10. 仮想現実空間 写真撮影 誕生日
フローリアンの目に、ラプターは完璧に硬直しているように見えた。
まるでメデューサに睨まれてしまった神話の登場人物のようだ。
いやしかし、絵になる二人だ。見ていてストレスはない。だが、あまりにもラプターが気の毒だ。そう思った彼は己の膝の上に行儀悪く頬杖をついたまま口を開いた。
「私はいったい何を見せられているんだ?」
ドルフィンがこちらを見た。
フローリアンは確信した。絶対この男、ボケをかますな、と。
「お前……いたんだっけ?」
「最初からいるし、ここは私の部屋だ! わざわざ君たちが来るからソファとローテーブルを用意したんだぞ!」
ラプターのアバターでは、椅子に座ってもらうのが難しいのではないか? と推測したからである。椅子だと引いてやらなきゃならないとか、座面が小さいだとか色々と気になる部分があったからだ。
フローリアンがわざとらしく反応してやれば、表情こそあまり変わらないが案の定ドルフィンは喜んでいるようであった。
気分を害さない程度、人懐っこさを好感的に思える程度のかまってちゃんなところも面白い。
(こういうところがこの男といて楽しいんだよな……ラプターはまだ放心中か)
ドルフィンは元の場所に腰をとっくに下ろしているのに、チラリと横目で確認したラプターは未だ硬直したままだった。
「あれ、だから普段と違うのか? 改装したのかと思った」
「残念ながら改装じゃない。……ラプター、大丈夫か? おーい、戻ってこい」
フローリアンは未だ放心していたラプターに声を投げた。
は! っとしたかのようにラプターは我に返った。そしてみるみるうちに真っ赤になっていく。
(面白い生き物だな……)
ラプターをかわいいフクロウちゃんだの、インコちゃんだのと呼んでいるこの男をなんとなく理解した。
あれだけ勇猛果敢なパイロットが自分の前ではこうだったら、ドルフィンでなくとも墜ちるだろう。
(見事に撃墜されてしまったわけか。羨ましくも哀れだなドルフィン)
「ミラ、大丈夫? びっくりした?」
「あ! ご、ごめん! え、ええっとなんだっけ?」
我に返ったラプターが問いかける。確かに少しかわいいかもしれないとホークアイも思った。
「うちの母親は面倒くさいことはしないタイプだから大丈夫、気にするな。これで君に対してなんかあったら縁を切っても構わん。まあ万が一にもないとは思うけど」
「この男の第一の武器は実家で第二の武器は顔なはずなのに、ここまで言うなんて相当だな。ラプター、絶対逃すなよ」
冗談めかしてそう言ってみる。
「第二の武器顔ってなんだよ!?」
「第一の武器に関してつっこめよ!!」
「頭脳! パイロットとしての腕! あ、料理料理!!」
ラプターが手を上げて主張した。
「あれだけ見惚れてたのにか? いいんだぞ、顔が好きって素直に言えば」
フローリアンは人の悪そうな笑みを絶やさずにラプターに言葉を投げた。
「顔も好き!」
「そ、そう……?」
ドルフィンの耳がかすかに染まったことをフローリアンは見逃さなかった。
(そこで照れるのか、ドルフィン……わからんな)
自分は何を見せられているのだろうか。ここにいていいのだろうか。
邪魔者はさっさと撤退するべきなのではなかろうか。だがしかし、ここは自分の部屋なのだが。
自分ができるお膳立てをして、ログアウトするなり出かけるなりして二人っきりにしてやろう。
フローリアンは携帯端末を手に取って掲げた。
「二人とも、せっかくだから写真を撮ってやろう。ドルフィン、もっとラプターに近寄れ」
言うと素直に彼はラプターの隣に座った。だが謎の隙間がある。
「もっと寄れ。今どき10歳の小僧だってもうちょっと上手くやるぞ」
ドルフィンは一瞬ムッとした顔をしたが、ラプターの方を見てソワソワと身を寄せた。
ラプターは面白そうにケタケタ笑っている。あんまり近すぎると通り抜けてしまう。彼女はこちらでは立体映像のような存在だ。
「食い込んでないか?」
「大丈夫だ。ラプターも準備はいいか?」
「うん!」
仏頂面なドルフィンにもっと笑えだのリラックスして座れだの言いながら数枚写真を撮って、二人の端末に送りつけた。
さて邪魔者は消えてやるかと腰を上げかけた時、ラプターが眉間に皺を寄せた。
「頭痛くなってきた……ログアウトする」
(しまった、もっとさっさと撤退してやるべきだった)
「無理しない方がいい。俺もちょっとしたら部屋帰るけど……ホークアイ、お前はまだ大丈夫か?」
やってしまったと思ったその時、ドルフィンの視線がこちらに絡んだ。
「……あ、ああ、私は別に構わんが」
「ちょっと俺に時間をくれ」
「じゃあ私はこの辺で。またねホークアイ」
「ああ、ゆっくり休めよ」
シュン、とラプターの姿が掻き消えた。
フローリアンは一瞬視線を彷徨わせたが、素直に謝罪することに決めて口を開いた。
「ドルフィン、悪かった。さっさと君たちを二人にしてやればよかった」
「え? いいんだそんなこと気にするなよ。お前の家だし。二人っきりになんてされたら……」
「されたら?」
ドルフィンは一瞬目を泳がせた。そしてこちらを真っ直ぐ見た。
「死んでしまうかもしれない!」
「は?」
フローリアンは思わず間の抜けた声を出してしまった。
「無理だ。まだそんな覚悟できてない! 最近ミラの部屋に行って二人っていう状況にやっと慣れてきたくらいなんだ。リアルならともかく、こっち側で二人とか無理だ!」
「君、もしかして……実は……」
フローリアンは口元を引き攣らせた。この男に限ってまさかそれはないだろう。
いや、もしかして。
「なんだ?」
「……童貞?」
「そんなわけないだろ! あ、このアバターはそうだな! まあ、お前に比べればそりゃあ……初心者同然だが?」
ドルフィンが鼻で笑った。
フローリアンは最後のセリフをまるっと無視することに決め込んだ。
「いや、文字通り箱入り息子だったらどうしようかと……流石に違うか、安心した」
「それ、上手いこと言ったつもりか!?」
言葉とは裏腹に目の前の男は肩を震わせ始めた。しまいには、はははは! と声を上げて笑っている。
(そんなに面白かったか?)
