第九章
1. ブラボーⅠ 朝倉邸 龍
「パイロットと付き合ってるって言ってたけど、結局零はミラ・スターリングと付き合い始めたってこと?」
「そうなんです。ほんっと焦ったくてこっちが爆発するんじゃないかってくらいでしたよ。もうあんなのお膳立てするのはうんざりです」
うんざり、と言いながらもモニターの向こうの若き医者、ジェフは笑みを深めた。
零の祖父である龍は口元に手をやってしばし逡巡する。
(やっぱりそうなっちゃったか)
零と仲がいい、というところは聞いていた。彼女が命を救ったというのも知っていたし、ミラ・スターリングと整備士の女性、サミーとルームシェアしているというのも把握済み。
今時男女間でルームシェアなんてよくあることだ。
しかもこんなご時世、誰かと一緒に暮らしたいだろう。気のおける軍人同士なんて最高ではないか。龍は孫のルームシェアに賛成だった。
誰かがかわいい孫と一緒にいてくれるなんて、嬉しいとしか言いようがない。
だが、ミラと付き合い始めてしまったか。
(まさか、サイボーグ以外の女性と恋愛関係になるとは思ってなかったな……)
せめてサミーのお気に入りだという整備士の女性とだったら、ここまで頭を悩ますこともなかっただろう。
「先生? どうかしました?」
ジェフの言葉に龍は我に返った。話しながら考え事をしてしまった。
「あーいや、なんていうのかな。僕が知ってるミラ・スターリング、保護したばかりの野良猫みたいな……野犬みたいな感じだったから零と相性いいとは思えないんだけどってちょっと考え込んでしまって」
ははは、と笑って誤魔化す。
モニターの向こうのジェフは怪訝な顔をした。
「どっちかっていうと、自由気ままなインコちゃんって感じだって零は言ってましたよ。自分の知ってる彼女もそんな感じです。かわいいけど仕事中は恐竜になるって……もふもふの羽毛恐竜ってこんな感じだったのかな〜! かわいい! ってこの前も言ってて、ちょっと意味わからないし一人で盛り上がってるし、ぶん殴りたくなりました!」
それを言われて龍はニヤニヤしてしまった。
「ものすごくわかる! なるほどな……僕はずっと恐竜モードの時を見ていたんだろうな。今までの仲間と引き離されて知らない大人に囲まれて検査されるし……」
言われてみると、なんとなく記憶の中の警戒心丸出しの彼女の心境が想像できた龍であった。
「確かにその状況じゃ、あの明るいミラも人間に捕まってギャーギャー威嚇する野鳥みたいになっていてもおかしくないですね」
ジェフは眉間に皺を寄せ、「そんな境遇だったのか、かわいそうに……」と呟いた。
「それにしてもあの子は……サイボーグじゃなくて生身の女の子と付き合ってるのか、すごいな零は」
「零は最初っからミラにかなり好意的でしたが、さすがに付き合う気は無かったみたいで。でもミラが結構ガンガン行きましたからね……たじたじの腰抜け野郎って感じで、こう言ったらあれですが正直見ていて呆れ果てましたよ」
「ああ〜目に浮かぶ。あの子意外とさぁ……」
「「奥手」」
声が揃って、二人は手を叩いて笑った。
男同士の恋バナ……ではなく、ジェフからの報告が終了、画面の向こうのジェフが通話ルームから退室すると龍の顔は途端に険しくなった。
デスクの引き出しの鍵を開け、とあるファイルを取り出す。
「消しとくか……」
まずは証拠を隠滅する。知っている関係者はごくわずか。自分の手が及ぶ範囲であればありとあらゆる手を使って黙らせればいい。
医療系、あるいは研究者であれば龍に睨まれたら終わりだと皆わかっている。金を握らせるまでもない。最悪警察関係には袖の下でも渡してやるか。
(だんだんこういうことを平気でするようになってきたなぁ、僕も)
となれば、早速取り掛かろう。
彼はその足で一見関係なさそうなキッチンに出向いて、紅茶のラインナップを確認した。
最高級のウバの缶を手に取る。ミルクティーでも淹れようか。手に持っていたファイルは配膳用のワゴンの下段に忍ばせる。
流れるように彼は端末を取り出した。メッセージを送る。宛先は妻の一香。
『ミルクティー淹れるけど、君もどう?』
湯を沸かしているとすぐに返事が来た。
『ヘーゼルナッツシロップで』
端的でわかりやすい返事であった。龍は慣れた手つきでロイヤルミルクティーを作ってポットに準備し、食器棚からティーカップとソーサーを二人分、それからヘーゼルナッツシロップを盆に準備。
ワゴンの上にセッティングした彼はとある部屋に向かった。
一香を巻き込むのは気が引けた。彼女は数ヶ月前まで本当に落ち込んでいたからだ。
話は半年くらい前まで遡る。
