5. 零たちの部屋 襲撃翌日

 襲撃事件翌日。打ちひしがれているだろうレイにかける言葉がミラには思いつかなかった。


 彼女自身もショックを受けていた。


 西門にトラック2台で突っ込んだのは、近頃デモを盛んに行っていた団体の過激派だった。ゼノンは政府と軍の陰謀。本当は地球と戦争中などと声高に発言していた彼らはついに暴動を起こしたのだ。


 彼らは機材の搬入業者を装い、守衛を射殺、門を突破して手近にあったバーと事務所を襲撃。

 同時に国会議事堂も襲撃され、大統領や政権幹部が複数人死亡。


 アグレッサーの仲間にも二人犠牲者が出た。彼らと一緒にタカの止まり木で飲んでいたフィリップは右腕を骨折。

 銃弾で血管を損傷したショーンは輸血と緊急手術でなんとか一命を取り留めたが、ソックスは即死。キャシーは打ち身と捻挫。


 レイは仮想現実空間の自室に引きこもっているようだ。

 キャシーはショッキングな現場に遭遇してずっと泣いていた。一晩眠れなかったらしい。


 ミラも眠ることなんてできなかった。

 ミラは情緒不安定なキャシーを無言のまましばらくハグして、何か食べるようにと軽食を取らせた。 

 彼女はようやっと睡眠導入剤が効いてきたようで今は部屋で寝ている。


「なんでこんな時に、人間同士で争っているんですか……?」


 ミラは不安定なサミーを自室に呼んだ。


「もうソックスに会えないんですか……? 信じられません。この前だってホークアイとソックスの誕生日の話をしたばかりだったのに!」

「私も信じられない……」


 両目にとめどなく涙が溢れ出した。視界が歪む。

 あまりにも苦しくて目を閉じると、涙が頬を伝った。


「私はあなたになんと声をかけていいかわかりません」

「私も、サミーに何言えばいいかわからない。レイにもなんて言ってあげればいいかわからない……」


 ブラボーⅡに来てからずっとレイのウイングマンを務めてきたというソックス。隊員を次々失ったレイはまた仲間を失ってしまった。


 職業柄、いつ何が起こるかわからないということは覚悟していたが、まさか反政治団体の凶弾に倒れるなんて誰が考えただろうか。


「レイはテロの被害者だから、余計に辛いと思う。またテロで……」


 彼らの絆に自分は入り込むことなんてできない。ずっと二人で飛んできたのだから。 

 本当は無言で肩を抱いてそばにいてやりたい。手を握ってやりたい。でも、自分はどう頑張ったってそばにいられない。


「そうですね。思うところがあるでしょう」

「うん、そばにいてあげられたらいいんだけど、私には逆立ちしたって無理だから……」

「私がそばにいても、多分彼に気を遣わせるだけでしょうね。ホークアイならあるいは……」


 ミラは涙を拭いながら顔を上げた。


「そうだ、ホークアイ」


 レイはホークアイに相当気を許している。彼ならそばに寄り添ってあげられるのではなかろうか。


 いや、余計なお世話かもしれない。どうしよう、どうしたらいい。

 だが居ても立ってもいられなかった。ミラは端末でホークアイに電話をかけた。

 ツーコールで彼は電話に出た。


「ラプター……」


 電話に出た彼は言葉に迷っているようだった。


「今、サミーと一緒なんだけど、電話大丈夫?」

「ああ、自室にいた。君はカメラオフにしたままでいいから、モニターに繋いでくれないか?」


 ミラは言われるがままに自室のモニターと端末を接続設定した。


 見慣れたホークアイの部屋が映し出された。いつもオールバックが決まっている彼はそこになく、前髪を下ろしたままで憔悴しているように見える。

 彼はこちらが何も言う前に口を開いた。 


「パイロットはこういうことが付きものだが、宇宙空間での任務遂行時や軍事作戦中でもなく……あまりにも予想外すぎて現実を受け入れられない」

「私も受け入れられません」

「私も……」


 ミラは自分から電話をかけたのに言葉少なかった。何をどう切り出せばいいか頭の中でまとまる前に電話してしまったのだ。

 ホークアイは気遣うように声をかけてきた。


「ドルフィンは近くにいないのか?」

「こっちにいない。仮想現実空間の部屋に引きこもってるんだと思う」

「そうか、それは心配だな……一人で思い詰めると良くない」


 ミラはレイがかつて死にたがっていたことを知っていた。

 レイに後ろめたく思いながらも、ミラはそのことをホークアイに話すことにした。


「なるほどな。確かにそういう傾向はあったかもしれない。前にも話した気がするが、ドルフィンはサイボーグになったことを未だに受け入れられていない」

「私も一人にしたら危険だと思います。本当はジェフが適任なんでしょうけど、彼はこういう時救急に飛んでいってしまうワーカーホリックなので……怪我人と病人の対応で不眠不休で働いてます」


