9. 仮想現実空間 ブラボーⅠからの着信

「あと機密でもなく話せるようなことか……」


 レイは考え込むようにうなじに手を当てて、何かあるかなぁ、と一つ首を捻った。


 その仕草ですらミラには新鮮である。

 この人はこんな仕草をするのか。モニター越しとはまた違う。目の前に立体的に存在するこの男の自然体の姿に感動すら覚える。

 その時だ、テーブルの上の彼の端末が震えた。


「じいちゃんか……」


 RYU ASAKURAと画面に表示されている。ミラは息を飲んだ。


「出なくていいのか?」


 ホークアイがレイを気遣う。


「いいよ、どうせ帰ってこいとかそんな話だし。ベルガモットのいい香りだな」


 レイは電話を無視してゆったりと紅茶を味わっている。いいのだろうか。

 そのうちに着信は切れた。

 そして、また電話が鳴った。画面の表示を見て、さすがにレイの目の色が変わった。

 画面には、ICHIKA AIKAWAとあった。


「ばあちゃん……」

「おい、出ろよ」

「出た方がいいって」


 ホークアイとミラが口々に言う。


「いや……でもどうせ帰ってこいとかそんな話なはずだ……出てたまるか!」


 そう言いながら、レイはティーカップとソーサーをローテーブルに戻して腕を組んだ。


「君も大概頑固だな……」


 ホークアイもさすがに呆れたようである。しばらくして着信は切れた。

 そしてまた端末が震え始めた。

 画面には、KYOKA ASAKURAと表示されていた。


「出てやれよ!」

「レイ! 出てあげて! お母さんでしょ!」

「……あの三人絶対並んで電話してるよ。ああっもう! ちょっと外す!」


 彼は左腕を気だるげに伸ばして端末を手に取った。

 その時、袖口から見知ったあるものが見えた。イルカのチャームだ。

 そう、ミラがレイのドローンにつけるために手作りして贈った、ブルーとグレーのワックスコードで編んだブレスレットである。


 レイは日本語で電話に出ながら廊下に消えていった。 

 ミラは目を白黒させてホークアイの方を見た。彼は目を細めて唇に弧を描いた。


「愛されているな、ラプター」


 ホークアイは残っていた紅茶を一気に飲み干した。    


「あれってやっぱり……」


 あの袖口からチラリと見えたのはどう考えても自作のブレスレットだ。


「ドルフィンは東方重工ブラボーⅡ社の社長に『ちょっと3Dスキャナと技術者を貸してくれ。金は相場の倍払う、いや、言い値で構わん』と言ってあれの画像解析をさせたらしい。それで立体モデルにして、長さを調整して実際にこちらで腕に巻けるようVRモデル化したようだ。工場について行ったがなかなか面白かった。一体幾らかけたんだろうな?」


 ホークアイがニヤニヤ笑っている。

 美形はニヤニヤしていても美形だなと明後日の方向のことをしばし考え、思考がようやく例のブレスレットに戻ってくる。


「そんな……こう言っちゃなんだけど、手芸屋のパーツで作った安物なのに」


 言っていて自分でも惨めな気分になってきた。

 ああ見えて、彼は銀河で名を轟かす御曹司だ。


 あれをあげた時は、まさかレイがそんな身分の人間だなどとは一ミリも思っていなかったのである。釣り合わないにも程がある。


「あの男、興奮したように言っていたぞ。こんなプレゼントを貰ったのは初めてだ。嬉しくてしかたがない、とな。あいつのあんなアサクラのボンボンっぷりを見る日が来るとは思わなくて楽しかった」

「アサクラのボンボン……」


(ホークアイが本人に言ったら喧嘩待ったなしだな……)


「東方重工の社員の仕事の邪魔になってなければいいんだけど……」

「製造部門の稼働率が落ちて、検査部門は暇を持て余していたようだからそれはないな。ドルフィンもそれを知っていて依頼したようだ」

「ならいいんだけど」

「考えてみたまえ。ラーズグリーズをスーツで迎えてきちんと会長として立てる男だぞ。奴の立場なら、もっと彼女に尊大な態度を取ってもおかしくはない。工場でもそうだった……驚いたな」


 言われてみればそうだった。

 でもそれをしないのが彼の性格なのである。


「謙虚で控えめなんだよ」

「できた男だ、本当に。あれで見た目もいいとかどうなっているんだ。あやつのアバターは本当の姿を再現してるんだろう?」

「昔の動画見たことあるけど本当にあのまんまだった」

「すごい、天は人に二物も三物も与えるんだな……」


(いや、この人も大概では?)


 ミラは知っていた。エリカのアバターは本当の姿だ。

 将来成長していた想像図を合成してできたのがあのアバターだ。

 多分おそらくだが、この男もこのアバター、まるっきり嘘ではないのだろうとミラは勘ぐっていた。



 その後もしばらくホークアイと話していたところ、廊下と繋がっているドアが開いた。


「ただいま……やっぱり帰ってこいって話だった」


 レイが戻ってきたのである。

 顔がげんなりしていた。どうするのだ、帰るのか?

 ミラは帰るななどと言える立場にない。


「どうするの?」

「まさか帰らないよ。友達やガールフレンド置いて帰れないって言ったらサイボーグの子? ってミラのこと根掘り葉掘り聞かれたからパイロットだよ! って黙らせておいた。なんであんなに食いつくんだよ……」

「食いつくに決まってるだろう。親バレしたぞラプター」

「アサクラ権力だったら一瞬で私を特定する……」


(終わった……せめて普通の人間だったらよかったんだけど)


 自分は厳密に言うと純粋なる人間ではない。人工的に作られた鳥人間なのだ。


「特定はするだろうけど、別になんかいちゃもんつけたりするような人じゃあないからそんな顔しないでミラ」


 レイはアサクラ権力ってなんだよ、と言いながらおもしろそうに笑っている。

 今更ながら、レイが嘘をついてまで自分を拒否した理由をじわじわ理解してきたミラである。


 自分は、レイが仮想現実空間の住民にならざるを得なくなったそもそもの原因を作ったテロ組織出身なのだ。

 そんなミラとの関係を知れば、彼の母親や祖父母はどう思うだろう。


 その時、隣に腰を下ろしたレイが動いた。

 左手を座面についた彼は、こちらにグッと身を寄せてきた。顔が近い。ここが仮想現実空間でなければ、吐息が触れるほどだ。


「今更怖気づいても離さないから覚悟しろよ?」


 ミラの思考は完全停止した。

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