4. 零たちの部屋 相容れない二人

(こいつにしかミラは預けられねぇよって思ってたのに……)


 一般人と自分達は永遠に分かり合えない。薄っぺらい同情心を向けられても、お前に俺たちの苦労の何がわかると言ってしまいたくなるほどそこには隔たりがある。


 しかし、この男は違う。後天的な障がいでサイボーグになったとあれば、どれほど苦労した事だろうか。それだけで自分達は簡単に親近感が湧いてしまうのである。

 同じ、苦労をしてきた仲間なのだと。


 特に、ミラはみんなの姉貴分として実験室の大人たちのご機嫌取りを一身に背負い、辛い目に遭ってきた。甘えることが許されなかった彼女がこの男に惹かれる要素はじゅうぶんある。


 仕事中は隊長として頼りになる彼女だが、プライベートで付き合うなら包容力があってどっしり構えていて、多少なことでは動じない頼りになる男がいいに決まっている。しかも年上ならより一層格好良く見えてしまうだろう。

 しかし、あれだけ成績のいいこの男の事だ。表面上はわからないが死ぬほどむかつく野郎な可能性もあるし、なんなら仮想現実の方で遊びまくっている男かもしれない。


 大切な家族が変な男に捕まってまた悲しい目に遭うのは懲り懲りであった。だから最初は警戒した。

 それゆえフィリップはミラにドルフィンに気を許すなと言っていたのだ。

 でも、この男は住処と仲間を失くして心を痛めるミラを支えてくれた。

 だから、ドルフィンに、この男に期待したというのに……。


「顔洗ってくる」


 ミラが唐突に言った。


「大丈夫か?」

「ついでに着替えて歯を磨いてくる。一人でできる、流石に」


 金色の目がこちらを睨んだ。


「……あ、はい」


 壁づたいによたよた歩いていくミラを見送る。廊下へ続くドアがばたっと閉まった。


「強いなぁラプターは……そういや、色々聞いてるだろ?」


(強いってなんだよ! 他人事みたいに言いやがって!)


 フィリップは今度こそ怒鳴り散らすところであったが、努めて冷静を装う。


「聞いてますよ。あんたが飄々としているのが憎たらしいくらいには」

「元々好かれてないのは知っていたけど、まさかこうも嫌われるとはな。お姉ちゃんをとられて嫉妬か?」


(締め殺してやろうか? 無理だけど!)


 目の前にいるのは通信機を通してやり取りしているドルフィンの虚像だ。本体は今も格納庫のケーニッヒの中にいる。

 寿命が縮まりそうなくらいはらわたが煮え繰り返ったが、ここで声を荒げるフィリップではなかった。


「ミラは男関係で嫌な目にあってグダグダになったことがあるんでね、クリムゾンからも念を押されてるんですよ、弟の俺がボディガードしろって。あんたにはわかんないでしょうけどね」

「まあ確かに残念ながら俺は兄弟姉妹はいないなぁ」


 むかつくが、むかつくほど戦績のいい男なのである。今や、この男がいると撃墜対被撃墜比率キルレートがひっくり返るとも言われている。

 できる男ではある。そこは申し分ない。だからより一層気に食わない。


「一生分かり合えそうにないっすね」


 そう言うと、ドルフィンは面白そうに笑った。小僧が喚いているくらいに思われていそうな気がする。それがより一層むかついた。


「そうカッカするなよ。お前飲み足りてなさそうだからせっかくだから飲んでいけ。正真正銘、地球産のジャパニーズ・ウイスキーだ」


 配膳ロボットがゆっくり転がってきて、フィリップは顔を上げた。

 透き通った氷がこれまた高そうな重量ありそうなグラスに入っている。そばには、瓶に入った琥珀色の液体。


「地球産!?」

「酒、そこそこ飲めるんだろ? なかなかないぞ。せっかくだから飲んでけ。ラプターを送ってくれた礼だ」


 頼まれたから送った訳じゃないと噛みつきそうになったが、地球産のジャパニーズ・ウイスキーなんてそう簡単に飲めるものではない。

 フィリップの目は釘づけだった。


「ビーフジャーキーとスモーク風味のナッツとドライフルーツ。一緒にどうぞ」

 先ほどのバーで出されたのはやたら味が濃いだけで舌触りも微妙で美味しくもないソイジャーキーだった。だが、目の前にあるのは正真正銘のビーフジャーキー。


(ミラの舌が堕とされた意味がちょっとわかるな……)


 ローテーブルの下の方から出てきたアームが器用に蓋を開けてウイスキーを注ぐ。

 芳香が室内を満たした。注がれたのだ、飲まないわけにはいくまい。


「……いただきます。せっかくなんで」

「どうぞ。味わって飲んで」


 口に含む。美味しい。樽の香りが鼻腔どころか脳髄を強打する。


(何これやっば!)


