7. ソックスの実家 ミラと零

(私も呼ばれるってなんだろ……)


 翌日、ミラと零はソックスの実家に向かっていた。何度もよく通ったレストランの地下が居住スペースだ。


 レイが個人的に呼ばれることはわからなくもない。ずっと一緒に飛んできたのだから。

 でも自分が呼ばれる意味がミラにはわからなかった。


 ミラは控室のロッカーにあったソックスの私物を携えていた。ロッカーが同室の男性陣がまとめたものだ。

 ソックスの実家に呼ばれているから、ついでに持って行くとミラが手を上げたのである。


「重いだろ?」

「箱は大きいけど、そうでもないよ」


 零はミラの目にそれほど精神不安定には見えなかったが、レイの部屋を訪れたのちに電話をくれたホークアイはたいそう心配していた。それほど仮想現実空間での彼は酷かったらしい。


(やっぱりホークアイに頼んでよかった。でも零は私の前だから頑張ってるんだろうな……)


「君の前では虚勢を張るだろうから」ともホークアイは言っていたのだ。

 出自もあって、きっとレイは本来プライドの高い男なのだ。  

 ゆっくりと飛んでくれるドローンの後ろをついていくようにとぼとぼと歩く。


 この世にもしも神というものがいるのなら、なぜこの人にこんなにも試練を与えるのだろう。

 幸せにしてやりたい。自分に何ができるだろう。


「親父さん……」


 零の声にミラは顔を上げた。店の前にはソックスの父親がいた。


「隊長さん、ラプター。よく来てくれましたね」


 ミラはソックスの父親に駆け寄ってぎこちなくソックスの荷物を差し出した。


「ありがとうございます。郵送にすれば簡単なのにわざわざ届けてくださって、あの子も喜んでいると思います」


 ミラは言葉に詰まって抱擁を求めた。

 もう葬式も終わってソックスは艦内埋葬設備に送られたとの事。本来ならば土葬が主流で、すぐに葬儀を行うのがトルコ流らしい。


 ただし、二階のミラたちがよく飲み食いしていたテーブルの中央に遺影があった。軍の礼服を着て、真面目そうな顔をしているソックスの写真だ。


「昔は遺影を飾るなんて、って言われたんだけど……制服姿のこの子が格好いいからって飾ることにしたんです」


 そう言ったのはソックスの母親だった。彼女はトルコチャイを淹れてくれた。


「ありがとうございます」


 彼女が席を外した時にレイがこそっと「イスラームは偶像崇拝NGだから本来遺影はあんまりよろしくないってことなんだろうな」と耳打ちしてくれた。

 チャイを飲みながら待っていると、両親と一人の男性が姿を現した。


「うちの息子を紹介しようと思っていたんですが……オズレム! 隊長さんが来たんだから早く来なさい!」

「あ、え? 隊長さん……! そっちのお姉さんは?」

「彼女が例のラプターというパイロットの方だ! すみませんすっとぼけた息子で」


 申し訳なさそうに謝罪するソックスの父親。どうやら、オズレムという名の彼はソックスの弟らしい。確かに顔はそっくりだ。


「「例?」」


 ミラとレイは二人して疑問符を浮かべたのであった。


「俺に言ってたんです、兄貴。自分は軍人だ。そして今や戦時下だ。いつ死ぬかわからない。だから何かあった時は昔から書いてる日記見てくれて構わないって」


 ミラとレイの目の前で、オズレムは分厚い日記帳を開いた。付箋がいくつも貼ってあったその中の1ページを開くとみっしりとトルコ語の文字が記載されている。


「ここにお二人のことが書いてあります。結構隊長さんは頻繁に登場してましたね」


 彼はそう言って英語に訳して読み上げてくれた。



 デートのついでにうちに隊長とラプターが寄ってくれた。

 ラプターがトルコ料理を気に入ってくれて本当に嬉しい。いつも美味しそうに食べてくれて、本当に幸せな気分になる。ワインもご馳走してくれて最高の時間だった。


 またうちでデートしてほしい。二人を見ていると幸せな気分になる(邪魔してごめんなさい、隊長)

 ラプターが隊長を好きになってくれて自分のことのように嬉しい。なんて見る目のある女性なんだろう。


 それから、流石にここには書けないけれど、隊長がとんでもないことを告白してきた。信用して話してくれたことが嬉しくて舞い上がってしまいそうだ。

 そんな出自なのに、こうしてサイボーグシップとして第一線で活躍している隊長は本当にすごい。なんて格好いいんだろう。


 隊長の正体が誰であれ、彼はドルフィンという稀代のケーニッヒライダーだ。自分にとって、唯一無二の最高の隊長。

 これからも一緒に飛びたい。支えたい。振られないように精進しよう。



 ミラは溢れる涙を堪えるので精一杯だった。

 隣のレイのドローンに視線を移す。彼は無言だった。どうやら、言葉に詰まっているようである。


「うちの兄貴、隊長さんのこと本当に大好きだったみたいで……なので、これを」


 オズレムは、ドッグタグを差し出してきた。


(ソックスのドッグタグだ……)


