5.トルコレストラン カラ・デニズ
「ラプターって、アルコールの限界どのくらいですか?」
骨折した腕を吊った状態のソックスがミラに問いかけてきた。
もう二週間以上経っているので、最新治療を受けている彼の骨はほとんどくっついていて、現在はリハビリ中だと聞いていた。
彼の父親が経営するトルコレストラン、カラ・デニズに押しかけたミラとレイはソックスを巻き込んで2階を丸ごと貸切状態で使用していた。
「ワインだったら一本半くらい?」
ミラはグラスのビールをほとんど飲み干したところだった。
「俺、ワイン半分でダウンなんですけど……」
ソックスはチラチラとこちらを見てきた。
「身体があった頃、ワインなら二本は余裕で飲めたよ」
レイは淡々と答えた。
「隊長、モンスターですか!?」
驚愕したソックスの声に、淡々としたミラの声が被さった。
「レイはモンスター。意味がわからない。そんなに飲んだら普通の人は死ぬ」
容赦のない一言であった。
「ですよね? 俺なら完璧にあの世行きなんですけど!?」
「俺は大丈夫だったが、お前は急性アルコール中毒にならないように気をつけろ」
「二本か。いいですねぇ、それくらい飲めたら楽しそうです」
ソックスはレイの忠告を無視して、羨ましそうに言う。
「率直な意見を述べると、私は酔うまでに結構お金と時間がかかる。ソックスはコスパが良くていいね」
「まあ確かに……でもせめてワイン一本飲めたら楽しそうですね」
そこは永遠の課題だろうな、とミラは思った。
「俺もよく言われた、でも一緒に飲んでる相手が明らかに泥酔していくのに、自分はこれからもうちょっと飲んだら気持ち良くなるぞ! って時もあってな……」
「難しいよね、その辺」
「俺にはわからない世界ですね」
ソックスはそれは悩ましい……と続けた。
ミラはフェタチーズ入りのサラダを口に運んだ。
一人だからか、スモールサイズで用意してくれたサラダである。
腕を伸ばしてグラスを手にし、残っていたビールを飲み干した。
さて、次は何を頼もうか。
「何飲みます?」
タイミングを見計らったようにソックスが問いかけてきた。
「一番高い赤ワイン」
「え、まじで言ってます?」
「ミラはまじで言ってるよ」
「一応、どんな味か聞こうかな。甘口じゃなければ問題ないけど」
「ええっとですね、オクズギョズ、というトルコを代表するブドウのミディアムボディがあります。これです。コクがありますが、メルロっぽい感じです。味わいは優しめ」
ソックスは器用に片手でメニューを開いて見せてくれた。
値段も大丈夫。250ドル……高いがまあたまには贅沢するのもありだろう。
「ならいいんじゃないか? ミラ、ピノとかメルロ好きだよな。カベルネとかよりは」
レイがそう言っているのならば間違いはない。
重めのカベルネ・ソーヴィニヨンよりもう少し軽めのワインが好きだ。
「本当にこれ入れてくれるんですか?」
「うん、せっかくだからソックスも一緒に飲む? ご馳走するよ。あ、骨折してるからよろしくないかな?」
「一杯だけ、一杯だけいいですか? え、本当に? これ地球から取り寄せたやつなんですよ!」
ものすごく嬉しそうな笑みを浮かべた。ミラは頷いて見せた。
「あ、ちょっと下行って取りに行ってきますね!」
ソックスは意気揚々と階段に向かった。
「あとなんかワインに合う料理もお願い」
「了解です!」
そう返事をすると、彼は一階へ一目散に降りていった。
「俺もそのブドウの品種は知らないな。あ、調べてみたらトルコの土着種らしい。なら知らないか」
「こういう値段のワイン、よく飲んでた?」
ふと気になって、ミラはドローンに目を向けた。
「うん、まあ店でそのくらいの価格帯で出てくるものは、家でたまに飲んでたな。大体三分の一くらいの価格でワインショップで買える。休日前にはフランスから取り寄せたシャンパンとか飲んでた」
ミラはちょうど口に運んでいたグラスの水を噴き出しそうになった。
(フランスから取り寄せたシャンパン……)
ミラは少々挙動不審になった。普段話している限りは庶民派なレイだが、かつての私生活を聞き齧ると根本的に住む世界が違いすぎることを実感する。
「ソックスにも話すかな、俺の正体。あいつはたかってくるような性格じゃなさそうだし」
「隊長大好き! って性格だからびっくりはすると思うよ」
「懐かれている自信はある」
(そうか、人によってはたかられたりするんだろうな……)
レイが正体を黙っていたのも頷ける。
しかも、彼は仲の良い人間に割と奉仕したがるタイプの性格だ。彼自身もそれをわかっているのだろう。
「ホークアイやカナリアは、俺のことをただのいちサイボーグとして扱ってきた。だから仲良くやれたし今も良好な関係を築けてる。最近ホークアイと
ホークアイの話を聞く限り、彼がレイ・アサクラだからどうのではなく、頼れるサイボーグ仲間として評価しているのだとミラは思っていた。
ソックスは器用にワインボトルを片手で持って、吊っている手の指先にグラスを逆さにして二つぶら下げて戻ってきた。
後ろから店主である彼の父親もやってきて、ボトルを開けてくれた。
「美味しいです!」
「それはよかった。ありがとうございます、これに合いそうな肉料理持ってきますね」
ミラはソックスと二人で味わう。
「ゆっくり飲みたいワインだね」
「本当に……美味しいです。ありがとうございます、ラプター!」
「いいんだよ、ご飯美味しいから来てるだけだし。やっぱり美味しいご飯には美味しいお酒もないとね!!」
ソックスの父親は下に戻ってしばらくすると、何品か料理を持ってきてくれた。
ミラはキョフテをナイフで切ってフォークに刺して口に運んだ。香辛料が効いた牛肉のミートボールである。
(ワインと相性ばっちりだ!)