「……美味しいですね」

「いける口だな? せっかくだ、に飲んでくれ」


 酒は美味しい。だが、フィリップはミラが心配になってドアの方に目を向けた。


「安心しろ。廊下のマイクからはラプターが鼻歌を歌いながら歯を磨いている音が聞こえる」


(いや俺も状況はわかってる……)


 いちいち教えてやるつもりもないが、フィリップは身体に感じる振動を音として捉えることができるのだ。壁を隔てた向こうのドアが開いても気がつくし、ミラが今歯磨きをしていることもわかっていた。

 人には歩き方のくせがあるので、親しい人間ならドアの向こうで歩いている人物の区別だってできる。


「俺はつくづくあんたがわかりませんよ。なんだって……」

「なんで振ったかって? 本当に好きだったら適当な気持ちで付き合えるか?」


 音量がグッと抑えられた。

 そこまで警戒しなくても、ミラは視力に関しては恐ろしいほどいいが耳は人並みだ。

 ドア二つ隔てていたら聞こえるわけがない。


「ミラが望んでいるのに?」


 フィリップはビーフジャーキーに手を伸ばし、それを口に放り込んだ。


「だいたい付き合うってどうやって? 一緒に飯を食いにいくどころか、手を繋いでデートもできない。キスもセックスもできない男が健常者に需要があるわけがない。あの子は気づいてないだけだ。恋愛初心者そうだから……でももしあそこで俺がイエスと言っていたら近いうちに気づく。不毛だってな」

「それはあんたがフィジカルでしか恋愛してこなかっただけじゃないですか?」


 グラスに残っていたウイスキーを一気に飲み干す。


「……お前に俺の苦労の何がわかる?」

「わからねえから聞いてるんですよ。あんたにだって俺たち実験動物扱いされてきた半端もんのことはわからないだろ?」


 そうだ。フィリップも人とは違う。

 その時だ、ミラが洗面所のドアを開けた音を感じたフィリップは廊下の方に首を向けた。廊下を歩くミラの気配。そしてドアが開く。


「お、ウイスキーだ。それ美味しいでしょ?」


 まだ頬は赤いが、どうやら結構酔いは覚めたらしい。ミラはフィリップの隣に腰を下ろした。


「ああ……」

「ジェフが置いていったんだよ、それ。ドルフィンと仲良くしてた?」

 ミラはそう問いかけて、フィリップのグラスにウイスキーをドバドバ注いだ。

「おいおいおいおい!」

「どうせこのくらい飲めるでしょ? 明日は機体には乗らないし」

「まあそうだけど……」


 明日は最新のステルス塗料を機体に塗布するので、実機訓練はないのだ。

 ミラは明らかに普段より饒舌だった。


(これは無理してるな〜) 


「仲良くか……してたか?」


 ドルフィンが生真面目に答えようとする。やめろ。


「あんたとは気が合いそうにないっすね」

「俺も同意見」

「……そっか」


 どこか残念そうなミラを横目にナッツを摘んだ。


(これも旨いな……なんなんだこの男。セレブか?)


 スモーキーなナッツと同じくスモーキーなウイスキーがとても合う。

 きっとこの男はいい酒といい食い物を散々楽しんできたはずだとフィリップは考えた。

 そうでもない限り、今や食事ができない身体なのにこうも相性のいい酒とつまみを提供できるわけがない。

 その時、廊下の向こうの通路をこちらに近づいてくるよく知る足音に気がついた。


「ミラ、キャシーさん帰ってきた」

「あ、キャシー帰ってきたか」


 バタバタとミラが廊下の方に駆け、ドアの向こうに消えていった。


「俺はそろそろ帰ります。ゴチソウサマデシタ」


 久しぶりに言った。ごちそうさま。


「お、おう。まあ心配はしてねぇが、気をつけて帰れよ」


 その一言が余計なんだよ、と思いながらソファから立つ。

 その時インターホンが鳴った。元気のいい、ただーいまー! という声が聞こえた。

 フィリップはキャシーとかたわらを飛ぶドローン、つまりサミーにお邪魔してました、と軽く挨拶して足早に帰った。

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