3. 居酒屋帰り 零たちの部屋
「ミラ、大丈夫か?」
「うーん、多分……?」
(千鳥足じゃないかよ!)
フィリップは少々後悔していた。明らかにミラに飲ませすぎた。
一軒目で「ドルフィンの卵焼きの方が美味しい。もうあの卵焼きを食べられないかもしれない。唐揚げも最高なのに」と半ばベソをかきはじめたミラは日本酒をガンガン飲みはじめ、二軒目のバーに行って今度はドカドカウイスキーを頼んでいた。その時もドルフィンの唐揚げは美味しいんだと再度熱烈にプレゼンされた。
もしかしたらもうあの美味しい唐揚げを食べられないかもしれない、とたそがれる彼女を見て、この後に及んで食い物の心配かよと若干引いたが口には出さずにおいた。
隣にいたフィリップはミラを心配するあまり酒がすすまなかった。
「おいおいおいおいどこいくんだミラ! こっちだよ!」
「うーん?」
官舎とは真逆の道に進もうとするミラの肩を抱いて方向転換。
「送る!」
「キャシーが帰ってるといいなぁ……」
「いなきゃ帰ってくるまで付き合うよ。ドルフィンと二人だと気まずいんだろ?」
「うん」
フィリップも正直気まずかった。当初あれだけ文句をつけた男の家に上がり込むなんてごめんである。
まあでもこのグダグダの姉貴分を放っておくことなんてできない。
彼にとって、ミラは恩人だからだ。
***
「すごいなミラ、また一番だったの?」
「うん。十発全部当てた」
フィリップの7つ上の血の繋がらない姉はいつも自分に優しくしてくれた。
彼女は今銃の訓練を受けており、兄弟たちで唯一十発中全部当てたというのである。
近頃、ミラに対する他の兄や姉たちの風当たりが一層厳しくなった。
ここでは、成績がいい者には褒美が与えられる。ミラはいつもぶっちぎりだった。
いつもずるいだとか言われるミラがかわいそうだったが、同世代の中で落ちこぼれの自分はどうすることもできなかった。
「お父様に会えるって」
「願い事決めた?」
「うん。初めから決めてたんだ。他の場所に移っちゃうみんなが、いつまでもここにいられたらって。フィリップも私と離れ離れになったら嫌だろ?」
その時の彼らは知らなかった。出来の悪い兄弟姉妹たちが施設の大人たちに薬剤を注射され、処分されていたことを。
別の移民船に移動する、と聞かされていたのだ。
「フィリップといつまでも一緒にいたいってお願いしてくる」
6歳のフィリップにとって、この姉は世界の中心だった。
学力でも身体能力検査でもいつも最高の成績を叩き出す彼女はいつも輝いて見えた。でもフィリップは知っていた。ミラが影でものすごく努力していることを。
(頑張りもしないでずるいなんて言うのは変だ)
「僕もミラと一緒にいたい。ミラともっと遊びたいから」
「明日、勉強の時間終わったら遊ぼうか、何したい?」
「ゲームしたい!」
「OK。じゃあ明日ゲームしよう。今日はもう遅いから、そろそろベッドに行こうか」
翌日。フィリップの同室の一人が泡を吹いて倒れた。彼女は身体中にうっすら鱗があって、黄色い目に瞳孔は縦に細長い猫のような目をしていた。大人たちが「まさか自分の毒にやられるとはな……」そう話しながら彼女をどこかに連れて行った。
その姉にはその後、会えることはなかった。
その時フィリップは思った。ここは、何かがおかしいと。
***
フィリップはインターホンを鳴らした。ミラは半分寝ていて自分に盛大に寄りかかってきている。
(重……言えないけど)
「はい……ダガー?」
聞こえてきたのはドルフィンの声だった。フィリップは半ばやけ気味に言った。
「泥酔した姉貴のお届け物でーす」
ガチャ、と鍵が開いたことに気づいてドアを開ける。
「おかえりラプター。ようこそダガー」
「……ただいま」
よろよろと室内に進み、ブーツを脱ごうとしたのか壁に手を着こうとしたミラの手が虚空を掻いてよろけたので慌てて支える。
「おいおいおいおいミラ!」
「ラプター! 大丈夫か?」
スピーカーからドルフィンの声が聞こえる。声が平坦だからわかりにくいが焦ったようだ。
ミラはおそらく遠近感がおかしくなっている。彼女は酔うとこうなのだ。真っ先に視覚がやられる。元から目がいいからかもしれない。
「大丈夫か? ダメだな? ドルフィン、上がっても?」
「ダガー、悪いな。申し訳ないが上がってくれるか? 今俺しかいないから、そのまま肩を貸してやってほしい」
フィリップはこの家は日本式で土足厳禁なのだなと瞬時に把握し、手早く靴を脱いだ。
(何が今俺しかいないからだ)
ミラをこれほどグダグダにしたのがこの男だと認識すると急にイラついてきた。
玄関の土足エリアから抜け出したところに尻をついて座り、のんびりまったり靴を脱いでいたミラがブーツを放り出したところで、膝下と背中に腕を回して抱き上げる。
(うわ重っ!)