もぐもぐと咀嚼しながら、ミラはちら、とソックスの方を見た。
「そうだ、ソックス」
「なんですか?」
「レイが話したいことがあるって」
ミラはチラリとレイのカメラに目配せをした。
「ちょっと聞いてほしいことがあるんだ」
そう言って切り出したレイの話を最後までソックスは無言で聞いた。
聞き終わった時、ミラの目の前のソックスは文字通り、目が点になっていた。
ワイングラスを持った手が凍りついたように宙に浮いている。ワインはまだ半分残っている。
こぼさないか実に不安だ。
「まじですか?」
「まじだ」
「本当にファミリーネーム、アサクラなんですか?」
「だからそうだと言っている」
ソックスの反応は予想通りだった。
「誰にも言うなよ? お前だから教えてるんだ」
ソックスは油の切れたロボットのように首をギシギシとミラの方に巡らせてきた。
「ラプターは……いつから知ってるんですか?」
ミラはソックスの手に握られている不安定なグラスをもぎ取って、テーブルの上に着地させた。
「ソックスの腕が折れた後」
「結構最近ですね!?!?」
「耳が痛いな」
レイは笑っていた。
ソックスは、ああそうか、だから戦闘機のサイボーグシップか……などとぶつくさ独り言を言いながら焼きチーズをつついている。
そしてはっとミラのグラスが空になっていることに気づいて、片手で器用にボトルを掴んで注いだ。
「ありがとう、いいんだよ怪我してるんだから気にしないで」
「いえ、お客さまですから……」
どこか夢うつつ、と言った様子のソックスがそこにいた。
ソックスはしばしの間を開けて問いかけてきた。
「隊長って……当たり前ですけどご家族はブラボーⅠにいるんですよね?」
「そうだ。みんなブラボーⅠにいる」
「嫌だったら答えなくていいんですけど、なんでブラボーⅡにいるんですか?」
「いつまでもじいちゃんばあちゃんと母さんのスネかじってるわけにもいかないだろ」
「隊長、向こうでも正規軍でパイロットしてたんですよね? 実力も伴っているから移籍していきなり大尉としてパイロットで復帰したんですよね? それスネかじってるって言わなくないですか?」
全面同意である。ミラもブンブン頷いた。
定職にもついていない放蕩息子だったならスネかじりと言っても差し支えないが、彼はブラボーⅠでも戦闘機パイロットをしていたのだ。移籍してもいきなり大尉としてパイロットをしている。
実力も伴わずにアサクラ一族へのごますりで軍が在籍させてくれたのだったら、軍は彼にデスクワークをさせていたはずだ。安全だし現場に出てやらかす心配も格段に下がる。
彼の腕前が一流だということは、常に一緒に飛んでいるソックスは誰よりもよく理解している。
「俺がぼーっとしていても向こうの人間はチヤホヤしてくる。そういう意味だ、俺が言っているのは」
「身分を隠しての武者修行……」
ソックスがぼそりと言った。
「……まあ、それに近いかもしれん。そうは言っても、軍や政府のお偉い方やサイボーグ協会の役職者は知っているが。だから副会長のホークアイや書記のカナリアは最初から知っている」
二人に絶対の信頼を置いているのも、彼らがどんなに仲の良い友人にもばらさなかったからだろう。流石サイボーグ協会の役職メンバーである。
意味がわからんとか性格がおかしいとか、仕事はできるのにどうかしているとホークアイのことを散々言いながらも気を許しているのはきっとそれが理由だ。
「普通の人は家が資産家だったら故郷を出てまで頑張りませんよ」
「俺自身がすごいわけでもないのにヨイショされるのが耐えられない……まあだが、俺のウィングマンを適当な相手に任せようとはうちの軍のお偉いさんも政府要人も思わない。何せ俺は武器兵器、重機の供給源である東方重工のトップの息子だからな。俺の知らないところでご機嫌伺いはしているだろう。そういうわけで、俺のウイングマンとして選ばれたお前はパイロットとして一流だ、今回のことを気にせずに俺とこれからも飛んでほしい、相棒」
(家族ができすぎるから多少なりともコンプレックスとかやっぱりあるんだろうな……)
彼の性格の一端が見えた気がしたミラであった。
「……そこまで言われるとなんか照れますね。こちらこそよろしくお願いします」
「話してよかったね、レイ」
ソックスは話してもらえたことを心底喜んでいるようで、笑みを浮かべたままワイングラスを器用に回し香りを楽しんでいた。
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