16. 零たちの部屋 朝倉零

 よく考えたら色々とおかしかった。


 機密情報であるはずのゼノンとの戦闘動画をサミーがいたとはいえいち大尉の部屋で垂れ流すなんてことあってはならない。

 政府のお偉いさんが置いていったとか言っていた酒もそう。

 このとんでもなく広い部屋もそうだ。


 それに第一、戦闘機のサイボーグシップだなんて彼以外聞いたことがない。

 コストを考えると割に合わないし、何より危険すぎる。東方重工がドルフィンのために造ったのだ。

 彼の母親が機械の身体を与えたのである。


(そう考えるととんでもない人を好きになってしまったし、とんでもない人に告白まで……)


 一気に思考が追いついてきて、一瞬で背筋が凍った。

 こんなテロ組織出身のろくでもない人間もどきが超一流一族の御曹司に告白なんてしてしまったのか! 


 王族や貴族という制度のないブラボー船団。だが、ブラボーⅠにとって朝倉一族は宝であり特級市民として扱われていると聞いたことがある。

 宇宙空間を往く移民船団において、人材は宝なのである。

 ドルフィンと自分とではどう考えても釣り合わない。一気に血の気が引いた。


「サミーの世話をしてるのだって縁故だからだ。上から認められて専任整備士をしているキャシーやサミーに懐かれて一緒にいるホークアイとは俺は訳が違うんだ。失望するよな」


 ミラの顔色の変化に感づいたのか、ドルフィンがぼそりと吐き出した言葉にはっとする。


「そんなわけない! そんなわけない……」

「これを言う勇気が出なくて、俺はこの前嘘をついた。自分の出自を黙ったまま『俺も同じ気持ちだ』なんてとても言えなかった」


 ミラは言葉が出ないまま目の前のドローンを見つめた。

 その言葉、裏を返せば同じ気持ちだということだ。

 彼の言葉が脳髄に染み渡り、全身に反響するようにじんわりと広がる。

 あの時、この男がノーと言ったのはある意味誠実な気持ちの表れだったのだろう。そう考えていっそ好ましく映った。


 好きだ。だって好きなのだ。

 好きなんだから仕方ない。


(ご飯美味しいし、優しくて格好いいし、強いしご飯美味しいし優しいし……かわいいし)


「俺は正直、一般人が一緒にいる相手って考えたら重いし面倒な相手だ」


 ドルフィンはカメラの視線を逸らして語り始めた。

 ミラはドルフィンのカメラの動きには人一倍敏感だ。彼は表情がわからない。それから、声も人工音声を使っているので抑揚のないいわゆるロボットボイス。

 この数ヶ月で学んだ。彼が示すわずかな感情を見逃さない術を。


「昔ブラボーⅠにいた頃、どこぞの令嬢と食事に行ったら帰り際に抱きつかれて、そこをパパラッチに写真取られて翌週の週刊誌にすっぱ抜かれたことだってあった。ただの家のお付き合いで食事しただけだったんだけどな。とにかくどこにいても追いかけられる。外で気が休まることなんてない」


 その女、週刊誌にあらかじめリークしていたのではないか。

 色々と鈍いミラでも流石にわかった。


「今後、君が煩わしい目に遭いたくない、だからこの前俺に言ったことを忘れたいって思うなら、俺はもうこの前のことを一生口に出さない。でも君にそんなふうに思ってもらえたなんて嬉しいから、忘れるのはちょっと無理かもしれない」


 そう言ったあと、ドルフィンはどことなくためらいがちにつづけた。


「……でも、この前のことがたとえ、たとえなかったことになっても、これからも友達でいてほしい。それが無理なら飯を作ってくれる便利なクッキングアイテムだと思ってくれても構わない」


 懇願のような言葉がミラに突き刺さった。


(クッキングアイテム!?)