 国会議事堂襲撃の怪我人も軍で受け入れたので、病棟はパンク寸前だと聞いた。ジェフは休日返上でヘルプに行っていた。元々救急にいた彼ならばそうするだろう。

 サミーの言葉にホークアイは重苦しげに頷いていた。


「本人は一人になりたいんだと思うけど……レイにそれはよくないと思う。半年前まで自殺願望があった人だから。本当はそばにいてあげたい。でも私にはそれができない。メッセージ送っても既読にならないし……だからお願い、ホークアイ。様子を見てきてほしい」


 ミラは奥歯を噛み締めた。


「私は構わないが……君は本当に私を信用してくれているんだな?」


 アイスブルーの瞳がこちらを真っ直ぐ見つめていた。

 ん? なんのことだろう。ホークアイは信用に足る人物だ。


「信用? そりゃホークアイのことは信用してる。どういうこと?」

「普通の女性は自分の男と私のようなバイセクシャルの男が一緒にいるのを嫌がるし、ましてや意気消沈している男を慰めに行ってやれなんてほら、言われたこともなくて……誓って言うが、ドルフィン相手に変な気を起こすなんて絶対ありえない。先に言っておく」


 ホークアイは言い訳するかのように早口で言った。


「……考えてみたこともなかった」


 そんなこと考えてみたこともなかった。ミラは口元に手を当てた。

 ホークアイはこんな状況でなくとも友人のボーイフレンドを下世話な目で見るような男じゃないだろう。


「そうだったか。しまった、余計なことを言ったな」


 ホークアイは焦ったように目を逸らした。

 ミラは自分が泣き腫らしたぐちゃぐちゃな顔をしている自覚があったが、あえてカメラを繋いだ。


「気を遣ってくれてありがとう。ホークアイじゃなきゃこんなこと頼めない、これが私の回答だ。あなたは私とレイの大切な友達でしょ?」

「そうか……そう言ってくれるか」


 この人も今までいっぱい傷ついたことがあったのだろう。


「ドルフィンはホークアイのことを親友だと思っているはずです、あなたが適任だと私も思いますよ」

「あいつが普通に私を信用して友情を持って接してくれるのが最近本当に嬉しいんだ。わかった、ドルフィンの様子を見てくる。部屋に入れてくれるかはわからないが」

「ホークアイにしか頼めない」


 ミラは重ね重ね懇願した。


「他ならぬラプターの、猛禽仲間の頼みだ。私も心配に思っていたところだったんだ」


 行ってくる、そう言ってホークアイは通話を切った。


***


「ラプターが心配しているぞ」


 フローリアンの予想を裏切り、ドルフィンはすんなりと扉を開けてくれた。

 彼はこちらに背を向けてソファに座っていた。フローリアンはリビングの入り口の壁にもたれて言葉を投げた。


「ああ、あの子は優しいから……」


 ドルフィンは背を向けたまま身じろぎもせずに言った。


「そばにいてやって欲しいと言われた。君が引き篭もっている以上、自分じゃ物理的に無理だとな」

「……リアルの世界に繋いでいると、俺は何かしらうまく感情を表現して喋らなければと思ってしまうんだが、今は何も浮かばない。気を遣わせると思ってこっちにいた……逆にミラに気を遣わせてしまったな」


(ラプターが送ったメッセージに全く気がついていないようだな)


 彼は声帯を失っているので声は電子出力だ。表情も見えないし、コミュニケーションには常日頃からかなり気を使っているのだろう。

 そこまでする気力が今の彼にはないのだろうとフローリアンは推測した。

 彼はドルフィンの方に足を向けた。無音の空間に己の靴音だけが鳴った。


「ソックスは本当にいいやつだった」

「ああ、俺には過ぎたウイングマンだった。突然船籍移籍してきた謎のサイボーグと組むことになっても、俺を色眼鏡で見てくることもなかった」

「私に対してもそうだったよ。普通に接してくれた、ありがたいことに」


 フローリアンはドルフィンの隣に腰を下ろした。

 ドルフィンは俯いたまま自分の手元を見つめていた。


「ラプターは泣いていた」

「ああ」


 肩に手を置いた。彼は微動だにしない。


「君も泣いたっていいんだぞ」

「……ソックスは……」

「うん?」


 フローリアンは言葉を促した。


「いつも気がつけば隣にいた。それが普通だった。日常だった。でももういないんだ……なんで、どうしてだよ……」


 その後、ドルフィンは静かに泣き始めた。フローリアンは言葉もなく、隣にいてやるくらいしかできない。とてもではないがウイングマンを失った男にかけるべき言葉なんて見つからなかった。


(あの最高の誕生祝いは、もう二度と来ないのか……)


 ソックスとモニター越しにグラスを交わしたあのワインを思い出す。

 フローリアン堪えきれなかった。目を閉じると、両頬を静かに涙が伝う。 

 相棒を失って絶望しているドルフィン。そして誰よりもドルフィンのそばにいてやりたいだろう、ミラの心情を思うと余計に胸が張り裂けそうであった。

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