8. 零たちの部屋 バスタイム 夕飯

 ジェフと話をしていたのは一時間程。つまり、ルームシェアの部屋を出てから二時間もしないうちにミラは帰宅した。


 ドルフィンはミラが帰宅すると真っ先にドローンのファンをブンブン言わせながらすっ飛んできた。

 ミツバチみたいでいつ見てもかわいい。


「おかえり、ラプター」

「ただいま」

「うん、さっきより顔色いいね。よかった。お風呂はスイッチ入れれば準備できる、食欲戻ってきたなら軽食も作れるよ」


 リビングのテーブルに降り立ったドルフィンは、カメラをこちらに向けて気遣うように言った。キルコールか。悩む。でもやっぱりこの男が好きである。


「ありがと、とりあえずお風呂にする」

「OK、今スイッチ入れた」


 日系人だらけの環境で育ったミラは湯船に浸かるのが大好きだ。本当は畳の部屋があると嬉しいのだが、それは官舎生活ではなかなか難しい。


 単身用の官舎はシャワーブースがあるだけだったが、この部屋には湯船もあってそこそこ大きめなので、ゆったり入れて最高にいい。


(ドルフィンが優遇されてるのは、仕事中にテロに遭ったからかな……)


 そうでもなければ、こんな広い部屋なんて考えられない。きっといつブラボーⅠから家族が泊まりにきてもいいようにという配慮だろう。

 ブラボーⅠとⅡの統合軍はそれぞれトップがいるが、お互いの軍人を出向させたり、共同出資して何かプロジェクトを行ったりなんてことも多い。まさに姉妹関係だ。


 仕事中にテロに巻き込まれたと言っていたし、この部屋を用意したのはブラボーⅠ政府か統合軍ということも考えられる。

 自室に向かったミラは着替えやタオルを用意して風呂場に向かった。

 洗面台のところにアヒルのおもちゃがあった。風呂で浮かべるやつである。


(かわいい!)


 ミラはそれを持ってリビングに電光石火で戻った。


「ドルフィン! これ! どうしたの?」

「かわいいかなって買ってしまった。子供っぽい? 風呂場って一人だからそういうのあるとなんか癒されないかなって」

「嬉しい! ありがとう! 一緒に入ってくる!」

「ローズのバスソルトあるからよかったら使ってね」


 ミラはバスソルトを入れた湯に浸かると、アヒルを浮かべて指でつついてみた。かわいい。口元に笑みを刻む。


 それにしても、最近ずっと忙しかった。

 6・29事変で亡くなった隊員の墓参りにも行った。未だに実感がわかない。ぽっかりと胸に穴が開いてしまったような気もする。


 実験室では仲間が突然いなくなるなど日常でしかなかったが、どうもあの頃の自分はその状況に慣れていたわけではない。当時は麻痺していただけなのだと思い知った。


 思い悩んでしまいそうな時は、暇さえあれば機体を失って飛べずにいるドルフィンとシミュレーターで模擬戦を行っていた。

 それから、遠隔モードに切り替えたサミーのアマツカゼをドルフィンが操り、実践形式の模擬戦を行うこともしばしばだ。

 また電波障害になればすぐさまサミーが主導権を握る。上にそう説明すればドルフィンの腕をキープするためにも積極的に模擬戦を行うようにという言葉をもらった。


 何より、サミーもドルフィンの飛び方を分析できる。一石二鳥である。

 ミラは息を吐いた。どうしよう、やっぱりあの男が好きである。


「どうしようかなぁ……」


 こうしてゆっくりまったりと湯に浸かっていると、これからどうしようかと思い悩んでしまう。いつ、どのタイミングで、どうこの想いを告げようか。


 今日は無理だ。では、明日?


 そしてハッとした。明日は例の結婚パーティだ。風呂から上がったら手の爪を限界まで短くしなければ。

 そうでないと、手袋を爪が突き破りかねないからである。



 風呂から上がって髪を乾かしリビングに行くと、ドライヤーの音でそろそろ戻ることを察したらしいドルフィンが麦茶を用意してくれていた。

 礼を言ってありがたくいただく。


 ドルフィンのドローンはテーブルの上に佇んでいたがランプは黄色であった。

 天井から彼の声だけが聞こえる。そして、キッチンから何やら物音がする。料理中だろうか。

 ドルフィンのドローンのランプが突然青になった。


「ゆっくりできた? うどんとか簡単なものでよければすぐに出せるから、お腹空いてれば言ってね」


 もしや気を遣わせてしまっただろうか。夜食のことを話してから風呂に行けばよかった。

 確かに腹は減ってきていた。しかし申し訳ないので部屋に帰ってこっそりプロテインバーでもかじろう。

 断ろうと口を開きかけた時、腹が鳴った。


「……オーケー? 君の腹の虫はとても正直でいいね」


 ミラは赤面するしかなかった。


「……ありがと。ご飯、爪切ってからでもいい? 風呂上がりに切らないと硬いから」

「もちろん! 俺もちょっと具材考える。終わったら声かけてね。今日は気をつけて爪切るんだよ」


 ミラはそそくさと部屋に急いだ。今更かもしれないが、腹が鳴ったことが恥ずかしすぎたからである。

 彼女はほんのり赤い頬のまま、早速引き出しから猛獣用の爪切りを取り出した。それからヤスリと、念の為の脱脂綿とガーゼに止血剤も用意する。


 爪の内部の途中まで血管が通っているのだ。鳥の爪と構造が同じらしい。

 ミラは慣れた手つきで爪切りを始めた。

 前回は急いで切って爪から大出血し、ドルフィンにたいそう心配されてしまったのだ。


 爪切りで出血してしまうと、小鳥は死活問題らしくてドルフィンとしては心配になったようであった。別に献血するぐらいの量を出血してもなんら問題ないので、止血しながらミラは笑ってしまった。

