10. 零たちの部屋 打ち上げⅠ

 ミラを送り出したのち、ドルフィンはソファにどっかりと腰を下ろして、足を組んだ。

 キャシーはそれを思わずまじまじと見てしまった。ソファが沈み込んでいないのが若干不自然ではあるが、動きは何の違和感もない。


「ああ、一緒について行きたかった……」

(ミラもドルフィンにめっちゃ後ろ髪引かれてそうだったな……)

「ミラ、大丈夫かな?」


 キャシーはソファの端に腰を下ろした。


「今日参加する新郎側の友人にジェフとソックスがいる。フォローはあの二人に頼んでおいた。ジェフには終わったらここまで送れって言ってある」

「ソックスってドルフィンのウイングマンだっけ?」

「そう」

「なら安心だな。変な虫もつかなそう」

「そ、あとは帰りを待つだけ。ひと仕事終わったな。乾杯でもする?」


 ドルフィンの手には、どこからか現れた白ワインのボトルとグラスがあった。

 キャシーはずっこけそうになった。まだ昼前だ。だが、昼間から飲むことに抵抗がある性分でもない。


「いいけど……私とじゃなくってミラとサシ飲みしろよな……せっかくの3Dホロなんだから」

「動作確認だ。酒飲んでもおかしな動きしないか確認してくれ。ラプターと飲みか……緊張するな!」

「緊張? なんでだよ!? まあそうだな、私はビールにしよっと」


 キャシーが立ち上がると、ドルフィンはグラスとワインボトルをローテーブルの上に置いた。浮いてもいないし沈んでもいない。きちんとローテーブルの上にあるように見える。ちょっと透けているが。


「なんかつまみ作ろうか?」

「いや、ポテチでいいや。なんか贅沢だな。昼間からビールなんて」

 合成エールでもない生ビールだ。贅沢極まりない。

「好きに飲んで。金のことなら気にしないで」


 この男はこうなのだ。月末に徴収される食費だって明らかに少なめ。「ビールはいつも頑張ってる二人に寄付」などと言って金を取ろうともしない。遠慮して飲まずにいたら、ドルフィンが頼んだ2ケース目が送られてきたので遠慮せずに飲むことにした。


「ドルフィン、私やミラじゃなかったら完璧カモにされてるぜ? 大丈夫か?」

「二人には世話になってるから」


 キッチンからやってきた配膳ロボットのテーブルには、缶ビールとグラス、それから皿とポテトチップス。


「サイボーグってみんな借金抱えてカツカツだろ? 家庭用のホロ装置だって結構高価だし……本当に大丈夫?」


 サイボーグになるにはとにかく金がかかる。一部は国の援助だが、全部ではない。

 国への借金となり、基本は公務員になってその借金を返済するのである。

 キャシーはポテトチップスの袋を開けて、皿に出しはじめた。


「これはあんまりでかい声で言わないでほしいんだが、俺は生まれながらの障がい者でもなければ、病気やら事故でこうなったわけでもない。仕事中にテロに遭った。つまり労災。だからサイボーグ化の自己負担額はゼロ」

「そ、そういうことぉ!」


 まじか、とキャシーはドルフィンの端正な顔を見つめた。ポテトチップスが皿から溢れた。彼は指を一本立てて口元に当てた。


「だから金は有り余ってる。物は買わないし。ってことで気にしないで。俺はこのルームシェア生活をかなり楽しんでる。君が気にすることは一切ない」


 それは論理が破綻していないか? 納得していいのか?


「いやいや、でもさぁ……」

「君たちは家財道具、服、化粧品にアクセサリー。他にも何もかもあの件で失くしてる。だから物入りだろ? 気にしない気にしない。さあ飲むぞ」


 唖然としていると、プシュ、と音が鳴った。テーブルに目を向けると、ドルフィンのアームがテーブルの下から出てきて、器用にビールのプルタブを開けてグラスに注いでいた。


「じゃ、見ててね」


 ドルフィンはワインボトルに手を伸ばし、ソムリエナイフを使って流れるような手つきで開けて、テーブルの上のグラスに注いだ。


「おかしなところあった?」

「ない」


 ドルフィンはワイングラスのステムを指先で優雅に掴んだ。


(やっばくない? モデルか何かかよおい……モデルにしてはガタイよすぎるけど!)


 キャシーは慌ててビールの注がれたグラスを掴んで掲げた。


「「乾杯!」」


 キャシーはビールを傾けた。いつも飲み慣れている喉越しのいいすっきりしたビールである。

 ドルフィンもグラスのリムに口をつけた。上下する喉仏。キャシーから見て、違和感はまるでない。


「ど素人目線だけど、君ヘアメイク上手いね。びっくりしたよ」

「素材がいいんだよ。ミラかわいいし」

「あんなにかわいいのに、ラプターがああも自分を卑下するのは何でだ? どこの誰が原因だ? 前の男?」


 キャシーは言い淀んだ。どこまで伝えるべきか。 


「前の男は……うん、関係あると思う。ちゃんと付き合う前に別れたけど」

「ちゃんと付き合う前?」

「……ちゃんと男女の関係になる前にサヨウナラって感じ? ミラ、多分まだ男性経験ないんだよ、だから余計自信がないんだろうなって」


 ドルフィンの切長二重が見開かれた。


「まじで?」

「まじだよ。他に、ミラが一緒にいる男なんて本当ドルフィンとかジェフとか……あとはダガーだな、でもあいつはミラにとって弟だからそんなんじゃないし。おいドルフィン、顔がニヤつきそうになってるぞ」


 ドルフィンはキャシーのその言葉に口元を慌てて引き締めた。誤魔化すようにワインを口に運んでいる。


(ドルフィン面白すぎるんだけど……)


「……その話はもうやめようか、憶測でラプターのプライベートを語るのは」

「そうだな。あ、ありがとう」


 アームがビールの缶を掴んでグラスのきわぎりぎりまで注いだ。

 ドルフィンがこの話をやめようなんて言ったのは、ミラのプライベートがどうのということよりも彼女が予想外に「他の男に染まっていない」ことに驚き、純粋に嬉しかったのでどこか罪悪感があったからだろう。

 キャシーはそれがわかりきっていたのでドルフィンの言葉を尊重し、この話はもう切り上げることにしたのだ。


(まあ男だったら嬉しいよな……)

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