィンもそうしたいのでしょうね」
「私だってその気持ちはあるけど、粉々に吹き飛んでたら探せないぞ……」
半分泣きが入っていた。絶望的だ。ここまで頑張ったのに、ミラがこんなことになるだなんて。
キャシーは震える指で音声をオンにした。
「ドルフィン、目視で探すとなるとかなり厳しい、敵が現れるかもしれない。それでも探すか?」
「ああ……探したい」
「探してもいいですが、一つお願いがあります。ブラボーⅠに向かうエネルギーを使い果たす前に諦めるか、そのケーニッヒの機体を私に寄越してください」
キャシーはギョッとして声を上げた。
「おい、機体を寄越せって……」
「ドルフィンが心中したければどうぞ、あなたの身体をここに置いていきます。ドッキングしてくれさえすれば、こちらからでも亜高速航行の制御は可能です」
緊急脱出装置を使ってドルフィンの身体をこの宙域に置いていくということだ。そして、ケーニッヒの機体は亜高速航行の機動装置としてサミーが使用すると言っているのである。
「それで構わない。そうなったら、もう生きてる意味なんてないからな……」
ドルフィンに確率としては高めだからこのエリアを探せ、とサミーは指示をした。通信を一旦切る。
「サミー、さっきのは……」
いくらなんでもないだろう。死ねと言っているのかとキャシーは非難の声を上げた。
「どっちもできます。ドッキングすれば、私がケーニッヒの制御を奪い取ることも可能です。そうすればドルフィンの
キャシーは唇を噛んだ。拳を握りしめる。
家族はなんと思うだろう。ホークアイは? ジェフは、エリカは? 彼まで失うわけにはいかない。皆、ソックスを失ったショックから立ち直れていないのに。
「そりゃ、そうだけど……」
「今は…ラプターを探しましょう。確率としてはゼロではありません。直前に無事に脱出、衝撃で吹き飛ばされて発信機も通信機も不調なのかもしれません」
「サミーはどう思う? 実際どのくらいの確率だ?」
「それは聞かないでください、キャシー」
***
「う……」
身体中痛い。ミラの目がうめきと共にうっすらと開く。
「ここは……」
彼女は無意識のうちに身体の確認をした。手の指、足の指、肘、膝、肩。大丈夫だ。ちゃんと動く。首も少々痛みがあるが、問題なさそうだ。
しかし、周囲は真っ暗である。
「どこ……」
ミラは慌ててライトを灯した。ライトはついたが、発信機の画面がグレイアウトしていた。
アマツカゼは、大気圏外モードの場合コックピットが開いて人が座席ごと放り出されるのではなく、コックピットごと放り出される。キャノピが外れずに与圧されたままの球体のような形で脱出するのである。
そのコックピットとキャノピの隙間に大きな亀裂が入っている。空気は漏れているようだ。フライトスーツが気密服なので呼吸できている。緊急時の酸素ボンベも無事起動しているようだ。
発信機を手順通りに再起動する。
(だめだ……)
うんともすんとも言わない。これでは探してもらえない。
無線も壊れているようであった。
「レイ……」
この広大な宇宙で、ミラは一人ぼっちだった。
「寒い……」
身体がどんどん冷えていく。このまま自分はここで凍死するのだろうか、それとも酸素が尽きるのが先か。
寒さだけではなく、不安で身体が震えた。
ミラはじっと待った。
だが、皆もしかしたら既にこの宙域を離脱してしまったかもしれない。
(自分だったらそうするかもしれない……)
通信もできない、発信機の反応もない。普通の人間なら諦めるだろう。
この宙域にいつまでもいたら、それだけでリスクがあるからだ。
「寒すぎる……」
ミラは身体を丸めた。ああ、もう無限の時を過ごした気がするが、きっと十五分くらいしか経過していないのだろう。
頭がどうにかなりそうだった。
(ここで死ぬのか……)
ミラは目を閉じた。レイともっと一緒の時を過ごしたかった。彼は無事だろうか。故郷で元気にやっていけるのだろうか。
胸が張り裂けそうだった。
その後、もはや永遠とも思えるほど待った気がした。
(もうきっとブラボーⅠに向かっただろうな)
そうであってほしい。まだ近くに敵がいるかもしれない。自分を置いていくのは最善の選択だ。
「もっと好きって、言えばよかった……」
死を覚悟したその時、まぶたの向こうに、光を感じた。ミラは目を開ける。
「え……」