 爪を切り終わって、こそりとリビングに戻った。ピカ、とドローンのランプが光った。


「うどんでいい?」

「うん、いつもありがとう」

「気にしないで、趣味だから! じゃあちょっと待っててね」


 ミラは、にこ、とドローンの方に笑いかけてからテレビをつけた。ドローンのランプが黄色になった。カメラをキッチンに切り替えたのだろう。

 公共放送をかけると、ニュースがやっていた。割と明るいものが多い。


 職業柄ニュースくらいは把握していないといけないので、ミラはニュースを見ることが多かった。

 しばらくすると連続ドラマに切り替わったので、チャンネルを変える。何も面白いものはない。


(覗きに行くかな……)


 急かしていると思われたくないが、ちょっと見たかったのである。何してるか見たいし話したい。

 ちょうどグラスも空になったからそこまで違和感もないだろう。グラスを手に取って、キッチンに近づいてこそっと覗き込んでみた。


「小鳥ちゃん、どうしたの?」


 ミラは空のグラスをぬっと出してみた。

「お茶のおかわりに来た」

「ああ、好きに飲んで」


 ミラは冷蔵庫から麦茶を取り出して氷を入れたグラスに注いだ。氷がいい音を立てた。


「昔、ミラチャンって呼んでくる人がいたんだ。ドルフィンもたまに使ってるけど、ジャパニーズだよね? 今のチャンもおんなじ意味? 何回かコトリチャンって呼んでくれてたけど、コトリってのは何? トリはBirdだったよね?」

「ちゃんってのは、接尾語。子供とか、かわいいものとか女の子、あだ名にもよくつける。ばあちゃんは、俺のこと零ちゃんって呼ぶ。トリはBirdで正解。コトリってのは小さい鳥のこと。インコとかスズメとか手に乗るくらい、ないしはもう少し大きいサイズ感かな」


 ドルフィンはそう言いながら、器にうどんを盛り付けている。


「コトリ……」


 コトリにしては大きくないだろうか、自分は。

 うんうん悩んでいると、ドルフィンが言った。


「温泉卵と鶏ハム、両方食べる?」

「うん! 両方がいい!」

「だろうと思った」


 見えていないが、絶対に今ドルフィンは笑みを漏らしていただろうと思った。

 器の中を覗いてみれば、白菜やきのこ、ほうれん草、それから厚めにスライスした鶏ハムが載っている。 


「美味しそう!」

「ほとんど冷凍しておいた食材だけどね。うどんもスーパーの冷凍うどんだし、白菜もきのこもほうれん草もいざって時のために冷凍しておいたもの。最近うどん率高いな……悪い何にも考えてなかった」


 それにしてもいきなりささっと作れてしまうのが本当にすごいと思う。


「いきなりなのにありがとう! ごめんねいらないとかいるとかわがまま言って。うどん好きだから毎日でもいいし!」

「気にしないで、俺は君の栄養管理番だ。お腹が空いたときにはいつでも遠慮なく言ってね。はい、出来上がり。自分で持っていく?」

「うん!」


 ミラはグラスとうどんの入った器、それから箸にれんげをお盆の上に置き、意気揚々と運ぶ。

 もうこの頃になると、食欲のなかった時のことなど頭から全て吹き飛んでいるミラであった。


「熱いから気をつけてな」


 リビングのテーブルにつくと、早速手を合わせた。


「いただきます!」

「召し上がれ」


 ドルフィンのドローンのランプが青く光った。

 ミラはまずうどんのスープをれんげですくった。透き通った薄茶色をしている。湯気がほかほか立っている。

 息を吹きかけ、少し冷ましてから口に含んだ。美味しい。


 見た目通り薄味だが、ちゃんと旨味があるのだ。彼女は無意識のうちに、小さく笑みを浮かべた。


「基本手抜きだけど、出汁だけはちゃんととった。かつおだしは時間かからないからね。昆布ってなるとちょっと時間かかるけど」

「そうなんだ……このスープ好き」


 ミラはうどんをすすってみた。麺はツルツルで歯応えもある。白菜もくたくたで美味しい。たっぷりつゆが沁みた油揚げも最高だ。

 続いて、温泉卵を崩して黄身を絡めてみた。これを考えた人は天才かもしれない。


「卵美味しいね。これすごい!」

「気に入ってくれたならよかった。君は和食をいっつも美味しいって言って食べてくれるから本当に嬉しい」


 それはミラも同じ気持ちだった。

 子供の頃、いつも口にしていた和食をいつも作ってくれるドルフィンには感謝してもしきれないのであった。

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