16. トルコレストラン ジェフの記憶 帰り道
被曝後、こちらと意思疎通ができるようにやっとなった朝倉零が初めて伝えてきた言葉。
『俺はなんでまだ生きてるんだ?』
ジェフには、その言葉は「なんで殺してくれなかったんだ?」にも聞こえて、見えてたじろいだ。零の言葉は当時、モニターに映した文字だったからだ。
『生命維持装置に身体が丸ごと入っているから、家族に介護させずに済んでいるのが唯一の救いだ』
背中を冷や汗がダラダラ伝った。
彼を苦しめて生かした自覚はあった。例えることもできないような罪悪感を感じた。患者を救ったにもかかわらず。
ジェフは恐る恐る問いかけた。
「私は医師の関です。零さん、感覚はありますか?」
『ああ、あんたか。久しいな。感覚はない。ずっと変な夢を見ていた……その後は目も見えないし、音も聞こえないしで頭がどうにかなりそうだった。今、意思疎通ができて本当に感動している。一体、俺の身体はどうなってる?』
脳死判定を二度受けたこの男を「絶対に意識があるはず」と無理を言って外部出力装置と繋がせたのはジェフだ。
「あなたの身体は……」
意識は回復した。きちんと会話できている。
いくら生命維持装置で全てが管理されていると言っても、彼の頭を生かしたのは自分を含めた医療スタッフだ。これは賞賛に値する。
だが、ジェフは思った。
自分のしたことは、はたして合っていたのだろうか?
『正直に言えよ。もう身体崩壊してるんだろ?』
「そうです……よく分かりましたね」
驚いた。長期に渡る治療と意識不明状態から覚醒して、ここまではっきり受け答えできるとは。
普通、長期の入院を経ると何かしら精神に障害が起こることが多いのだ。
『もう死んだかと思ってた……アズサはどうしてる?』
「すみません、私はその辺は把握していないので……」
婚約者の名前が飛び出てきて、ジェフの心臓が口から飛び出しそうになり思わずしらを切った。
彼の婚約者、川岸アズサは零が意識不明になる前、零が言った自分と別れてほしいと言った言葉を全力で拒否した。いつまでも待っていると。
しかし、彼女は零が意識不明になった後、一度も見舞いに来なかった。そればかりか、彼女はかの有名な「朝倉零」の婚約者という立場を利用して放蕩三昧だった。
「そうか……あれからどれくらい経った?」
また聞かれたくない話題が飛んできた。
なんと伝えればいいのだろう。五年弱も経ったなんて、とてもじゃないが軽々しく伝えることはできない。
「ジェフ、ジェフ。大丈夫? 聞いてる?」
「あ、ああ。ごめんちょっとぼうっとしてた」
エリカに声をかけられて、ジェフは我に返った。
「タイのグリル、サフランソースがけ。あとケバブですって。ちゃんと本物の肉らしいわよ」
「うっまそー!」
ジェフはわざとテンション高く声を発した。
やばいやばい。昔を思い出して呆けていた。
「ジェフ、あなた疲れてるでしょ? 無理しないで」
「ちょっとふと考え事しちまっただけだ。問題ない」
「ならいいんだけど……本当に無理しないで。私たちサイボーグはあなたが元気でいてくれないと困るのよ」
「サイボーグ医療のホープとか勝手に呼ばれてるけど、俺そんなんじゃないぜ? 全部零のおかげだ。あいつの運と生命力が強かったからそれだけ」
「謙遜も過ぎると嫌味に聞こえるわよ」
「何を言ってる?」
ジェフは笑い飛ばして言った。
考え事というよりも、下手したら半ばフラッシュバックと言ってもいいかもしれない。それくらい、零の存在はジェフの生活を変えたのだ。
だが、今のこのジェフのキャリアを作ってくれたのは間違いなく零だ。
あれだけの被曝をして生きながらえた人物は、他にいないからである。