「で、なんだ? 時間をくれと言っていたのは。個人的な話か?」
ひとしきり笑ったドルフィンに、そろそろいいのではないかとフローリアンは切り出した。
「いや、ミラがいてもよかったんだが……お前、白々しいな、先週誕生日だったんだろ? 11月20日。なんで教えてくれなかったんだよ? ちょっとショックだったんだぞ」
誰だバラしたのは。エリカだなとフローリアンは苦虫を噛み潰したような顔をした。
彼は誕生日が好きではなかった。
誕生日のお祝いにはたいてい人が集まって楽しく遊び、ご馳走やケーキを食べ……子供の頃、家族や親戚の誕生日の集まりを見ているのがあまりに辛かったのだ。
そして親が主催してくれた自分の誕生日。これが苦痛で仕方がなかった。
親たちはワインやフィンガーフードを楽しみながら会話。一方の子供は子供同士でとにかく遊ぶのがメイン。それが終わればバースデーケーキの時間である。
でも彼にそれは叶わなかった。
誕生日プレゼントなんてどうでもいい。あの輪に加わりたい。
動けばそれだけで骨折する。何かの拍子に頭をぶつければ骨折して死ぬかもしれない。
歯や顎の形成不全があって通常の食事は不可能。調子が良ければアイスやジュースは受け付けたが、基本はチューブで食事を摂る日々。
4歳の時の記憶だが、楽しい思い出なんて何もないのだ。
病気の進行を抑える治療ののちは施設で暮らし、機械のアームを動かす術や基礎教育を受けた。
家族とはたまに電話で話すくらいだった。
両親は自分を愛してくれている自覚はあったが、それ以上に自分が生まれたことで彼らに迷惑をかけた、と彼は己の殻に閉じこもった。
エリカがやってくるまで彼は孤独だった。
サイボーグシップとして機体を得て、やっと彼は己を見出せるようになったのだ。
誕生日の話をした途端に黙りこくったフローリアンに何かを感じ取ったのか、ドルフィンは話題を変えてきた。
「それとなんだその顔色の悪さは。休日返上で管制の応援に行ってると聞いた。ちゃんと寝ているのか?」
管制塔が潰され、優秀な管制官が何人も殉職した。同僚のAWACSであるグローバルウィングに乗っていた者も皆亡くなった。それでなくともここ半年間で何人も管制官を失っている。
人手が足りないのである。
「寝ているが……夜中にしょっちゅう起きる」
「働きすぎだ。余計なことを考えたくなくて働いてるんだろう。この前前線に立ってやばさを実感したか? 今更だぞ。俺たちファイターパイロットはいつも最前線で窮地に立たされてる」
ブラボーⅡはかなり追い込まれていた。フローリアンは先日危うく死にかけてやっとそれを実感したのである。
「ああ、私はどうやら現実が見えていなかったようだ」
「どれだけ戦闘が激しかろうが、俺たちは今を生きている。お前が俺に言ってくれたんじゃないか。いつ離れ離れになるかわからないって。だから思ったことは伝えろと。明日を悲観するよりも今を楽しもう。そう考えないと俺も正直頭がどうにかなりそうだ」
茶色の双眸がこちらを静かに見ていた。
フローリアンはふ、と笑いを漏らした。
「それもそうだな」
「今晩俺の家に来ないか? リアルの家の方には遊びに来たことないだろ? 今夜はソックスも遊びに来る。みんなが食事中の時は俺たちは途中で仮想現実の方に潜って軽く飲もう。モニターで繋げばいい」
流石に身体が限界なので明日はオフにしていた。ドルフィンもちょうど明日はオフらしい。
「ミラがオフなら一緒に飛んでるサミーもオフ。俺がオフなら俺の整備してるキャシーもオフ。お前も流石に明日はオフって言っていただろ?」
「ああ」
「ミラが誕生日お祝いしたいって。嫌なら今からやめさせるけど……どう?」
「子供の頃に嫌な記憶があるんだが、君たちなら歓迎だ」
「よし、カナリアいないけどまあいいか。今日仕事らしい。残念がってた」
「エリカはいつも個人的に祝ってくれるから構わない。君にバラしたのは彼女だな? まったく……」
その言葉とは裏腹に、フローリアンの口角は無意識にゆるりと上がっていた。
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