11. 零の機体 零たちの部屋 

「お邪魔しま〜す!」

「ゆっくりしていってね」


 零の機体、ケーニッヒはコックピット後方下部にギャレー、つまりミニキッチンと仮眠ルームがある。

 ミラは手提げ袋をギャレーに置くと、コックピットを覗き込んでいる。

 彼女は金色の目で零の目、つまりカメラを凝視してきたのである。


「おいで」

「わーい!」


 ミラは操縦席に腰を下ろした。


(この前まではなんか躊躇してたのに、面白いな……)


「どうした? 気が変わった?」

「何だろうね、何があるかわからないからってちょっと思った。今できることはしておきたい……」


 ミラはそう言うと、身を捩らせて顔を傾け、目を閉じてシートのヘッドレストに頬を寄せた。

 心臓が飛び跳ねた。体温が急上昇した気さえした。

 はるか昔、ティーンの頃に初めて女性と手を繋いだ時よりも、キスをした時よりも胸が高鳴った。


(やっとここに座ってくれた……)


 どこよりも自分の本当の身体に近い場所で、こうして身を預けてくれる。

 嬉しい。顔が見えていないことに感謝するしかない。今きっと、自分は彼女に見せられないような顔をしている。


「ケーニッヒ久しぶりだなぁ……操縦経験一応あるんだよね」  

「そのうち操縦してよ」

「もちろん。気にしてるんでしょ? ホークアイのこと……あれは本当にどっちにも申し訳ないというか……」 


 零が五体満足で普通に呼吸をできていたら、この時妙なうめき声を出していたに違いない。


「あれは仕方ない。あの時も言ったかもしれないけど、実際あの時ホークアイが操縦を君に委ねていなかったら沈められていたと思う。君はすごいな、戦闘機だけじゃなくてAWACSまで自由自在に操るだなんて……」

「そんなことないよ、輸送機も操縦したことあるからたまたま」


 ミラは苦笑してみせた。


 

 その後もシートに座ったままの彼女は懐かしい、と言いながらコックピット内に視線を走らせている。


「操縦はできないけど、操縦桿、触ってもいい?」

「いいよ、好きにして」


 ミラはグローブを外して操縦桿を握った。


「あ、そうそうこれ、兵装が多いからアマツカゼよりゴツい感じ」


 分厚くて黒いツヤツヤの爪と鳥のようなうろこ状の肌。ミラの指が己の操縦桿に絡みつくさまに思考が明後日の方向に飛んでいく。


(ああ、これはダメなやつだ……)


 サイボーグ界隈では操縦を人に任せることを性行為に例える風習があるが、実際目にしてみると想像以上だ。直視できない。

 ホークアイは「急所を握られているようなもの」だとか言っていたが、思いきりそれである。操縦を任せたら身を委ねることになるし、言葉通りとしか言いようがない。


(冷静になれ俺冷静になれ俺……)


 多分彼女は何も考えていない。エロいことを考えているのは自分だけだ。

 本格的におかしな気分になってきて、零はカメラをこっそり切った。

 自分に手があったら自分で自分をぶん殴るなり壁に頭を叩きつけるなりしていたに違いない。仮想現実空間にログインしていない今の彼に出来ることは何もない。


(どうすればいいんだ!?)


 その時だ、コックピット内を間抜けな音が響き渡った。


「ご、ごめん……」


 ミラの腹の音である。


 

 ミラは持ってきたラップサンドとチキンスープで腹の虫を黙らせると、狭い仮眠用ベッドで丸くなった。毛布をかぶってすやすや寝息を立てている。


(かわいい……)


 薄く開いた唇も、投げ出されて軽く握り込まれた手もかわいい。目元にかかった髪をはらってやりたいが、自分は手も足も出せないのがもどかしい。


 まだまだ時間はたっぷりある。自分も寝ようか……と考えたが先ほど煩悩に支配された頭はそう簡単に睡眠モードに移行なんてできない。


 さてどうするか、と零は考えた。ミラが起きた時、ドローンがあった方がコミュニケーションがとりやすい。

 では、部屋にあるドローンを繋いでここまで飛ばそう。零は接続先を部屋のリビングに置いてあったドローンに切り替えた。


 まず視界が接続される。無人の部屋なはずなのに、なぜか廊下の電気がついている。


(消し忘れか?)