「もらってやってくれませんか?」


 ソックスの父親が静かに言った。


「ご家族にとって大切なものでは? 身につけていたものだから……ソックスが、ずっと」


 レイはいつもと変わらぬ電子音声であったが、英語の語順が少々崩壊していた。動揺しているようにミラの目に映った。


「隊長さんに持っていてもらいたいんです。きっとあの子もそれを望んでいると思うんです。お願いします」


 母親にまでそう言われてしまって、レイは断ることなんてできないだろう。 


「わかりました……ミラ、うちに帰るまで預かっててくれる?」

「うんわかった。代わりに私が持って帰ります」

「ありがとうございます。すみません、半分このために来てもらったみたいになってしまって」


 父親にそう言われた。そんなことはない、ソックスの心の中を知ることができた。呼んでもらえてよかった。


「全然構いませんよ。私もソックスの本心を知れて嬉しかったので……」


 ソックスの母親は、ドッグタグをおしゃれな模様のマチのないポーチに入れて渡してくれた。


「息子さんが言ってる俺の正体っていうのは……実は俺はブラボーⅠ出身の人間で、この身体になる前はアサクラと名乗っていたんです」


 ミラはびっくりして飛び上がりそうになった。まさかこのタイミングでサラリと告白するとは思っていなかったのだ。

 一同は絶句して言葉を失っている。


「レイ・アサクラ……まじで?」


 オズレムの掠れた声が状況を物語っていた。


「俺の母親はご存知の通り、東方重工のトップです。軍もかなり気を遣って、周りはかなり優秀なメンバーが集められていました。ウイングマンを任されていたソックス……息子さんは、なんでもこなせて視野も広くて、上層部の間ではおそらく将来の出世を約束されていました……なので、そんな、こんな風に思っていてもらえていただなんて」

「レイ、無理してしゃべらなくてもいいんだよ」

「……うん」


 ミラは気づいた。見えない向こう側できっとこの男は泣いている。

 その後、しばらく誰も何も言わずに日記を眺めていたレイが唐突にスピーカーから声を発した。 


「あの……これもうちょっと見てもいいですか? 翻訳アプリ使えば読めますし、アームでページも捲れますので」

「あ、はいもちろん。付箋貼ってあるところが隊長さんのこと書いてあるページなので。あ、一番最初はこれです。組むことになった日から書いてあります」


 オズレムは分厚い冊子を何冊も机の上に並べた。

 ミラはそろりと腰を上げた。チャイのソーサーを片手で持ち上げて、ソックスの家族に目配せをする。

 レイとソックスを二人きりにしてやりたいと思ったのだ。



 ミラと一家は店内一階に戻ってきた。チャイを手近なテーブルに置いて、ミラは口を開いた。


「先程のことは……レイの出自のことは内密にお願いします」


 バレたらパパラッチに追いかけられるに決まっているし、きっと週刊誌にあることないこと書かれるだろう。

 女性二人とルームシェアしているなんて、格好のネタのはず。


「はい、もちろんです……ですが、まさか隊長さんが」

「驚きますよね。私もびっくりしました」


 彼がどうぞとミラの近くの椅子を指し、彼自身も手近な椅子を引いて腰を下ろしたので、ミラも素直に椅子に腰掛けた。

 オズレムがチャイのおかわりを注いでくれて、それから茶菓子も出してくれたので礼を述べる。


「実は、レイ・アサクラの話はかねてからよく知っていました。私の弟はブラボーⅠでホテルのレストランの料理長をしていて、アサクラ一家御用達なんです。印象的なお客は? と聞いた私に弟が言ったんです。彼はいつも礼を言ってくれて、本当にいい人だって。新メニューを出すと、あれが美味しかった、こっちはどうだった、次も楽しみにしてますねって言ってくれる。レイさんがテロに遭ったと聞いた時は弟も本当にショックを受けていて……また来るって言ってたのにと。予約もしてくれていたのにって」

「そうでしたか」


 自分の知らないレイの話を聞くことは最近少し嬉しかったりする。

 ミラは湯気を立てるチャイグラスを口に運んだ。


「弟にはもちろん言いませんが……そうですか、そんな人がうちに来てくれていたんですね。とても礼儀正しいし、いや、まさか。今でも少し信じられないです」


 ブラボーⅠにいた頃に「自分は嫌なやつだったしとんでもなかった」などとレイは言っていたが、きっとそんなことはなかったのだと思う。

 悲しさも苦しみも、それから襲撃事件の首謀団体への憎しみも何一つ変わらない。だが、現実を現実として受け入れられるようになってきた。


 ゼノンは人間同士の諍いなんて考慮してなんてくれない。前を向いて、今までと変わらずアマツカゼを駆らなければ。

 残されたブラボーⅠの皆の暮らしを守るために。

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