幻か? 何か遠くで光っている。ミラは慌ててライトを点滅させた。ベルトのバックルを外す。キャノピを無理やり開ける。出られそうだ。
「ケーニッヒだ……」
全てのライトを煌々と光らせたケーニッヒがこちらに近づいてきた。涙が溢れて玉になり、ミラの視界をキラキラと彩った。
(探してくれたんだ)
「レイ!」
ミラはライトを手に持ってめいいっぱい振った。
声が聞こえないことなんて忘れてレイを呼ぶ。
ケーニッヒの無人のコックピット。その上を覆うキャノピがゆっくりと開いた。フライトスーツの推進剤をめいいっぱい噴かしてそちらに接近、ミラは吸盤を使ってべちゃ、と機体先端レーダードーム部にカエルのように張り付くと、這いずってコックピットに乗り込んだ。
シートに身体を固定していると、ディスプレイに文字が現れた。
『まだ気圧、酸素濃度の調整中』ミラはブンブン頷いた。
気密服を着ているし、お互いの声は聞こえない。目からとめどなく涙が溢れた。続いて別の文章が現れる。『身体は大丈夫か?』頷いてみせる。
『サミーとキャシーもすぐ来る。ダガーも無事だ。先に飛んだ。ホークアイもエリカもジェフも』
よかった、みんな無事だったのか。嬉しい。ミラは泣きじゃくった。早くヘルメットを外したい。『寒かっただろ、シートのヒーターもオンにした』ディスプレイに文字が現れた。
「レイ……ありがと……大好きだよ」
聞こえないのはわかっているが、か細い掠れ声が出た。
『OK、イコールになった。ヘルメット外していいぞ』ミラはヘルメットを外した。
「レイ、レイ! ありがとう! 探してくれてありがとう!」
「Welcome aboard Dolphin space-air line flight 0 with service to BravoⅠ.見捨てて帰るなんてできないよ」
ドルフィンスペースエアラインゼロ便、ブラボーⅠ行きへようこそ。その言葉に、涙を拭いながらミラは笑った。
冷え切った身体が温まってきた。ミラは座席に深く身体を預け深く息を吐く。
後ろから抱きしめられているような錯覚に陥る。
「よかった……本当に。帰るぞ、ブラボーⅠに。俺の家族を紹介させてくれ。もう離さない、一人になんて絶対しない」
「うん……」
ミラが目を閉じて息を吐くと、サミーからの通信が入った。
「ラプター! 身体は大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ、サミーも無事でよかった」
「よかった、よかったよミラ! 私が乗ってたから、サミーが、サミーがまともに戦えなくて……」
サミーにつづき、キャシーの声が聞こえた。
「キャシーのせいじゃない、大丈夫、無事だったから」
しばらくすると、闇の中にアマツカゼの姿がぬっと現れた。
操縦席のキャシーがこちらに手を振った。ミラは手を振り返す。
「えらい目に遭いましたね……生きた心地がしません。きっと寿命が縮みました……さっさとこの宙域からずらかりましょう」
「ああそうだな。サミー、ドッキングシークエンスをアクティブにした。あとは任せる」
「任せてください。勝手にやります」
「ミラ、ドリンクとか非常食とか好きに食べてくれ」
「うん、お腹すいた。いただきます」
ミラはシートの下をガサガサ漁って食料を取り出した。ドリンクはパウチに入ったオレンジジュースだ。
ストローを加えて一気に吸い込む。水分と糖分が身体に染みわたるようだ。
機体ががこんと揺れた。互いの下部を合わせる形でドッキングが終了する。
「このウェポンベイ塞がれてるの、本当に落ち着かない」
「私も落ち着かないですね」
レイとサミーのやり取りに、ミラはプロテインバーを齧りながらうんうん頷いた。あっという間に一本平らげる。
「そろそろシステム起動したいんですが、ラプター、まだ食べてますか?」
「とりあえずプロテインバーは食べ終わった!」
「一旦食事は中断で。キャシーも亜高速航行安定したら好きに飲み食いしてくださいね。亜高速航行システム作動、システムオールグリーン。目標座標の指定完了。ブラボーⅠへ向かいます。じゃあ、いきますよ」
ドッキングした二機は光の尾を引いてブラボーⅠへ飛び、やがて闇の間に吸い込まれるように消えた。
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