 愕然とした。

 それはない。それはないだろう。いくらなんでもそれはない。

 もう少し、この男は自信と自覚を持つべきだ。   


「ドルフィンが誰であっても、私が好きになったのはドルフィンだ!」


 ドルフィンは圧倒されたのか無言だった。

 ミラは無反応なドルフィンに畳み掛ける。


「だから今更何を言われてもやっぱり好き。ねえドルフィン。ドルフィンも同じ気持ちなんでしょ?」


 我ながら、訳のわからないことを言っている自覚がミラにあった。


「うん……初めてカフェで君に会った時から、俺は多分君のことが好きだ」

「え、そ、その時から!?」


 ミラは驚きのあまり声がひっくり返った。


「そりゃああの時はまだラプターのこと男だと思ってたから、会ってみたら衝撃が凄かったし。その、かわいくてびっくりして……ちょろいな俺……。そうだよ。とっくに撃墜されてたのに君のキルコールを認めなかった底辺パイロットだ」


 認めなかった。そう彼は言った。裏を返せば、今は認めたと言うことだ。ドルフィンはついに白旗を上げたのである。

 ミラはこの喜びをどう表現すればいいかわからなかった。

 彼女はファンを畳んでテーブルの上にたたずむドローンを両手でがしっと掴んだ。


「どうしよ、嬉しいけどどうすればいいかわからない!」

「俺がこんなじゃなかったらハグするんだけどなぁ。俺の代わりにニコにハグしてよ」

「ニコ!」


 ミラはドローンから手を離して、ソファの上のニコに飛びついた。

 胸元に抱き込んでぎゅうと抱きしめる。


「やばい、抱き潰されて顔面が歪んだ哀れなシロフクロウが俺に助けを求めてる」


 ミラはドルフィンのカメラを見て、それからニコを見下ろした。

 なるほど彼の言う通りの状況である。


「強すぎたね、ごめんねニコ」


 ミラはニコをソファの上に置き直して頭をよしよしと撫でた。

 そしてちら、とドルフィンの方を見た。ライトがぴこぴこと光った。

 急激に顔が熱くなった。


「今ボッて赤くなったよ。かわいいなミラ」

「ッ!」

「これから名前で呼ぶよ」

「うん。レ……レ……イ」


 レイと呼ぼうとしたがうまく舌が回らなかった。


(恥ずかしい……今更名前で呼ぶの恥ずかしすぎる)


 ずっとタックネームで呼んできたのだ。パイロット同士はタックネームで呼ぶのが普通だ。エリカとはタックネームなんてなかった訓練生時代からの友人なので互いに未だに名前で呼び合っているが、そうでなければ名前で呼ぶのは相当深い間柄であることを意味する。


「そんな油の切れたロボットみたいにならなくてもいいんじゃないか?」


 そう言って彼はははは、と声を上げて笑い始めた。


(レイか……)


 ミラはレイのカメラをちら、と見た。


「小鳥ちゃん、そんなに警戒しないで。焼き鳥にしたりなんてことないから」

「う、なんか、申し訳ない……」

「今度デートしよう。そのうち俺のコックピットにも乗ってほしい」

 

 ミラは目を輝かせた。


「うん!」

「そのうちその、操縦もしてほしいけど、さっきサイボーグ協会の上から『しばらく宇宙空間の散歩は禁止』ってお触れが出た。ラーズグリーズとホークアイならそう言うだろうな……まず格納庫にいるときに乗って! あ、休憩時間に後ろのベッドで寝てくれてもいいよ! ……多分きっとものすごく狭いけど」


 ミラはぱちぱちと目をしばたたかせた。

 ケーニッヒは長距離航行を経ての対地対艦攻撃も想定され、実のところ複数のパイロットが搭乗できる機体である。


 AI支援を器用に利用しているソックスなど一人で搭乗しているパイロットもいるが、通常、副操縦士及び兵装やレーダーを担当する二人目の搭乗席、そのほか三人目の搭乗スペースを備え、小さいが簡易トイレ、ミニキッチンであるギャレー、簡易ベッドまで容易されている。


 レイの機体はかなり改造されてはいるが、交代要員を乗せて長距離運用もできるとは聞いていた。健常者が生活できるスペースがあるのだ。


(しまったホークアイの操縦はしたのに! 散歩禁止か……) 