 キャシーは格納庫、サミーは宇宙空間、そして、ミラは自分の機体。

 零は廊下のカメラに目を繋いだ。

 ミラの部屋の扉が少し開いていて、明かりが見えた。おかしい、キャシーとミラが出て行った後にサミーがドローンとの接続を切り、自分が最後にこの部屋を退出したのに。


 玄関と廊下には防犯装置が設置されている。なぜ作動しなかったのだろう。

 零は廊下の防犯装置を作動させた。

 軍の防犯カメラは部屋の前の共用通路には設置されているが、個人個人の室内にはない。共用通路の防犯カメラ映像は今すぐアクセスできるものでもないので、とりあえず目の前の侵入者の姿を自分で確認し、どうにかするしかない。


 防犯装置は麻痺パラライズガンである。実弾に切り替えることもできるが、ミラの部屋を荒らしているのなら派手に実弾をぶちかますわけにはいかない。

 ニコがハチの巣になったら事である。


 内心実弾をぶっ放したい気持ちが大きかったがぐっと抑える。


(廊下のカメラは角度が悪いな……)


 廊下へ続くドアの前までドローンを進める。この部屋のドアは零の意志でどこでも自由に開けられるが、普段はミラやキャシーのプライバシーを尊重して絶対に開けない。


 だが、今こそ開ける時である。

 ゆっくりとドアが開いたところで最大速度でドアの前へ。

 ドアが開くと同時に防犯装置の銃を向けた。


「誰だか知らんが武器を捨てて両手を上げ……ん? ダガー?」

「うぉっ!!! お、驚いた……」


 そこにいたのはミラの弟分、ダガーであった。


「姉貴の部屋に忍び込んで何してんだ? ニコをどうする気だ?」


(誘拐? ニコを?) 


 ダガーの手元にはバックパックからはみ出してこちらを見つめるニコの姿があった。

 零の目に助けを求めているようにすら見えた。


「違う! ミラがよく眠れてないっぽいからニコ連れてくるよって言ったんですよ。鍵も本人から預かって! ミラ、今あんたのところに行ってるんじゃないんですか? そっちこそ何してんだってこっちが聞きてぇよ!」


 零のドローンの目の前にダガーが端末を突きつけてきた。「レイの機体のところに行ってるね」とミラとのやりとりが見えた。指には電子キーも引っ掛かっている。

 子供の頃に両親や祖父母からもらったテディベアを仮眠室に持ってきている男性隊員だっていっぱいいる。ニコを持ち込むのは確かにありだ。


「で、今ミラは?」


 ダガーがこちらに問いかける。


「俺の機体の仮眠ベッドでスヤスヤ寝てる」


 ダガーの目が開かれた。嘘だろ、とでも言いたいというような顔をしている。


「……で、あんたは?」

「眠れないからドローンを格納庫に持って行こうかと思って」

「あ、そういう事ですか……」


 ダガーは呆けた表情でぽんぽんニコの頭を撫でている。零は戸惑いがちに言った。


「ニコ、どうする? 連れてくとミラも喜ぶとは思う。抱き枕要員はいらなくなったけど」


 ダガーはニコを両手で目線の高さまで持ち上げた。


「ニコちゃん基地見学するか〜? よし連れてってやる! 大人しくしてるんだぞ!」


(こいつ結構ノリがいいのな……)


 ダガーはバックパックのジッパーを締めた。まだ飛べないとは聞いていたが、骨折した腕は現時点で吊っていない。ほとんど治ってはいるようだ。

 せっかく荷物を運んでくれそうな男がいる。ニコとこのドローン以外に何か持っていく物があるだろうか。

 零が考え込んでいると、ダガーがこちらをまっすぐ見た。


「じゃあ行きますか?」


 ダガーの中に一緒に行くという選択肢があることに驚きを隠せない。零はダガーが未だに少し苦手だった。


(なんかこう、掴みどころがないんだよな。さすがヘビ)


「ちょっと待ってくれ、お前がいるならあといくつか持っていってもらいたいものがある」


 そう告げてダガーを少々待たせて、零は色々と準備した。

 ミラが好きなチョコレート菓子とレモンフレーバーのミネラルウォーターを二本、キャシーの好きなスナック菓子とクッキーの小袋。二人ともよく飲んでいる紙パックのプロテインドリンクを二本。


 それから己の部屋に戻って、ブラボーⅠ時代のドッグタグとソックスのドッグタグが一緒に入ったトルコ柄のポーチをアームで掴んで飛んだ。

 次出撃するときは一緒に飛びたい。


「……はぁ。まあ詳細は知らないですけど、ミラと一時期なんかあったみたいですけど、仲直りして今は仲良くやってるみたいだから? 俺は喜んで運び屋やりますけどねぇぇぇ」


 嫌味ったらしく言ったあと、ドリンクやスナック菓子などに関してはどう詰めりゃいいんだとごちゃごちゃ文句を言っていたダガーであった。


 どうやら、零の正体をまだ知らないらしい。

 ミラは確かに、自分からは誰にも言うつもりはないと言っていた。それをきちんと守ってくれている。ありがたいことだ。

 四苦八苦しながら荷物を詰めていたダガーであったが、零がポーチの中身を告げると流石に顔色を変えた。


(そういえばこいつ、あの現場にいたんだよな……)


 ソックスを始め、多くの犠牲者が出たあの「タカの止まり木」にいたのだ。


「これで全部ですか?」

「ああ。頼む」


 ダガーはニコや飲み物、スナックがぎっしりのバックパックを背負って言った。


「じゃ、行きますよ」

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