膝がぎしりと軋んだ。流石に身長が同じとなると厳しいか。
「うわっ! お、重くない?」
「重いけど怪我されたら困る」
素直に言うとケタケタ笑っている。だが、ミラは笑いながらこちらに腕を回してきたので体勢自体は安定した。
いやしかし、ドルフィン、恐ろしいくらいに無言である。
(怖……)
廊下からダイニングに続くドアが開いた。
「奥にソファーがあるからそこに頼む」
不意にどこかのスピーカーからドルフィンの声が聞こえてきた。ダイニングから続くリビングのソファにミラを下ろす。
そして周りをあらためて見渡し、ルームシェアするのに納得の広さの部屋だなとフィリップは改めて納得した。
「フィリップ、ありがと」
ミラは手をひらひら振りながらばたっとソファに身を預けた。
「水かなんか飲ませた方がいいと思います」
「そうだな」
「キャシーさんはまだ帰ってきてないんですね」
「ああ」
気まずい。気まずくしたのは自分なのだが本当に気まずい。
だが、目の前のサイボーグ野郎はミラを振ったくせに未練たらたらなことがわかった。これは収穫の一つである。
テーブルの上にあったドルフィンのドローンが飛び上がって一目散にキッチンの方に飛んでいき、ペットボトルをぶら下げて帰ってきた。
「コップよりこの方が飲みやすいだろ。ラプター、すぐ寝ない方がいい。ちょっと起きて水飲んで食べたもの下がってから寝た方がいい」
このような時、ペットボトルの方が飲みやすいだろうとか、少ししてから寝ろとかアドバイスできるのはさすが後天的にサイボーグになった男だなと思った。
ミラからドルフィンは成人過ぎるまで健常者だったと聞いた時は正直驚いたし信じがたかったが、どうも嘘ではないようだ。
普通、他のサイボーグはもっとロボットっぽい。そして人の生活に無頓着だ。
起きる気配がないミラに手を差し出すと、女性にしては大きめの手がこちらの手をグッと掴んだ。
ミラはフィリップに手を引かれて起き上がり、ごくごくペットボトルの水を飲んだ。
「冷たくない方がいいんじゃないかと思って」
どうやらペットボトルの水は常温だったらしい。ムカつくくらい気を遣える男である。
「うん、ちょうどいい。ありがとう」
起き上がったミラは、右手をすっと前に出した。
「テレビがこの距離にあるように見える」
「ミラそれやばいってば」
「本気で酔ったラプターを初めて見た。面白いな!」
(だからあんたのせいだっつうの!)
フィリップは訳がわからなかった。なぜこの男はこうも飄々としているのだ。
フィリップは気づいていなかったが、つい30分前、この男はミラの件でホークアイと取っ組み合いの殴り合いをしている。
実は水面下では猛烈に動揺しているドルフィンであるが、声帯を失ったサイボーグの平坦なロボットボイスと見えない表情によってフィリップの目にドルフィンは完璧にクールな男に見えた。
フィリップは完璧に騙されていたのである。
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