 だがあれだけ敵が出現すれば禁止になるのも頷ける。

 散歩ができないのなら、いつかレイの機体で生活するくらいのことをしなければ、とミラは焦りを感じざるをえなかった。


「なにか……してほしいこととかあれば言ってね。一緒にできることとか」


 何か望みがあるなら叶えたい。

 ミラはカメラのレンズを見つめながらそう懇願した。


「そうだね……」


 ぼそりとそうこぼしたあと、レイはしばし無言だった。

 何か気に障っただろうか。

 彼は健常者ではない。何らかの「禁忌ワード」を悪気もなく自分が言ってしまう可能性はおおいにあるのだ。


「あの、もしも私が失礼なこととか、サイボーグに言っちゃいけないこととか言ってたら教えてね?」

「あ、ああ。わかった。もし今後あれば言うよ。でも今はそう、気に障ったんじゃなくて……うん、ちょっと考えてたんだ。お願いしたいことがある。君の気が向いたらでいいんだけど……」


 どこか歯切れの悪そうな言葉の発し方だった。


「何? なんでも言って!」

「よく聞いてほしい」


 ミラは唾をごくりと飲み込んだ。


「君は俺に触れられない。その事実は変えられない。でも、俺は君に触れてもらうことができる」

「ん?」


 どう言うことだ?

 ミラは金色の目をまんまるに見開いた。


***


「私は触れないけど触れてもらうことができる? どういうこと?」


 ミラは混乱しきりでドローンのカメラを見た。ドローンのランプが黄色に変わった。


「ミラ、こっち」


 壁についたメインカメラのランプが青い色を光らせた。

 ミラは弾かれたように立ち上がるとカメラを見上げた。


 それは先日この部屋に映し出された立体映像のレイの背丈と同じかそれより少し高いくらいだ。部屋中を見渡すのにちょうど良い位置である。

 目の前に、いつぞやジュースをぶちまけたタッチパネルのようなそれがあった。

 ミラはそれの存在を唐突に再認識させられた。これはなんだと聞こうと思っていたことすらすっかりさっぱり忘れていた。


(もしかしてこれ本当に……タッチパネル!?)


「これって……」

「そこに皮膚感覚をつなげることができるんだけど……」


 ミラは遠慮もせずに素手でベタベタ触ってみた。触感はひんやりしたアルミ板のようだった。


「ミラさんミラさんちょっと待って。まだ繋いでない」

「え、えへへ……まだだった?」


 ミラは手を離して困ったように笑ってみせた。


「繋いだ。どうぞ」


 今度は恐る恐る触れてみた。


「わかる?」

「ああ。あったかい手だね……」


 ミラは目を細めて笑みを刻んだ。

 触れることが絶対にできないと思っていた相手に触れている。とても嬉しかった。


「これどこに触ってるの?」

「手」

「握手も手を繋ぐことも絶対にできないと思ってたから嬉しい……」


 ミラは額を押し当ててみた。


「もっとレイのこと色々知りたい」

「なんでも話すよ小鳥ちゃん」


 今度は頬を寄せてみた。

 ちら、とカメラに目をやる。


(キスしてもいいかな……)


「どしたの?」


 真上のスピーカーからレイの声が降ってきた。

 ミラは、急に上目遣いをされたレイが動揺しているなんて知る由もない。

 彼女は一瞬迷ったのち、唇でそっとそこに触れてみた。

 触れるのはひんやりとした金属のような感触だ。だがそんなことはどうでもいい。


 目で見て声を聞くだけではなくて、感覚として自分の存在を肌で感じてくれたなら、それが今のミラの幸福だった。


「……ありがと」

「朝も夜も嫌がられるくらいしてあげるよ」


 しばらくレイは無言だった。

 多分うまい言葉が思いつかないのであろう。

 ミラは額を押し当てて目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。

 言葉に表せぬほどの嬉しさが、幸福が、身体の末端まで染み渡っていくようだ。


 彼女はキャシーが帰ってくるまでパネルのそばに寄り添っていた。

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