とある企業が質の良い人工皮膚と人工毛の開発に成功し、それを二人の娘がトップを務める東方重工のグループの会社、東方工業が人型のロボットに貼り付けることで質の良いヒューマノイド、つまり人型のロボットの開発に成功した。
そこまではよかった。介護、医療、治安維持、その他接客などのサービス業界の人手不足を補うため、AIを搭載し人間とみまごうほどのロボットとしてブラボーⅠの中での採用することが決まったからだ。
東方重工の子会社、東方工業も政府の上層からの提案で素体を安価で様々な産業で使うことに同意し、素体のみを販売、購入した企業が髪や皮膚、髪など追加の加工を施すこともゴーサインを出した。
警備ロボットには筋骨隆々とした威圧的な見た目の方がいいだろう。医療や介護分野であれば、患者の性別に合わせて男女とも用意した方が心理的にもいいに違いない。色々な考えが想定されたからである。
しかし、とあるIT企業が故人の顔をロボットに貼り付けて生前のような振る舞いをするようAIを仕込んだという話を一香は耳にして激怒した。その企業は性産業にも手を出そうと実際の性行為が可能なセクサロイドの開発に前向きとのこともあり、それをどうしても一香は許せないようであった。
AIの使い方を間違えてはいけないと彼女は本当に落ち込んでいた。
AIの開発も行っている彼女は、AIを実の子供のように可愛がっていたからだ。
結局、故人のように振る舞うロボットは人権面から反対にあったし、セクサロイドはロボットに仕事を奪われると危惧したセックスワーカーからの猛反発で開発は頓挫した。
そのすぐ後にゼノンとの戦役が始まり、多少騒動のことが頭から抜けたようではあったが、正直彼女を巻き込みたくない。しかし、状況的には彼女に頼るほかない。
ノックすればすぐに返事があった。
「ごめんね仕事中に」
「あ、いいのいいの、半分寝てたから。飽きちゃった!」
OAチェアがくるりと回転し、飛び跳ねるように彼女はやってきた。いつ来てもモニターに囲まれた意味のわからない部屋だなと思う。
一瞬FXトレーダーの仕事場のようにも見えるが、ここがAI技術者でありプログラマーであり彼女の部屋であった。
だが、あるモニターにはSNSのコメント欄が映っているし、あるモニターは一時停止状態の海外ドラマ。はたまた別のものに目を向ければ三毛猫の画像が映っている。
(ほとんどどうでもいいことに使ってるんじゃ……?)
休憩用のローテーブルとソファがあるので、盆をテーブルに下ろしてソファに腰を下ろす。彼女も隣に腰掛けてきた。
「ありがとう! 茶葉は?」
「ウバ」
「最高だねぇ」
ポットを傾けて茶を淹れて、どうぞと差し出す。ありがとうと龍の妻は受け取ってそしてこちらを見上げてきた。
かなり背の大きい龍に比べると、一香は日本人女性としては平均的な身長である。それなりに身長差があるのだ。
「で、一体何の話?」
「え?」
龍はすっとぼけた。
その様子に、一香はそのままのミルクティーの香りを嗅いでから、一口。
「どこに侵入するの? 何か情報収集? サイバー攻撃? コンピューターウイルスでも仕掛ける?」
彼女は楽しげに言った。まだ何も言っていないし、サイバー攻撃なんて規模の大きいことは考えてもいない。
だが龍の目論みは完全にバレていた。向こうのほうが一枚上手だ。
龍は苦笑するほかない。
「とある情報を抹消してほしい。ただでとは言わないよ、もちろん」
「へえ、なんの?」
「実験室の子どもたちの一人、ミラ・スターリングのDNA検査の結果の両親の欄だ。鳥類の割合とかゲノムの改変に関してはそのままでいい。両親の、特に父親のデータだけ」
「ふーん、構わないけど。でもその子、零の彼女ちゃんなんでしょ? この前サミーから聞いた」
「なら話は早い。ミラ・スターリングの母親はスペックだけで選ばれた人物。卵子バンクから提供されたアメリカ人女性だ。彼女は正直どうでもいい。父親の記録を抹消してほしいんだ」
龍はミルクティーを口に運んでから、ファイルから一枚の書類を取り出し一香に差し出した。
「ミラ・スターリングの生物学上の父親は松山だ。オウギワシを筆頭にハトやらフクロウや色々な種類の鳥類、頭脳・身体強化のために他の人間のゲノムも混ざってるから親子というよりは祖父と孫みたいなパーセンテージだ。だから顔も全然似てない。普通は気づかないけど、どこから漏れるかわからない。零もミラも今後絶対に知らない方が幸せになれる。頼む、君にしか頼めない」
龍は妻の驚いた顔を久方ぶりに見た。
松山は龍が破門した不祥の弟子で、テロリズムを働く組織に加入し、挙句実験室を牛耳ってさまざまなゲノム改造人間を作り出してきた筆頭として有名だったからである。
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