8. 仮想現実空間 ティータイム

 ミラはまじまじとホークアイの手元を見てしまった。

 カップにソーサー、おしゃれな装飾のティースプーン。ポットから茶色の液体が注がれる。

 湯気も見事に再現されている。


「へぇ、一式揃えたのか?」

「君に変なものは出せないだろう?」

「あまり気にするなよ? そんなことしてると疲れるし金が続かなくなるぞ」


 ホークアイのアイスブルーの目がミラを見ていた。


「君に出せなくてすまないな」

「気にしないで」


 こちらはお邪魔している立場なのだ。気にしなくていいのに、とミラは思った。


「ストレートで構わない。ありがとう。もう少ししたらいただく。あまり熱いのは得意じゃないんだ」 

「お気に召したらいいんだが」 


 レイはストレート派のようだ。一方のホークアイは角砂糖を一つカップに落としてかき混ぜた。

 レイは口に笑みを湛えて、背もたれに身体を預けた。ソファが軋む。


(よくできてる……)


 ここまでアバターの干渉に造形物が対応するとは思っていなかったミラである。


「結構よくできてるだろ? でも昔はもうちょっと違和感があった」


 彼は左腕を真横に伸ばしてソファの背に乗せた。ちょうどミラの肩の後ろくらいにレイの腕があって、自分の左肩の方を見ると、レイの左手があった。


(ひえ……!)


 変な声が出そうになった。手が大きい。段々、頭が混乱してきた。


「ラプター、そこにいるのは君のボーイフレンドだぞ。そんなに緊張してどうする?」


 視線を上げると、目を細めて笑いを堪えているホークアイがいた。


「いや、あの、ええっと」


 ミラが言葉に困っていると、ドルフィンが声を上げて笑い出した。


「今日の小鳥ちゃんは面白すぎる。どうしたの? 惚れ直した?」


 やめてほしい、どうしよう。ミラは真っ赤になって二人から目を逸らすほかなかった。


 その時、端末の着信音が彼らの空気を変えた。

 レイはスーツのポケットから端末を取り出してチラリと確認し、ローテーブルの上に置いた。

 どうやらメッセージが来たらしい。


「東方重工ブラボーⅡの社長だ。心配しなくてもいいって……」


 東方重工はブラボーⅠに本拠地があって社長がいるが、横並びでブラボーⅡや地球の各国、そのほかの移民船団それぞれに支社がある。それら全てに社長がおり、その上にさらに統括部門がある。そのトップに君臨するのがアサクラ総裁、つまりレイの母親だ。


「俺がブラボーⅠに戻るんじゃないかと心配している」

「まさか、そんな気はないだろう?」

「ああ、この前も大統領と大将に呼ばれてそんな話をしてきたよ」

「「大統領と大将に呼ばれて」」


 ホークアイとミラの声が重なった。

 レイは笑いを堪えながら左手をソファの背もたれから引っ込めて、背もたれに寄りかかっていた背筋を伸ばすとローテーブルの上のソーサーに伸ばした。

 彼は左手でソーサーを胸元まで持ってきて、右手でティーカップの取っ手に指をかける。


(なるほど、ローテーブルでお茶を飲むときはこうするのか)


 実験室と施設、それから軍で育ってしまったミラはこういう優雅なマナーはさっぱりわからない。


「これ、いい香りだな……俺はここから逃げるつもりはないよ。うちの家族は戻ってこいって言うけどな」


 東方重工の統括部門のお膝元、ブラボーⅠの方が迎撃システムや武器兵器の余力、全てにおいて優れている。


 ブラボーⅡはそれでなくとも散々攻撃を受け、かなり消耗している。東方重工のメイン工場だって最初の攻撃で潰されているのだ。


「言い方はよろしくないが、ブラボーⅡ政府からしたら君は勝手にやってきたありがたい人質のようなものだ……どっちみち、そう簡単に許可は降りないだろうな」


 レイは上品に紅茶を口に運んで、「美味い」と言って唇を弧の形に描いた。


「勝手に飛んで帰られたらと思われているのかもしれない。ブラボーⅠの防衛能力は手堅いと敵も気づいているんだろうな……あまり攻撃を受けていないと聞いてる。いや、全て見事に迎撃に成功していると言うべきか」


 最近ブラボーⅠは星間要塞インターステラー・フォートレスなどとも呼ばれている。

 ゼノンも手堅いブラボーⅠより、まずは簡単に崩せそうな他の船団を狙っているのだろうと考えられる。


「ケーニッヒ、単機で亜高速航行できるもんね」

「アマツカゼ一機だったらドッキングして連れて行けるよ。いざとなったら逃げようか?」


 レイはこちらを向いて口元に笑みを浮かべてみせた。


「ケーニッヒ、機能盛り込みすぎだろう。本当にあの機体はどうなっているんだ」

「ケーニッヒの計画自体は昔からあったが、運用開始は五年前だ。うちの母親が俺のために作った機体なんだ。だから単機で大気圏離突入も可能だし、亜高速航行もできる。俺が好き勝手飛べるように作られてる。今ケーニッヒの改良機を作る計画もあるって聞いたなぁ」


(そんな裏事情が……!)


 ミラは驚きを隠せなかった。

 ホークアイも青い目を丸くしていた。

 俄にその頬が上気する。彼は興奮したように身を乗り出して問いかけてきた。


「他にも君しか知らない裏事情とかあるのか? 他言はしない、言える範囲で教えてくれよ」

「……そうだなぁ。ケーニッヒという愛称は社内公募で決めた。ドイツ系の社員の案だ。アマツカゼも表向きは名前を伏せて公募を行なって、蓋を開ければ総裁の案だったって話になっているが……」

「が?」


 ホークアイはレイを急かすように言った。レイの口角がゆるりと上がった。


「当時高校生だった俺の案だ」

「「え?」」


 ホークアイとミラの声が重なった。


「うちの母親が次の戦闘機の愛称何かいいのないかって聞いてきて、その時ちょうど手に持っていた日本語の古語の詩集から適当に」

「適当!?」


 ミラの声がひっくり返った。


「ちょっと待て、アマツカゼってそんなノリで決められたのか?」

「ああ。日本語の古語で『空高く吹き抜ける風』。空は元々、日本の神々が住まう『高天原』を意味する。欧米系には発音しにくいだろうから面白いだろうなぁとサラッと公募に出したらそのままスッと通ってしまった」


 ホークアイは額に手を当てて呻いた。

 レイは人差し指を立てた指先を口元に当てて流し目を寄越した。

 ミラは心臓というものは文字通り跳ねるものなのだと実感した。


「オフレコで頼む」


 ミラは言葉を失ってブンブン頷いた。

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