そして、激烈と言ってもいい激しいトラウマを植え付け、ジェフに悩みを与えたのも同じく零であった。
***
「美味しかったー!」
ミラたちは店を後にした。
時間は十時。
ものすごく食べた。船型のピザもものすごく美味しかったし、デザートのヴァクラヴァという糖蜜がたっぷり染みこんで生地の間にナッツが挟まったパイも最高だった。
皆で一緒に店を出たが、まだまだ夜はこれからだ、といった様子のキャシーがそこにいた。
「せっかく明日休みだからもうちょっと遊びたいな……エリカ、ハシゴするけど来ない? もちろんサミーも。あ、ジェフもよければ! ミラは……」
「もうお腹いっぱい。明日仕事だし、腹ごなしに散歩しながら帰る」
「そうか。ドルフィンはミラ送ってってよ」
「ああ、そのつもりだ」
ウィーンブロックのセンター街に向かっていく皆を見送る。
「ゆっくり帰ろっか」
ミラの斜め上でホバリングしているドルフィンが言った。
「うん」
二人っきりになるのは久しぶりで、ミラのテンションが上がった。
「あのピザ、どうだった?」
トルコの船形のピザ、ピデは、ひき肉たっぷり。生卵を落として焼くので、目玉焼きのような卵が乗っている。
この男は割とこのような傾向がある。自分のよく知らない食べ物はどんな味だった? と聞いてくるのである。
「えっとね、生地がナンみたいでモッチモチだった。具材はケバブとかに比べると香辛料も強くなくて誰でも食べやすいと思う」
「的確だな、イタリアン行って胃もたれがどうのとか言ってるジェフが普通にモリモリ食ってたのはそういうことか。日本人に合いそう」
「ジェフ、あんまり胃腸強くないのか」
無理に自分に付き合わせるのはやめよう。
「あいつ不摂生だから悪いんだよ。本当最近もちゃんと食ってるのか心配になる」
「うちに呼ぶ?」
「考えてもみろ、あいつがしょっちゅう飯食いに来てたら暮らしにくいだろ? 君、毎日風呂上がりにバスローブ姿でぼーっとソファに座ってるくらいだし……」
「うっ……ごめん」
ジェフだったらバスローブ姿を見られても気にしない。自分の担当医だし。
だが、言われてみたらキャシーは確かに気にするかもしれない。
ミラはシャワーを浴びてから夕飯を食べるタイプで、疲れていると下手すりゃバスローブのまま夕飯に突入だし、それでなくてもホットパンツにタンクトップといういでたちだ。
体温が高いからか、とにかく暑がりなのである。
「いいよいいよ、俺に気を許してくれてるってことだろ?」
見苦しかっただろう。うん、そうだろうな。これからは気をつけよう。
もうすぐで官舎だ。ミラは角の小さな緑地を指差した。
「ちょっと休憩しない?」
「ああ、もちろん」
ミラはベンチに腰を下ろした。ドローンが隣に降り立つ。
彼女は肩に下げていたトートバッグから帰りにソックスの母親がくれたミネラルウォーターを取り出して、喉を鳴らして飲んだ。
「今気づいた。ラプター、君、俺にラブコールしてたのか。模擬戦したいなら直に言ってくれればいいのに」
ミラはふふ、と笑いを漏らした。
模擬戦をしたくて、なんとなく正式にラブコールしてみたのだ。
今ネットワークの通知に気づいたのだろう。
「なんだか懐かしいなと思って。久しぶりにシミュレーターで模擬戦したいなってちょっと思って」
「最初のは半年前だったか。君がラブコールしてくれなかったら今はなかったんだなってちょっと思った」
「そうだね……」
もう今でいいのでは?
もう、この思いを抱えたままでいるのが辛かった。正直、楽になりたかったのである。
ミラは意を決して口を開いた。
「あの、ドルフィン……」
「ん? どうした?」
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